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──真夜中のイーリス城にて。


「……あ、いたいた、お兄ちゃーん!」


 リズが歩みを早めてクロムに駆け寄る。しかしクロムは何か考え事をしているようでリズに気づかない。
 ……あろうことか隣まで来ても気づかない。痺れを切らしたリズはクロムの耳元で、


「お兄ちゃぁぁぁぁん!?」
「うおっ!?」


 出来る限りの息を吸い込んで叫んだ。
 その効果は絶大で、クロムは叫ばれた右耳を押さえてリズを見る。


「お、大声で叫ぶなリズ!」
「んもー! お兄ちゃんが気づかないのが悪いんだよ!!」


 自分の妹が隣に来ても気づかないなんてどういうことだ! 妹のもっともな抗議に肩を竦める。
 リズは諦めたようにため息をついて、話を進めた。


「お兄ちゃん、好きな人いるの?」
「またその話か」


 もう勘弁してくれ、と言いたげに頭を抱える。リズはイタズラな笑顔を浮かべながらクロムの前に立ちはだかった。


「スミアさんでもソワレさんでもないんだよね?」
「まぁ……そうだな」


 リズはそれを聞いて瞳を輝かせる。
 じゃあじゃあっ! と、クロムにもう一度聞こうとした、その時。

 壁一枚の向こうで聞こえた音。何かと何か──おそらく金属同士がぶつかり合うような音。クロムが見た壁の向こうにあるのは、


「訓練所?」


 確かに訓練所ならば金属の刃同士がぶつかることも珍しくないだろう。だが壁は防音済みだし、滅多に音漏れなんてしないはず。
 それほどまでに、大きな音なのだろうか。


「……入ってみるか」
「え、入るのお兄ちゃん?」


 リズの問いかけに小さく頷く。するとリズが飛び跳ねた。まぁなぜだかは予想がつく。


「わたしも入るんだよ!」
「……だろうな」


 乾いた笑いしか出ない。どうしてこうもお転婆な妹になってしまったのか……。
 と思ったが答えは簡単だ、"クロムの妹だから"。しかしまあ、エメリナの弟妹としてはちぐはぐ過ぎる気がする。
 そんなことを頭の隅に考えながら、クロムは訓練所の扉を開けた。そこにあった光景は。


「……ッ!」
「ほらフレデリク、足止めちゃ駄目でしょー!」


 自分達の騎士であるフレデリクと、昨夜仲間になった少女のフィシカが手合わせしている所だった。
 それだけならまだいい。それだけではないのだ。

 二人の足元に落ちているのは大量の短剣と槍、斧、剣。短剣以外の武器はすべて壊れかけている。
 そして──


「フレデリクが圧されている……!?」


 自警団副団長であり、イーリス騎士団でも名うての騎士のフレデリク。
 そんなフレデリクが、一人の少女に敗北を喫しそうになっているのだ。
 しかも普段のフレデリクならクロムらが近づくと真っ先に気づいているのに、己らの存在に気づかない。
 それほど、必死になっているということか。


「く……ッ!」
「はぁっ!!」


 フレデリクの構えていた槍にフィシカの短剣が襲いかかる。身を守るため、フレデリクは槍を構え直そうとした。


「……! フレデリク、後ろだ!!」
「っ!」
「あら」


 クロムが思わず叫んだ。声に反応したフレデリクは槍を後ろに突きだし、目線を移す。
 そこにいるのは、さっきまでまったく別の場所にいたはずのフィシカ。


「なんだ、いつからいたの? クロムにリズ」
「……お見苦しい所を、見せてしまいましたね」


 額に流れる汗を拭いながら、フレデリクは二人に会釈をする。クロムがチラとリズを見ると、どうやら凄すぎて唖然としていたようだ。


「言ったでしょフレデリク、殺すつもりでかかってきなさいって」


 こんなことを言ってのけるフィシカ。
 普通一国の正騎士が言われるようなセリフではない。むしろ逆だ。


「ね、ねえ! この下に落ちてる武器って?」


 リズはハッとしたように言葉を発する。
 それを聞いたフレデリクは苦笑いを浮かべつつため息をついた。


「フィシカさんの攻撃を受けて壊れました。短剣はフィシカさんの所有物です」
「壊れた? これ全部か!?」


 かなりの量が床に落ちている。どうやらこれをすべて壊したらしい。
 クロムがフィシカを見ると「ごめんごめん」と軽く謝った。


「いやぁ、ちょっと力を入れるとバキッとね」
「あれの何処がちょっとなんですか。
 それより……もうそろそろあのトリックを教えていただけませんか」
「あー」


 あのトリックとはなんのことだろうか。
 リズとクロムが顔を見合わせたと同時に、フィシカが話始めた。


「ほら、私が一瞬でふれでっきゅんの後ろに回ったトリック」
「ああ、ふれでっきゅんの後ろに回ったあれか」
「え? ふれでっきゅんの後ろに回ったあれってトリックがあるの?」
「いい加減にしてください」


 もはや恒例行事となりつつあるわけだが。平謝りをしたフィシカは真っ直ぐと前を見据えた。


「ミスディレクションって知ってる?」
「みすでれ……?」
「ミスディレクションですクロム様。
 意味としては"視覚意識をずらす"……でしたか?」


 小さく頷いたフィシカはさらに続ける。


「端的に言うとそうね。まあ正直それだけで語れる物じゃないけど原理的には。
 私、生まれつき"人の認識をずらす"ことが出来るの」
「認識をずらす……」
「ほら、クロムとルフレで異形達……屍兵に改名したんだっけ。屍兵とたたかったとき、ルフレが不意討ちされそうだったわよね?
 あの時、貴方達の目には"遥か遠くに"私がいるように見えてたはず。だけど実際は違う、私はクロム達のすぐ近くにいた」


 だからルフレに襲う屍兵を倒せたの、なんて体を伸ばしながら言う。フィシカの言うことが本当なら、これはかなり凄いことなのだが。


「はー……フレデリクって全然隙見せないから認識ずらすのも大変なのよねー。
 疲れちゃった、私シャワー浴びて寝るわー」
「あ、ああ、おやすみ」


 フィシカはそれ以上言葉を騙らずに去っていった。
 クロムはその後ろ姿をただ見つめるだけ。


「……調べてみる必要が、ありますかね」


 フレデリクの言葉に返すものは、一人もいない。
Dear, My Doll.