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「もー、どこいったのよぉ!!」


 愚痴をこぼしても仕方がないことくらい知っている。それでも愚痴がこぼれてしまうのは、彼女の性なのか。
 軽く涙目になりながら、フィシカは長い廊下を走っていく。はぁ、と大きくため息をついた、その瞬間だった。


「おい、そこの女」
「へ?」


 後ろから、ハスキーな声が響く。振り返ると、そこに立っていたのは回りとは違う雰囲気を纏った男性。
 衣装はイーリスのものでもフェリアのものでも、ましてフィシカの出身国セルディストのものでもない。
 少し様相は変わるが、強いて言えばセルディストの隣国にある──和服≠ニ呼ばれるものに、近い気がしなくもない。

 ぴりぴりと刺すような空気で、しかしどこか和やかなオーラ。
 その矛盾した二つを纏う男を見つめて、ふと脱力した。
 一瞬不思議そうに思ったらしい男だったが、すぐに口を開いた。


「このブレスレット、お前のものか」
「!」


 じゃらりと音をたてて男が提示したのはオレンジが映えるブレスレット。
 フィシカが、探していた。


「あ……ありがとうございます!」
「っ、近づくな!!」
「えっ」


 ブレスレットが見つかった嬉しさで駆け寄ろうとしたら、男に制される。
 浮き上がった右足を固定したまま、フィシカは首をかしげた。


「お……、女は……苦手、だ」
「そ、そんな露骨に……」


 それしか、言葉は出てこなかった。まさか近寄るな、とすら言われるだなんて誰が予想できただろうか。
 一瞬苦笑いを浮かべて、フィシカは一言。



「でも、ごめんなさい、もう──」
「?」
「──背後、とらせていただいてます」
「な──っ!?」


 一瞬だった。男が瞬きした、その一瞬。
 フィシカの姿は、男が見つめていた場所から──消えた。
 代わりに声が聞こえてきたのは男の背後から。
 どういうことだ、と男は振り返り少しだけ地を蹴って距離をとる。


「ごめんなさい、折角拾っていただいたのに敵意を振り撒くようなことになって……。
 人から声をかけられることに、まだ慣れてなくて。……警戒しながら歩くなんて、バカらしいとはおもうのだけれどね」
「い、つから背後に──」
「最初から」


 にっこり笑ってみせたが、正直男にとっては畏怖しか抱けない。それほどまでに、男はフィシカが眼前にいると"錯覚"し、背後にあった気配を汲み取ることができなかった。


「く……俺が女に背後をとられるなど……」
「──あぁ、剣士の誇りを汚してしまったのなら、すみません。これは、こういう技術ですので……」
「どういう──……。……剣士、だと、いつ気づいた」


 男の眼光が少し鋭くなった。自分の素性をひとつも晒していないというのに、なぜ。
 警戒心が強まるのも、至極当然であろう。
 フィシカは笑みを口元に描いて、言う。


「私から飛び退くときの、足元かしら。
 騎士やアーマーナイトは、普段着ている鎧のせいであそこまで俊敏な動きは出来ない。かと言って暗殺者──アサシンや盗賊には瞬発力はあってもそれを使っての後退は基本行わないですしね。
 私の偏見だけど、剣士は所謂骨をおらせて肉を絶つ$法は苦手、だから後退する技術も持ち合わせてる」


 違いますか? と微笑んでみれば、男は苦虫を潰したような顔をして警戒体制をといた。
 どうやらフィシカの言ったことは合っていたようで、男は頭をかいている。


「お前……名の知れた剣士か何かか?」
「いやぁ……まぁ、変に名前知られているでしょうけども。私はただの元盗賊で、イーリスの自警団団員ですよ」
「名は?」
「ふふ、名を聞くときは、自ら名乗るのが礼儀よ?」


 含み笑って見せれば男の眉間に皺が寄る。それを目にすると、フィシカは目を伏せて、今度は出来るだけ優しく笑ってみせた。
 敵対心も警戒心も挑発心も、何も含まない、笑顔。


「まぁ、気にしないで。ブレスレットは、そこに置いといてください、取りにいきま──」


 目を開けてそういったフィシカの言葉は、途中で止まってしまった。男が──目の前まで来ていたから。

 あれだけ女に拒否反応を示していたのに? むしろ女として認識されてない?
 それはそれでショックな考えが頭を過った瞬間、男は言葉を紡ぐ。


「……何者だ?」
「え──」
「お前が纏う、その雰囲気は女のそれ≠カゃない。もっと違う、強大な──例えるなら、龍≠フような──」


 紡ぐ男の言葉に、フィシカは一瞬息を呑んだ。
 龍>氛氓ワさか、そこまで的確に本質を見抜いてくるものが現れるだなんて、思いもしなかったのだから。

 しかし、あっているとは言えないその言葉に、少しだけ安堵して。フィシカはほんの少しだけ、心からの笑顔を浮かべた。


「──フィシカ。それが私の、名前」
「……フィシカ?」


 男は口のなかで言葉を反芻して、一度その名前を肺へ飲み込んだ。思い付くキーワードはあったらしいが、少し躊躇いを見せ、ついにそれを口に出すことはなかった。


「ロンクー」
「あなたの、名前?」
「ああ」
「そう、ロンクー」


 フィシカは反芻せずその言葉を一度で咀嚼する。
 それを見届けた男──ロンクーは、フィシカにブレスレットを手渡した。


「ありがと」
「次に、会ったら、一度、手合わせしろ。お前のその雰囲気、……どちらにせよ、ただ者ではないのだろう」
「あはは、まぁ、手合わせで判断してよ、ロンクーさん?」


 イタズラに笑って、フィシカは踵を返した。
 ──因みに、このあとロンクーが"いくら体が固まらず近づけたといっても恥ずかしいことをしてしまった"という理由で悶々とするはめになるのはこれまたまた別のはなしである。
Dear, My Doll.