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「アルフ! アルフレッド! ……どこ!」


 レストーネ大陸《影の国》セルディスト、その城内に一人の少年の声が響き渡る。焦りの色を孕んだそれは、決して狭くない城の中に響かせるには少し小さなものだったが、その声量で十分だった。
 少年の探し人──アルフレッドは束ねた長髪を揺らしながら彼の前へと現れる。手本通り、と称するに相応しいほどに綺麗な一礼をし、その視線を少年へと向けた。


「アルフレッド・ベーア、ここに。……如何しましたか、フィジト殿下」
「……姉さんがいないんだ」


 アルフレッドが殿下と呼んだ少年フィジトは、胃の痛そうな顔でアルフレッドにそう告げた。その顔は、とても冗談を言っているようには思えない。
 それから、数秒。意味を飲み込んだらしいアルフレッドは、深く長い溜息を吐きだした。殿下、と呼んだ相手にはまかり間違っても見せるべきではないような溜息だが、フィジトもアルフレッドもあまり気にしていないらしい。


「……また陛下の悪い癖が出ましたか。この三か月で何回目です」
「五回目、かな……いや、回数はどうでもよくて! どうでもよくないけど、どうでもいいことにしておいて!」
「何か問題でも?」


 陛下と呼ぶべき身分の相手がいなくなる、というのは重大なことで、それが三か月に五回も起きているのは間違いなく問題だ。しかし残念なことに、この王城で働いているアルフレッドや、ここに住んでいるフィジトにとっては慣れている話だった。無論、人攫いに遭っている可能性も考えると、呑気にしている場合ではないのだが。
 しかし今回は少し様子が違うらしい。胃の痛そうな顔をしているのはそういうことか、とアルフレッドは納得して、フィジトの言葉の続きを待つ。
 口を開きかけたフィジトだったが止めにしたらしく噤んで、手に持っていた紙切れのようなものをアルフレッドに差し出した。アルフレッドはそれを受け取って──。


「……は?」


 紙切れに並んだ文字列を見て、その美麗な見目からは想像もつかないような濁った声と、眉を歪ませたような表情をした。
 信じられない、と言いたげに目をこすり、視線を外し、深呼吸をしてからもう一度紙切れに視線を落とす。当然、そこに並んでいる文字列は変わらない。


「……あのクソ女王、ついにやらかしましたね」
「アルフ、口が悪い」
「失礼」


 ごほん、とわざとらしい咳ばらいを一つ。大して悪びれた様子を見せることなく、アルフレッドは詫びを述べた。
 眉間に寄った皺をどうともしないあたり、本心から悪いと思っていないのだろう。殿下、と呼んだ相手にその態度がいいものかは疑問が残るが、フィジトも気にしていないような態度をとっている。これでよいらしい。


「……申し訳ありません、私がもう少しきちんと陛下を見張っておけば……」
「見張ったところで、おとなしくしていると思う、あの姉さんが」
「いいえ、まったく。仮にそうであれば、今の今まで大人しく籠の中の鳥だったでしょう」


 アルフレッドは苦虫を噛み潰したような顔で所感を告げる。その言葉はフィジトの想いと大差なかったらしく、そうだよね、とフィジトも小さく呟いた。そのあとに漏れた溜息はどちらのものだったのか。
 一瞬、フィジトの顔が曇る。姉が──女王が城からいなくなって、表情が曇らないはずがないが、それでもその顔はアルフレッドにとって、いつものフィジトのものよりも重いものに見えた。故に、アルフレッドは口を開く。


「如何なさいました」
「……いや、僕もね。思うことはあるんだ」
「と、言いますと?」
「姉さんが王位を継ぐのは早すぎたんだよ、……姉さんの能力に寄らずね」


 本日何度目かもわからない溜息を吐き出しながら、フィジトは答える。アルフレッドは、何も応えずにフィジトの言葉を聞いていた。

 否。
 本当は、アルフレッドも同じ思いだった。

 この国の女王──アルフレッドから見て仕える主人、フィジトから見て姉にあたる少女は、十五の時に王位を継いだ。それは前国王に能力を認められて、というわけではない。
 前国王はフィジトや女王が十五の時に崩御した。他国の死者に殺されて。


「姉さんは、父上の死を自分のせいだと思って、だから自分が王になることを選んで……その責任を取る、なんて言ったけど」
「…………」
「……あれは姉さんのせいじゃないし、だから姉さんが責任を取ることなんてなかった」
「それは……確かに、殿下の仰る通りですが……」
「わかっているよ。国に王が無いのは国の衰退の原因になる。それをわかっているから、僕も母上も、姉さんが王位に就くことを止められなかった」


 母は王家の血に連なる者ではなかった。フィジトは国王の死に何の関与もしていなかった。であれば、その座に就くべきは自分だ、と当時の彼女は考えたのだろう。
 その双肩にどれほどの重責がかかろうとも。その背にどれほどの想いが乗ろうとも。それを為すべきは自分だと、そう思ってその座を選んだのだ。……きっと。



「……気持ちはわかるよ、僕だって。でも、それにしたって……早すぎた。年齢じゃない。心の問題だ」
「それは……」
「目の前で父が死に、小規模であれ国家間の戦が起こり……、それから間もなく、姉は女王になった。心の整理だってついていないだろうに」


 本来ならば、女王が王位に就くのはずっと先の話だった。もしかすると姉ではなくフィジトが王になっていたのかもしれない。
 女王は、その心構えをすることもなく、そして父の死から心を整理させることもなく王になってしまった。
 だからなのだろう。女王が時折城から脱走してしまうのは。時折子供の用に戻ってしまうのは。……だからなのだろう、こんな手紙を残してでも、愚直なまでに走ってしまうのは。


「……このことは民には伏せておいて、しばらくは僕が影武者をしよう。幸いにも顔は似ているんだ、顔を見せる程度ならば可能だろうからね」
「承知いたしました。近隣国へは?」
「《光の国》には報告しておこう。あそこには信の置ける幼馴染がいるからね。……その手紙は処分しておいてくれ」
「はっ」


 フィジトの言葉でアルフレッドは手紙にもう一度視線を落とす。綺麗な文字で書き連ねられた「復讐してくる」の一文は、どこか震えているようにも見えた。



Prologue
(あの人の時間は、きっとあの日で止まっている)
Dear, My Doll.