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「ぐはぁっ!!」
「な──っ!?」


 突然、男が血の泡を吹く。何故? 何もしていないのに。
 困惑するフィシカの耳元で、《存在》が揺蕩(たゆた)うような声で囁いた。


《……気をつけて、いるよ》


 まったく何がいるというのだ。
 フィシカの耳元で囁く《存在》はそれだけ伝えると、それきりしん、と静まり返る。いなくなったのだ。伝えたいことだけ伝えて消えてしまうなんて、自分勝手なことこの上ない。
 しかし──震えた空気によって、その考えは払拭される。


「使えないわね、ほんと」
「──ッ!!」


 反射的に構える。何処かで聞いたことのある、しかし思い出せない声に、本能が叫んでいた。
 この声の主は、敵である、と。


「……殺してはいないから安心なさいな。 まぁ、殺してもいいのだけれど」
「……出てきなさい!!」
「やぁよ、なんで敵意を振りまくあなたの前に出なきゃいけないの?」


 もっともな意見を吐き出して、声の主は笑う。手に持っていた短剣を捨て、懐からロキをとりだした。
 特別な時にしか取り出さないこの剣もある意味ではフィシカの贖罪で、戒めで、そして誓いだった。


「んー……何者、か、ねえ……。《ヴァレーダ》の人間でそいつらに命令をくだしたもの、とだけ言っておくわ。あなた、《セルディスト》と関係がありそうだもの。不用意に情報は渡せないわ」
「…………」
「この大陸には《龍》がいるみたいだし……でも、まぁ。貴女が知るわけないわね」


 悟られてはならない。龍の居場所を知っていることを、悟られるわけにはいかない。悟られてしまえばこの場の争いが酷くなるのは、目に見えていたから。
 そして幸い、フィシカの思惑通りに悟られることはなかった。


「いいわ。そいつらは私が連れ帰る」
「……どうするつもり?」
「さあ? そんなのは《王》が決めるわ。貴女も逃げるなら逃げなさい。この大陸はいずれ戦乱に巻き込まれる」


 ロキを握りしめた右手が軋む。
 掌に血がにじむほど、しかし痛みは感じない。それほど、フィシカは怒っていた。
 貴女が──貴女が、この大陸の戦乱を招いたというのに!


「貴女は、……《セルディスト》をどうしたいの?」
「《セルディスト》を……じゃないわ。私たちが変えたいものは、世界。すべてを破壊し尽くして、新たな世界の再生を行うだけ。それを成し遂げるためには、他国の龍は邪魔なのよ。さっさと手中に収めるか、殺して、世界に混乱を招きたいだけ」


 ふふふ、あはははは。
 声の主は狂気を孕んだ笑い声を空に響かせる。
 ちらと背後をみてみれば、クロムらの戦いの前線が迫りつつあった。
 それを一瞥し、フィシカは声の主に向かって話しかけた。


「王に言っておきなさい」
「……なに?」
「イーリスの戦乱も、《セルディスト》への脅威も、全部私が食い止めると」
「……うふふ、出来るものなら、ねえ?」


 それを最後に、女の気配は消えてしまった。
 足元に横たわる、慈悲を与えた"つもり"の《ヴァレーダ》の兵士は、どうなるのだろう。せめても、せめてもと、フィシカは持っていた傷薬を人数分足元に置いて踵を返した。
 そしてそのまま向かったのは──今、自分を置いてくれて、自分が守るべきものの所。


────────


「っく、数が多すぎる! なんだ、こいつら……ッ元々戦争する気だったみたいだな!!」


 やや乱暴にクロムがファルシオンを振るう。
 ルフレはその言葉を聞き届け、クロムに言葉を投げかけようと口を開く。勿論、右手に鉄の劔を掲げたまま。


「そうだね、この数は流石に……。それに、フィシカは? まさか寝返った、なんて──」


 それはルフレらにとって一番考えたくない可能性だった。
 誰一人として殺さない彼女は仲間としてはたのもしい限りで、しかし仮に敵として対峙すれば脅威でしかなかった。
 狙った獲物は逃がさない、とでも言おうか。仮に彼女に見染められ──勿論悪い意味でだ──てしまえば、その刃から逃れることはほぼ不可能だから。
 そして殺さないということは、記憶にその恐怖を残すということ。ある意味では生き地獄になると──ルフレはそう知っていた。

 そんなルフレの横を鋭い光が掠める。
 敵か!? そう思い光の根元をみてみると、其処には見慣れた顔があった。


「……っ、ロンクー!?」
「…………」


 なぜだ。仲間であるはずのロンクーが、何故自分に刃を向ける!
 文句のひとつでも言ってやろうと、ロンクーに歩み寄ろうとした時だった。


「……お前は、フィシカと剣を交わらせたことがあるか」
「え?」


 何を言っているんだ。ルフレには何も理解出来ない。
 だが、ロンクーの目はいたって真剣だった。


「……剣は、嘘をつかない」
「は……?」
「あいつは、裏切るようなやつではない。……それが分からないなら、一度刃を交えろ。あいつの本質が、剣から伝わる」


 そのままロンクーの視線が、この場を任されたらしいペレジアのドラゴンナイトの方向を見る。
 クロムらもそれにつられるように、ゆっくりその視線をなぞると──。

 ──いた。


「フィシカ!」


 両手に翳したナイフは既に血で彩られている。
 クロムが彼女の名前を呼び、漸くフィシカはこちらをゆっくりと振り返った。その表情は酷くかなしげで、消え入りそうで。


「……終わったよ、みんな」


 にっこり、無理矢理な笑顔を張り付かせる。その瞬間に、そのドラゴンナイトの身体は後ろへと傾き──
 どさりと鈍い音を奏でながら、峠の岩肌へと落ちていった。



私が望む世界
(すべての人が幸せに、なんて)(結局は紛い物でしかないのかもしれない)
Dear, My Doll.