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夜、イーリス城の中庭で、フィシカは一人散歩をしていた。
戦争が始まる──。たったそれだけの事実が、フィシカの肩に重くのしかかる。
逃げてもいい、とルフレは言った。確かに自分は他国の──、否、他大陸の人間だ。いなくなったとしても、誰もフィシカのことを咎めないだろう。仕方ない、と言ってくれるだろう。しかし、それでもフィシカはその選択肢を選べなかった。
戦争は嫌いだ。だが、何もせずに人が死ぬのを見るしかできなかった自分が一番嫌いだ。
祖国で見た戦争は未だにフィシカを縛って離さない。何も出来なかったから、あの人は死んだ。私が何かしていれば、あの人は助かったかもしれないのに。
それは呪いのようなものだった。フィシカを捉える、一生解けないであろう呪い。
もし自分が戦争に加わることで、救われる人間が一人でもいると言うのなら──。
「……とは言っても、ねぇ」
確かに、救われる人間はいるのだろう。だがそれと同じだけ、悲しみに濡れる人間もいる。そのことをフィシカはよく理解していた。だから嫌いなのだ、戦争は。
ふぅ、と息を吐き出して空を見上げる。戦争なんてものを知らない空は、不気味な程に澄んでいた。輝く星々は全ての人を等しく照らす。
《フィシカさん》
「…………」
かけられる声は、《存在》のもの。《龍の器》たる素質がないものには決して聞こえないその声。
《存在》は、ずっとフィシカのことを導いてきた。間違った方向に行きそうな時は正し、そうでないときは黙ってフィシカの手伝いをする。それが《存在》が行ってきた一端だ。
「……なぁに? フォーゼ」
フィシカは《存在》──フォーゼのことを全面的に信用している。言葉遣いこそ刺々しいものの、それは信頼からくるものだった。
フォーゼは間違わない。少なくとも、フィシカが目指す世界や事象に向かうということに関しては、正しいことしか言わない。だからと言って判断をフォーゼに委ねることはないが、それでもフォーゼの言葉はフィシカにとって重大だった。
《後悔してる? この大陸に関わっちゃったこと》
「……まさか。確かに大変だけれど、クロムやルフレ達に出会ったことは幸運だと思ってるわ。
それに、祖国に戦争を起こした《ヴァレーダ》の奴らと会うことが出来た。異形──、屍兵を発見することもできた。……少なくとも、私が戦うべき相手に近づいてるのは、はっきり分かる」
ぎしり、と歯が鳴った。気づかぬうちにきつくきつく食いしばっていたらしい。しかしそんなことはどうでもいい。フィシカにとっては、それ程まで戦うべき相手≠ヘ重要な存在だった。
前国王を殺し、祖国を戦火へ包んだ国、《ヴァレーダ》。フィシカはその国を、決して許しはしない。そしてその火種となった、現女王も。
《戦うべき相手と、戦った後は?》
「……わからないけれど、そうね、誰にも告げず帰るんじゃないかしら。その方がきっと、互いのため」
《あっはは、フィシカさんってば、本当に律儀だなぁ》
「うるさ──」
「フィシカ? そこに誰かいるのかい?」
「!」
背後からかけられた声に肩を跳ねさせる。振り返ればそこにいたのはルフレだった。神妙な面持ちで近づいてくる彼の姿を認めて、そちらへと向き直った。
誰かいるのか、と言いたげにルフレはフィシカの背後を覗き込む。が、もちろんそこに人はいない。当たり前だ、その姿も、声も、普通は器たるもの以外には見えないし聞こえないのだから。
「誰もいないよ、独り言。……考えを整理したくて、ね」
「そうだったのか。考えの整理?」
「ええ、戦争のこととか、祖国のこととか、ね」
「…………」
沈黙。互いに素性を明かさない──というより、ルフレは明かせないだが──二人を纏うその空気は、明るいものとは言えなかった。
重い空気は嫌いではない。そもそも戦争前に明るい空気に持っていけるはずもなかった。が、だからと言ってこの雰囲気を維持し続けるのもよろしくない。話を変えようと、フィシカは口を開く。
「……ルフレは、何をしに?」
「え? ああ、うん、僕は……クロムを探しに来たんだ」
「いないの? 一緒に探すわ」
「ありがとう」
そんなことを言いながら二人は庭を歩く。ざっざっと土を踏む音だけが庭に響いた。
二人とも、言いたいことはたくさんあった。聞きたいこともたくさんあった。が、何となく憚られて無言の時間が続く。
「…………」
「…………」
「……ねえ、ルフレ」
ルフレは無言でフィシカへと視線を移す。何、と問いかけることはなくても、それがフィシカの言葉への応えだということは、フィシカには伝わった。
視線を合わせることもなく、続ける。
「もしも──、もしも自分の行動のせいで、大切な誰かが死んでしまったら……ルフレは、どうする?」
「また、急な質問だな。……僕は、……僕なら耐えられないかもしれない。きっと悔やんで悔やんで悔やみ続けて、……苦しんで、どうなるだろう」
「曖昧ねぇ……」
「しょうがないだろ、わからないんだから。……でも、そうならないようにしたいとは、思うよ」
「…………」
そうならないように、か。口の中でその言葉をつぶやいて、歩みを進める。
──過去は変えられないけれど、もしもそんな未来が待っているとしたら。そんな決意を心に秘めて、フィシカは夜の庭を歩み続けた。