13



────────
──────
────


「っ……」


 その日、少女は冷たい床の上で目を覚ました。
 僅かな明かりでのみ照らされるその場は酷く暗く、目覚めたばかりの少女の視界に映る情報量は些か少なすぎる。
 冷たい床が煩わしく、少女は体を起こし辺りを見渡す。しかし自分の目に映るのは暗い床と、辛うじて見える鉄の檻だけだった。


「……ここは……」


 どこだろう。ここで眠る前に自分は一体何をしていたのだろう。
 思い出そうとしても頭の奥がずきずきと痛んで、思い出すことを拒む。痛い、痛い。そうして、ようやく違和感に気づく。

 違う。
 何をしていたのかを思い出せないわけではない。自分が何をしていたのか、自分がどうしてここにいるのか、自分が何者なのか──。
 思い出そうとすると思考に靄がかかったように不明瞭になり、恐ろしいほどの頭痛に苛まれる。

 気分が悪い。だがそんなことどうでもよくなるくらいに、少女は混乱していた。
 自分は何者でどういった人間で、何故ここにいるのかなんてものはおろか、自分の名前すら思い出せないのだから。
 名前、名前。私の名前は、なんだ。
 口の中で自分自身に問いかけるものの、やはり答えは返ってこない。思い出せない。

 狂ってしまいそうだった。自分が何なのか思い出せない状態で、こんな暗闇にひとり投げ出されているのだから。
 理性の糸が裂けて、切れて。
 大声を上げ発狂──する寸前、ひとつ、この場には似つかわしくないような、自分のものとは別の少女の声が聞こえてきた。


「やーっと目ぇ覚ましたわね。ほんと、あんたって呆れかえるくらい寝てるんだから!」


 声が聞こえてきたのはどうやら牢の外らしい。恐る恐る視線を上げて声の出処を探ろうとすると、それは案外近くにあったらしく、出処と思われる場所は少し明るくなっていた。赤髪を二つに結った少女が、燭台を持って立っていたのだ。
 今のは、君が。そう問いかけようとして彼女の顔を見る。
 視線が絡まる。ずきりとまた頭が痛んだ気がしたが、それに気をかけるよりも先に少女が口を開いた。


「ほんと呑気なものよね、ルドヴィカ。あんた自分の置かれた状況わかってる? そりゃあまぁ、あたしがうまくカミラ様たちに──」
「……ルドヴィカ」
「え?」
「それが、私の名前なのか……?」


 投げかけられた固有名詞を復唱し、目の前の少女へと問いかける。彼女が誰かは分からないが、何らかの事情を知っていると見て間違いなさそうだったからだ。
 しばらくの沈黙の後、彼女は檻ごしにずいっと顔を近づけてきた。誰かに似ている気がする。だというのに、何も思い出せない。ずきり、と頭が痛んだ。


「あんたまさかまだ寝ぼけてんの? ほんっと、だらしないんだから。前の戦争が終わった瞬間ぼーっとすることも増えて……。いい? あんたの名前はルドヴィカで、ここで使うべき名前は──」


 ルドヴィカ、ルドヴィカ。反芻して固有名詞を飲み込んだ。
 どうもしっくりこない──というよりも、自分のものとは思えない響きに多少困惑しつつ『それが事実なのだろう』と受け入れる。目の前にいる少女が何かを続けた気がしたが、そんなことは頭に入ってこなかった。
 突然、少女の言葉が途切れた。不思議に思って目をそちらにむけると、彼女はなにか信じられないものを見たような顔でこちらを見ている。


「……嘘、でしょ」
「?」
「あんたまさか、本当に、本当に……何も覚えてないの?」


 本当にも何も、覚えていないものは覚えていない。ただそれだけが事実。こくりと小さく頷いてみれば、


「…………そう」


 酷く落胆したような──、否、絶望したような声で、少女はそれだけを呟いた。
 ……もしかして、自分は彼女にとって何か特別な存在だったのかもしれない。確証はないが、彼女の表情を見てなんとなくそう思った。
 だとすれば、酷いことをしてしまっている。申し訳なさに少しだけ視線をそらせば、少女から歯軋りが聞こえた気がした。


「……申し訳ない」
「……ばっかじゃないの。あたしは別に謝ってほしいわけじゃないから」
「そう、だな」
「……ああ、もう! あんたがそんなのだとこっちまで調子が狂うわ!」


 はぁー、と大きな溜息が聞こえてきた。そんなことを言われても、申し訳ないと思う気持ちは大きくなるだけだ。
 ただ、少しだけ、ほんの少しだけ安堵はしている。自分のことを知っている人がいる、という事実に。それが少女にとってどれだけ酷な事実なのかは、わからないが。


「……『初めまして』、あたしはルーナ。この暗夜王国の第一王女、カミラ様の臣下よ」
「ルーナ、」


 違和感を覚えた。何が、とは言えない、分からない。だが、確かな違和感が自分の──ルドヴィカの胸中を埋め尽くしていたのだけははっきりと感じる。まるで、その『ルーナ』という名前が、彼女の『器』──わかりやすい表現をすれば、『容姿』と一致しないような違和感だ。パズルのピースが、はまらないような。
 違和感の正体が何か知る術はない。だからこそそれを口にすることはなく、彼女の言葉に耳を傾けていようとすると。


「真紅のルーナよ、我が声を聞き問に応えるがいい!!」


 何か変なやつが現れたな、なんて漠然と考えながらルドヴィカはその声の方へ顔を向けた。その声にもまた、新たな違和感を抱えながら。

back

Dear, My Doll.