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「…………」


 何も、応えることは出来なかった。何かを言って、目の前にいるあの男──暗夜王ガロンとやらの機嫌を損ねてしまえば、命が危ないのがなんとなくわかったからだ。
 彼がルドヴィカに向ける視線や空気、威圧感は常人のものとは桁違いに鋭い。物理的な刺激など何もないはずなのに痛い≠ニ錯覚してしまうほど、それらは質量を持ってルドヴィカに襲いかかっていた。


「名は」
「……ルドヴィカ」


 未だにどこか自分の名前とは思えない名詞を、ゆっくりと口にする。何か間違ったことを言ってしまえば即首を刎ねられてしまうのではないかという恐怖が、彼女の唇を震わせた。
 幸い、震えていることには気づかれていないらしい。玉座に腰掛けているガロン王は満足げに唇に弧を描き、ルドヴィカのことをなかば見下すようにしてみている。やがてゆるく弧を描いた唇は、再びこの場の空気を震わせた。


「貴様は、ここに来るまで何をしていた」
「…………」


 答えられるわけがない。思い出せないものを、どう答えろと言うのだ。
 無論ガロン王がルドヴィカの記憶喪失等を知っているわけがない故に、そんな質問を投げかけてくるのだが。
 どう答えるべきだろう。逡巡するルドヴィカは少しだけ視線を落とす。

 ……記憶のない今、ルドヴィカの眼前には死んだも同然のような世界が広がっている。
 どこかでルドヴィカの帰りを待っている人がいたとしても、ルドヴィカはそれを覚えていない。相手の世界でルドヴィカは生きているかもしれないが、ルドヴィカの世界で相手は生きていない。
 そんな自分に、未練などはない。否、なくはない。思い出せたら、とは思うが、その目処も立たない以上、そんな期待はしない。

──殺されたら、その時はその時だ。

 諦めにも似た感情が、ルドヴィカの胸中を覆う。覚えていないものは覚えていないのだから仕方が無い、と、口を開きかけたその瞬間、まあ良い、とガロンが口にした。
 ……言わなくて済んだのか。理解した瞬間全身から力が抜けていく。とは言ってもここで倒れ込むわけにはいかないので、なんとか持ち堪えてガロンたちの方を向き直す。


「わしは、貴様の実力が見たい」


 実力。何のことだろうか。心の中で反芻してみてもいまいちピンと来ない言葉にルドヴィカは内心首を傾げた。無論、そんなことを知る由もないガロンはただただルドヴィカを見下ろすばかりで、何かを示してやろうという気はないらしい。
 品定めをされているようで、落ち着かない。


(……否)


 事実、品定めされているのだろう。
 一体何を己に期待しているのか、そんなものは分からない。だがあの瞳は間違いなく品定めをする瞳だ。記憶を失ったルドヴィカとて、そんなことは容易くわかる。隠す気もないのだと、そんなことまで。


「マークス」
「……はっ」


 マークスと呼ばれた背の高い金の髪の青年が歩み出る。頭の冠を見るに、位が高いことは嫌でも理解出来る。王位継承者、或いはそれに準ずる地位の者だろう。周りの人間を見るに、王位継承者という見方が正しいだろうが。
 なぜ自分はそんな人達の前にいるのだろう。疑問が脳裏を過ぎるが、今は考え事をしている場合ではない、と手のひらを握って思考をこちらへと戻す。
 マークスの赤い瞳が、すっとこちらを見ながら細められた。


「ルドヴィカ、と言ったな。今からお前には模擬戦を行ってもらう」
「模擬戦……」
「私の信を置く部下達がお前の相手だ」


 何の模擬戦ですか。
 そんな言葉は、なにか金属が地面に落ちる音にかき消された。
 ……聞き覚えがある。忘れているはずなのに、ルドヴィカはこの音を知っている。

 この音は非日常への誘いだ。この音は日常では聞いてはならぬものだ。この音は、この音は。
 たらりと冷や汗が垂れる。ぞわりと悪寒が背筋を這う。見てはいけない、見たくない、どうか想像と違うものであってくれ、と祈りながら、ルドヴィカは音のした自分の足元へと視線を落とした。

 期待など、裏切られるためにあるようなものだ。
 回らぬ頭の中で、そんなことを考えていたように思う。

 そこにあったのは、一振りの剣だった。
 ぎらりと艶めかしく煌めく刃が伝えてくる。これは訓練用ではない。正真正銘、真剣だ。指を滑らせれば切れるだろう、喉を突けば裂くだろう。見ただけだというのに、その想像は容易くて。


「──な、」


 ちらとマークスを見れば、彼の手がそれ≠ルドヴィカの足元へと落としたのだと言うように宙にあった。たまたま落としてしまった、というわけでもなさそうで。
 つまり、これは。


「……文字通り、」
「真剣¥泄奄フ、模擬戦だ」


 そんな、と言う間もなく。
 ルドヴィカの手につけられていた錠は緩み、ルドヴィカは漸く不自由の自由を得ることが出来たのだ。無論、そこに「剣を取らない」という選択肢などあるはずがないのだけれど。



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Dear, My Doll.