18
「レディファーストだよ、一手目は譲ってあげる。ピエリもそれでいいよね」
「もちろんなの! だって、ピエリたち負けるはずないの!」
ラズワルドが提案し、ピエリがそれに同意する。レディファーストと言えば聞こえはいいが、実際は挑戦者側に対して優位を与える、ハンデのようなものなのだろう。それも、ラズワルドはともかくピエリの方は己たちが絶対に勝つという自信の元で。
そんな優位性は要らない、と跳ね除けたいところだが、如何せん自分がどのように暮らしていたのかの記憶が無い。故に、もしかしたら優位を貰っていた方が良く立ち回れるのかもしれなかった、という可能性を捨てきれず、また、そうでなくても記憶が無いまま戦うには最初の一撃を貰った方が有利に戦えることが出来るのも間違いない。
ではお言葉に甘えよう。ルドヴィカは言葉もなく剣を構えた。なんの疑問も持たず、なんの不自然さも泣く。それに気づいて、ルドヴィカの背筋が凍った。
それはきっと、以前の記憶を持っていた自分がこういうものを扱っていたという証左だ。記憶が無くても体が覚えているという証拠だ。故にルドヴィカは息を呑む。覚えのない自分がしたことに震える。
そして、そのまま呑んだ息を吐き出した。余計なことを考えていては剣で貫かれて終わってしまう。だから、余計ではないことを考えを巡らせた。
状況を見る。一対二、向こうは男と女のペア。男は剣を、女は槍を持っている。初動は此方が貰えるらしい。ラズワルドが嘘をついていなければ。
ならば考えるべきはひとつだ。どちらを先に攻撃するか、その一点。
初撃で二人を捉えられるのならばそれが一番いいだろう。しかしこちらは一人で、背丈が特別高いというわけでもなければ特別な技術を持つ訳でもない。不可能だ。
ピエリを攻撃するか、ラズワルドを攻撃するか。どちらを攻撃してどちらを残しても欠点は存在していた。
ピエリが持っているのは槍だ。重心の位置、立ち振る舞い等を考慮するとこちらが不利になる。
それならとラズワルドを考える。相手は男で、おそらく力の差がありこれもまたルドヴィカが不利になるだろう。記憶を失う以前のルドヴィカがどれだけの力を持っていたかはわからないが、少なくとも今のルドヴィカにはそう思える。
どうするかと考えて考えて、答えはすぐに出る。あまりにも簡潔に。
そのままルドヴィカは地面を蹴った。
槍に対する不利は自分のタクティクスでどうにでもなる。重心の位置が悪いならそれをずらせばいい。間合いが悪いのならば懐に入り込めばいい。初撃ではなくとも、何とかなりうる範囲だと思う。
だからこそルドヴィカが狙うのは、今すぐに埋めることの出来ない力の差≠ニいうものを持つラズワルドだ。
「──……って、考えて、そう来るよね!!」
「っ!」
上段から振り下ろした剣は、金属同士がぶつかる甲高い音を奏でる。ラズワルドが己の剣でルドヴィカの剣を止めていた。幸い体が覚えているのか、足は地面に縫いとめられて弾き飛ばされることは無い。
きりきりと剣が擦れる音がする。ここから二撃目を打つべきか、或いは飛び退いて体勢を整えるか一瞬思考するも、その思考をすぐ端へと追いやった。
「避けるのラズワルド!」
「ピエリ!」
「だろうなぁっ!」
背後の気配を感じるよりも先に、或いはそうしろと脳が命令をするより先に体が動く。かち合っていた剣を引き、体を横へと倒してその場を脱する。
靴が地面を擦り、目が前を向いた。首があったであろう場所にはピエリの槍の切っ先が残っている。
そのまま再び地面を蹴る。姿勢を整える余裕などどこにもありはしない。ずれた剣を一瞬間のみ宙に投げて持ち直す。
姿勢を低くして、ラズワルドの懐に潜り込む。彼が体勢を整え直してしまってはこちらの不利を覆すことは難しい、そう判断してのことだ。
剣を振り抜く。首を目がけて。峰の方を向けてはいるが、刃を向ければ首を落とすつもりで。
取った、と思ったがその剣が首を捕えることはなかった。ラズワルドが己の腕で首を守ったからだ。身を撃つ感覚は伝わってこず、変わりに柄を握る手に感じたのは金属を打った音。アームガードをしてるならそれも道理だろうと妙な感心が頭を掠める。
次の行動を考える前に体が動いた。あとから追いついた考えは行動と同じもので、やはり記憶が無くても体が覚えているのかと思ってむず痒い気持ちになる。
自分は、過去にもこんなことを。
打ち合うのは得策ではない。打ち合えば打ち合うほど負けていくのは力の弱い自分だと、ルドヴィカは理解していた。
ならば劇のような打ち合いなどこの戦いには不要だろう。だから、とルドヴィカは脚を振り上げた。
「な、ぐっ!!」
これが正当な闘技であれば怒られもしただろう。しかしそうではない。王の御前ではあるが、それだけだ。
故に、ラズワルドの横腹を蹴り飛ばした。足の腹を使って自身から突き放すように。武装していると言っても勢いに任せて蹴り飛ばされれば体はいくらか後退する。
その隙をルドヴィカが見逃すことはなく、
蹌踉けけたラズワルドの腹部を今度は剣の柄で殴った。身で刺していれば一撃で殺せるだろう。
腹部を思い切り殴られたラズワルドは地面へと倒れ伏す。申し訳ないという気持ちが起きなくもないが、彼とまともに戦っていてはこちらが不利な状況から脱することは出来ないのだから仕方がない。時間があれば謝っておこう、と考えたその瞬間。
「もらったの!」
「──ッ!!」
背後からピエリの声がした。咄嗟に剣で己の身を守りつつ槍を弾いた。
だが弾かれたのはルドヴィカも一緒で、身構えていなかったルドヴィカの方が分が悪い。弾かれた剣は勢いに任せてルドヴィカの手を離れ地面へと落ちる。
カツン、と、剣が地面に落ちる音がしたその瞬間。
──……様、……様、生きてくださ……。
──剣が折れ、たとえ手に残ら……も……。
──貴方様は、貴方様だけは……。
頭の裏に、ぼんやりとした声が聞こえた。朧気で、今にも消えてしまいそうな声だ。それでも、ルドヴィカの耳にはうるさいくらいに届いている。
これは、記憶だ。自分の中にある、はるか昔の記憶だ。断片だけで、それ以外のことは何も思い出せないけれど。
思い出した。思い出してしまった。
「ダメだピエリ! ルドヴィカの剣を弾くな!」
だから、遠くで聞こえたオーディンの声が、自分のこととは関係の無いものに聞こえた。
そうだ。
たとえ剣が折れても、離れても、何も残らなくても、自分は生き残る術を教えられて、それから。
それ以上は思い出せなくて、しかし体は動いている。
思考より先に。考察より先に。回顧より先に。
足が地を蹴り、体が宙を跳ねる。手が伸びた先は、ピエリの腕だった。
「な、なんなのよ!?」
ピエリの焦燥の声が場に響き、しかしルドヴィカの耳には入らない。思考は記憶に犯され、作業のように体が動いている。
槍がルドヴィカを払うよりも先に、ルドヴィカの手がピエリの手首を掴み、その手から槍を落とした。
「──は、……」
「な、何なの……い、痛い! 痛いってばぁ!!」
ギリギリと手首を締め上げる。そのまま彼女を組み敷き、ピエリの腕を後ろへと引かせた。普通ならできない動きをする関節がぎしぎしと音を立てているのがわかる。
痛い、痛い。ピエリの叫びは反響するが、ルドヴィカはまるで意に介さずその動きを止めることは無い。
「…………」
「痛いのー! やめ、やめてって……ば……!!」
軋む関節の音すら気にならない。
こうしなければ、という焦りがルドヴィカの心に芽生えていた。そしてそれに呼応するように、体が行動を起こしていた。
「……私、が」
その先の言葉が紡がれることは無かった。
ひやり、と首筋に冷たさが這う。それに呼び起こされるようにしてルドヴィカの正気が戻って、心を支配していた記憶のようなものが静まるのを感じる。
二、三度息を吐き出して、ピエリの腕を掴む手の力をほんの少しだけ緩めてから、ルドヴィカは口を開く。
「……どういうおつもりですか、マークス王子」
首に当てられた刀身の黒い刃が、今にもルドヴィカの首を切り落とそうとしていた。
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