02



 小さく息を吸いながら、目の前にある扉を見つめた。何度も何度も行き来したこの扉の向こうには、自分たちが仕える主君がいる。


「失礼します」


 3回ノックをして部屋へ入る。後ろに続くジョーカーの態度が少しだけ変わったように見えるのは、ここがカムイの部屋だからだろう。
 昔はこんなこともできなくて随分と怒られたものだ。もっとも、恥じらいがないルドヴィカは主君たるカムイが着替え中であっても気にすることはなかったのだが。

 部屋に踏み入って最初に目に入ってきたのはよく似た顔をしたメイドの二人と老いた騎士だった。二人ともルドヴィカのよく知る人物だ。


 メイドの二人の名前はフローラとフェリシアと言った。髪の毛が水色でツインテールをしている方がフローラ、ピンクでポニーテールをしている方がフェリシアだ。

 二人の出身は暗夜でも白夜でもなく、氷の部族という、氷や吹雪を操ることができる部族の出で、族長の娘である。もっとも、現在氷の部族は暗夜王国の支配下にあるが。
 フローラはしっかりものの姉と言った風で、メイドとしての仕事も卒なくこなしていく。ルドヴィカにとっては敬愛する先輩、と言ったところか。
 フェリシアは姉とは違いおっちょこちょいのドジっ子という言葉が似合う。メイドとしての仕事はあまり上手くはないが、その持ち前の明るさとカムイへ対する忠誠は誰にも負けていない。


 騎士の方の名はギュンターという。
 元はこの暗夜王国の王であるガロンに気に入られていた騎士だったが、今はどういうわけかカムイに様々なことを教える立場となっている。きっと個人の問題なのだろうと思って、干渉はしないが。

 と、肝心のカムイの姿が見当たらない。疑問符を浮かべて部屋を見渡してみると、三人が集まっているのがカムイの眠るベッドの周りということに気づいて、ルドヴィカは思わず苦笑いをこぼす。
 カムイは何処か抜けているところのある少年だ。おそらく、ルドヴィカと違って前日から教えてもらっていたのだろうが、忘れて寝ているというのが今の状態だろう。


「おはよう、フローラ、フェリシア、ギュンター」
「カムイ様はまだ寝ていらっしゃるのか?」
「ええ……そうね。普段ならまだ起こさないけれど、今日はもう起こさなきゃ……」


 三人が集まるベッドへ歩み寄る。
 フローラの声を聞きながらベッドを覗きこめば、そこには全体的に色素が薄く、左のもみあげのみが長い少年がすやすやと寝息を立てていた。
 暗夜王国の王族は皆、綺麗な顔立ちをしている。そんな王族の誰にも引けを取らない美しい顔立ちをしたこの少年こそが、ルドヴィカらの主たるカムイだ。

 ルドヴィカは、少年の表情が好きだった。
 ほぼ幽閉状態と言って差し支えがない彼は、外の世界を知らない。故に外の世界の穢れを知らない。穢れを知らないその笑顔は、眩しかった。
 出来ることならばこの寝顔をずっと見ていたいと思ってしまう。が、今日はそういうわけにもいかない。


「カムイ様〜! 朝ですよ、カムイ様……!」


 フェリシアがカムイの顔を覗き込みながら声をかける。んん、と小さな声がカムイから漏れた気がするが、起きる気配はない。
 フローラも同じように顔を覗いてみるものの、やはりそこにあるのは気持ちよさげに眠るカムイの寝顔だけだ。
 どうしたものか、と皆で頭を悩ませてみるが、やはり声をかける意外に方法は思いつかない。


「朝ですよ、カムイ様」
「朝ですよ〜カムイ様。起きてくださ〜い!」
「カムイ様、ご起床の時間です。どうかお目覚めください」
「……ん、ん」


 ゆるりとカムイの目が開く。
 ルビーのような赤い色が眠たげにルドヴィカ達を映して、彼はほんの少しだけ困ったように眉をしかめる。そのまま体を起こして口を開くが、やはりその顔はとても眠たげだ。


「うーん……なんだ、フローラにフェリシア、それにルドヴィカ……、まだ夜中じゃないか」


 確かにその言葉に偽りはない。否、夜中、というのも表現的にはおかしいのかもしれないが。

 この暗夜王国には朝が来ない。というよりは、陽の光が届かない。
 一年中夜のような暗さに包まれたこの国は、時間の区切りを時計でしか知ることができない。
 カムイの部屋にある時計は未だ午前四時をさしていて、暁もまだである。こんな時間を夜と形容するのは仕方のないことだったし、普段ならルドヴィカも寝ている頃だ。
 が、それでも起こさなければならないのは勿論であり。


「よいですか? 外は暗くとも、もう朝です。本日は訓練の日でございますぞ」
「こちらに訓練用の武具を用意しております」


 ギュンターとジョーカーが紡ぐ。朝に弱いジョーカーがいつの間に準備していたのだろう、なんて余計なことを考えるが確かに彼は武具を用意していた。さっきまで寝ていたルドヴィカとは大違いである。
 元々、ルドヴィカはそういうもの≠フ用意をするよりは訓練に直接付き合ったりする方が多いので誰もそれを咎めようとはしないが。


「あ、そうか……でもまだ眠気が……」


 ふあぁ、と1つ大きな欠伸が落ちる。こうしていると自分たちと何ら変わらない一人の少年に見えて親近感を覚えてしまうが、彼は王族だ。そんなものは抱いてはいけない、と頭を小さく横に振った。


「そうですか……では、起こして差し上げます。フェリシア」
「はい、姉さんっ!」


 底抜けに元気のいい声でフェリシアが返す。彼女の笑顔が底抜けに明るいのと逆に、フローラの表情が一瞬だけ曇ったのをルドヴィカは見逃さなかった。
 が、それを問い詰めることはしない。そんなことを問い詰めても仕方が無いのを、ルドヴィカは知っていた。

 そんなことを考えているうちに、フェリシアとフローラがその手でカムイの頬に触れた。これから何が起こるかルドヴィカやジョーカー、ギュンターは知っていて、自分にされるわけでもないのに身を縮こまらせる。

 深、と静まり返る部屋。
 温度が少し下がった気がした。
──否、本当に下がったのだ。氷の部族出身たる二人が、カムイの頬に当てた手を冷たくすることで。
 勿論、氷のような冷たさを孕むそれはカムイの目を覚まさせるには充分過ぎた。


「わっ、つ、冷たっ! 起きる、今起きるから!!」


 カムイは頬に触れる手の冷たさに飛び起きる。慌てて体を動かすものだからベッドから落ちないか心配になったが、杞憂に終わったらしい。
 ルドヴィカはその光景がなんだかおかしくて、くすくすと小さく笑む。するとジョーカーが脇腹をつついた。なお、力は割とこもっている。
 ぎゃん、と変な声を零し膝から崩れ落ちればジョーカーがルドヴィカを睨む。その目が「カムイ様のことを笑うなんざいい度胸だな」と言っているのは明白で、立ち上がりながらなんとか表情を元に戻した。


「甘く見てはいけませんよ、カムイ様。私たちは氷の部族の出なのですから」
「はあ……わかったよ。あの夢の続き、見たかったな……」


 夢、と言う単語にルドヴィカは少しだけ目を細くした。ルドヴィカが見ていた夢と、カムイの見た夢はおそらく違うだろう。
 しかし、続きが気になる夢≠ニいう意味では似たような夢を見たルドヴィカにとって、それは聞き捨てることの出来ない発言であった。
 それは夢を見ていないジョーカーもどうやら同じだったようで、興味深そうにカムイへ視線を向ける。


「ほう……夢、ですか。どのような夢をご覧に?」
「うん、それが……変な夢だったんだ。知らない人たちが……僕のことをきょうだい≠セと言ってた。僕のきょうだいは、この暗夜王国にしかいないのに……」
「知らない人達、ですか?」


 ルドヴィカがカムイの言葉を復唱する。やはり自分の見た夢とか毛色がちがうが、やはり気になるものは気になるのだ。
 うん、とカムイが口を開きかけたとき、慌てた様子でフローラがその言葉を遮る。


「あの……カムイ様。夢のお話なら後で聞いて差し上げますので」
「行ってらっしゃいませ、カムイ様。マークス様がお待ちかねです〜!」
「……?」


 何かがおかしい。何かというよりは、フローラの態度がおかしい、というべきなのだろう。
 あまりにもあからさまに話をすり替えた彼女の顔を見てみれば、フローラはその顔から一切の表情を消している。
 ゾッとするようなその顔に思わずルドヴィカは目を逸らしてジョーカーを見た。視線に気づいたらしいジョーカーはルドヴィカにしか聞こえないような声で呟く。


「……知らねえ方がいいこともあるんじゃねえか」


 ぶっきらぼうな、ただし優しさを含んだその言葉に、ルドヴィカは悶々とした思いを抱えつつも頷いた。訓練場へ向かうために立ち上がったカムイの後ろをついていくように歩く。
 もしも──もしもカムイ様の夢が、私の夢が。そこまで考えてルドヴィカは首を振った。カムイ様は私の主で、私は、カムイ様の執事。今はそれだけが、真実だ。


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Dear, My Doll.