熱
物を考えるのも億劫なほど撓んだ思考の中、確かに聞こえた家の扉の開く音。鍵はもちろん、閉めていたはずだ。恐怖に痛む心臓を抑えながらそっと耳をすませると、部屋に侵入する足音が近づいてくる。泥棒にしては悠長な足音だけど、正体が何にしたって寝ている場合ではない、と重い身体を起こしたのもつかの間。
「連絡がないと思ったら風邪ひいてたのか」
ガチャ、と部屋の扉を開けたのは指でクルクルと合鍵を回しているメローネだった。
「め、メローネ…」
正直「いつの間にうちの鍵作ったの」と問い質したかったが、緊張感から解き放たれたせいか安堵と疲れで再びベッドに倒れこんでしまった。駆け寄ってくるメローネに安心感を覚えてしまったのが、なんだか無性に悔しい。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃあない…………」
手袋を外したメローネのひんやりとした手が私の額に触れる。
「ひどい熱だな。何か栄養は摂ったか?適当に果物とかは買ってきたが」
「……メローネ……」
「なんだ?ああ、食欲があるなら何か作らないでもないが、お世辞にもあまりいい腕とは言えないぜ」
「メローネ」
ガサゴソと買ってきたものを袋から取り出すメローネはようやく視線をこちらにうつした。
「色々ありがと……でも今日は帰ってくれる?」
「……なんでだ?」
「風邪うつしたくないから。それに、安静にしてたら治ると思う」
「……」
「万が一うつって仕事に支障があっても困るし……きいてる?メロ…」
聞いているのかいないのかわからないような顔をしていたメローネは、そのままゆっくりと近づくと顔色一つ変えずに私の唇に吸い付いた。
逃げようにも頭の後ろにあるのは枕で、抵抗するにはあまりに体力も力もなかった。ただでさえぼんやりとした意識の中、メローネの舌が這いずり回る感覚だけがやけに鮮明で、明瞭で、このままメローネに溺れて死んでしまいそうだった。
しかしそんなことよりも、私はいま病人なのだ。そんな長い時間口内に異物があれば、もどしそうになるのも当然のことだ。たまらず口を離して大袈裟なくらい咳込んでいるのにも関わらず、メローネは再び私に顔を近づけようとする。
「話聞いてた?!!?!うつるってば!!!!!!」
「いや何、君をひとりじめできるウイルスが羨ましくてな」
「は?!」
「オレが風邪をひいても、なまえはオレに看病という名目で構ってくれるだろう?だがなまえが風邪をひいている間は君が構うのはウイルスにだけだ」
「それって不公平じゃあないか?」と心底真面目な顔で問うメローネの手が、わたしの頬を滑る。親指が艶かしく唇を撫でるのを見て、解ってしまった。
やけに甲斐甲斐しく買い物してきたり、無駄に強引に迫ってみたりして。ああ、なんだ。この人、さみしかったのか。
「何笑ってるんだ」
「べつに〜?」
髪をすくように頭を撫でてやれば、途端に大人しくなったメローネに、にやつくのを抑えられない。本当に、わたしの恋人はなんて可愛いんだろう。
「看病するかは約束しないよ」
「つれないことを言うな」
「風邪もうつらないでほしい」
「それはオレの身体に訊いてみないとわからないな」
「それでもいいなら、もうちょっと一緒にいよう?」
病人は大人しく可愛いアモーレの看病を受けることにするよ。なんて、ずいぶん甘やかしてしまったものだ。これじゃあ、何の熱に浮かされているのか言えたもんじゃない。
これが最大限の譲歩だというのに、メローネは先ほどまでしていた難しい顔をようやく緩めて、また小さくワガママを言うのだった。
「"もうちょっと"じゃなく、"今日はずっと"なら考えよう」