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 父の事故死をきっかけに、祖母を頼ってイタリアに引っ越すことになった。母は体が弱く、一人ではわたしを養うことができないためだった。
けれど人見知りな上幼児レベルにしか使えないイタリア語が恥ずかしくて、学校にもほとんど行かず、引きこもってばかりいた。優しい母と祖母、二人だけがいてくれればそれでよかった。


 母の体調と引越し作業が落ち着いたある日、母がお隣さんに挨拶に行くと、そこには子供が一人しか居なかったらしい。優しい母は、その日隣家の子供を夕食に招待した。

それ以来、その子供は母の招待で夕食だけでなく休日は昼食まで食べに家に来ていた。その子供が悪いと言うわけでも、母の優しさを反故にして欲しかったわけでもなかった。悪いのは、こんな気持ちになるわたしの方だと分かっていた。
でもわたしは、知らない子供が家にいるという状況だけでなく、優しい母の愛情まで奪られた様に感じていたし、何よりにこりともせず淡々と過ごす、研究対象でも見るような目つきのその子供のことが苦手だった。

「なまえちゃんはマンマを取られたと思って寂しかったんだよね」
「…………うん」
「ごめんね、なまえ。でも、メローネくんはお家にいつも一人でいるのよ。それって、寂しいと思わない?」

けれど母が孤独な彼に優しくしてあげてほしいと言うので、きっと同じく寂しいはずの彼のことを知って、それを克服したいと思っていた。……思っていただけで、行動には移せなかった。

「医者を呼んでこよう」
「え?」
「家に連絡先の書いた名簿がある。期待されていた時に聞いた父親の知り合いだから、腕は確かだと思う」

……だから、祖母が口を挟むのも気にせず母を助けるために動いた彼を見て、わたしは言葉を失った。
彼を知ろうともせず、知りたいとただ闇雲に願うばかりで、行動に移さなかった自分が、ひどく愚かに思えた。

「グラッツェ、"メローネ"」

勇気を出して彼の名を呼んだ時、いつも無表情だったメローネの顔が、少し揺らいだ気がした。







 彼女ーーなまえが気になり始めてから、数日。彼女の母親はこの前のことがなかったかのようにいつも通りに微笑みかけた。

「なまえもメローネくんも、心配かけてごめんね」

泣きそうな顔で母親に抱きついたなまえも、彼女に抱きつかれた母親も、無性に幸せそうだった。彼女も、彼女の母親も、彼女の祖母も。相手に触れる時、そこには愛という不確かな感情が存在しているように見える。
なまえと同じようにオレの頭を撫でるその顔は、赤の他人であるということを、忘れてしまいそうなほど、どこまでも慈愛に満ち溢れていた。

「(……でも、なまえはオレに触れない)」

もちろんそれはなまえがオレのことを苦手としているからだろう。触れるどころか会話もろくすっぽしたことがないのだから、当然と言ってしまえばそれまでだが。
それでもあの日、初めて彼女がオレと向き合ったあの日、言葉にできないほどの高揚感を覚えたのが、忘れられなかった。

「(なまえのことが知りたい)」

それは、父の教育で自然と芽生えた、好奇心や知識欲に近い何かだった。図鑑に載っている生物の生態を知りたい気持ちと、同じなようで、どこか違う気がする。この気持ちがなんなのか知りたい。きっと、一度興味を持つと納得いくまで調べないと満足できない、自分の性分なのだろう。


 しかしそんな思いとは裏腹に、なまえとの距離は遠いままだった。彼女の母親と祖母から聞けるだけの話は聞いた。けれど、それでは満足できなかった。
なまえの情報ではなく、彼女自身のことが知りたかった。

「(……日本語はある程度覚えたが、それだけじゃあ決め手に欠けるな……)」

やはり母親の病についてが1番可能性が高いか?でも付け焼き刃の医学で彼女の母親を治せる妙案なんて浮かぶはずもないしな……
彼女の家で昼食を食べ終え、医学書を読みながら考える。ここ最近、ずっと寝ずにそんなことばかり考えていた。

だからなのか、その思案の元であるなまえがこちらを見ていることに、気付いていなかった。

「……大丈夫?」
「? 何がだ?」

顔を上げると、なまえが不安げな表情でオレをじっと見つめていた。どくり、と鼓動が跳ねたのが自分でも分かった。

「やっぱり、ねつがあるよ」
「……!」

心配そうに眉を下げてオレを見る彼女のひんやりとつめたい手指が、しなやかに額を覆った。

触れた。触れられた。初めて彼女がオレに触れた!
あの日と比べられぬほどの高揚感、胸の高鳴り、細胞が湧き立つような感覚に思いがけない喜びを感じた。目尻が下がり、口角が上がるのがわかった。今も額にある手に自身の手を伸ばし、ゆっくりと絡めとる。

ああ、やっと。やっと彼女が触れてくれたーー……


「さわらないで!!」


怯えたような顔から、涙が滴り落ちる。彼女に勢いよく弾き飛ばされた手が、じんじんと痛みを訴えていた。逃げるように走り去った彼女の後ろ姿を、オレは見ているしかできなかった。

彼女は自分の前でよく泣いてはいたが、それはすべて母親の病に関することだけだった。
そんな彼女を、オレが、オレが触れたせいで、泣かせてしまった。

手なんかより、胸が痛くて痛くて、しょうがなかった。


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