存在証明

 小さい頃、私は弱虫で泣き虫で、近所の男の子たちにいじめられてはすぐ泣いていた。そんな時、いつだって駆けつけてくれるヒーローみたいな存在が、ギアッチョだった。

「強くて、かっこよくて、いつも優しくて……お兄ちゃんみたい!」

男の子たちを追い払って、そっぽを向きながら頭を撫でて慰めてくれた彼にそう言ったら、ギアッチョはどこか照れ臭そうに鼻をかきながら「そうかよ」と言った。







「待ってよギアッチョ〜!私も行く!」

赤いマウンテンバイクで今にも走り出しそうな後ろ姿を呼び止めると、ギアッチョは私の姿を見るや否や眉をひそめた。

「オメー今日二限からじゃあなかったかァ?」
「そうだけど、でも一緒に行きたいんだもん!」

テスト期間中は、普段部活で登校時間が違うギアッチョと登下校できる数少ないチャンスなのだ。選択科目によってテスト時間が違うので一限目の間空き時間ができてしまうものの、空き教室で自習できることを考えればギアッチョと登校する方を選ぶのは当然のことだった。

「チッ……ちょっと待ってろ」
「? うん」

ギアッチョはマウンテンバイクごと家に引き返したかと思うと、今度はママチャリを連れて戻ってきた。

「おら、後ろ乗るんだろ」
「…!! うん!」


 中学の時は、よくギアッチョの後ろに乗って登下校して先生に怒られたなあ。あの頃の私は今よりもっとギアッチョにべったりで、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と後ろをついて回ってたっけ。でも一つ上のギアッチョが先に高校に入って突然、
「お兄ちゃんって呼ぶな。ギアッチョって呼ばねーなら返事しねえ!」
……って言い出して、お兄ちゃんはお兄ちゃんなのにーって泣き喚いたのが記憶に新しい。

ギアッチョはお兄ちゃんと呼ばせなくなっただけじゃあなく、私を子供扱いもしなくなった。
昔は褒めてくれる時にわしゃわしゃって頭をかき混ぜるみたいに撫でてくれたのに、最近はぽんぽん、くらいしか撫でてくれない。勝手に部屋に入らせてくれなくなったし(部屋に鍵がかかるようになった)、ギアッチョの家で眠くなったら米俵みたいに家まで担がれてベッドに投げ込まれてたのに、この間は優しく抱っこして運ばれてびっくりしてしまった。

「ねーギアッチョ」
「なんだ」
「今日テスト何限?私は2〜4限…」
「……朝から3限までだが……待ってりゃいいんだろ?」
「うん!一緒に帰ろ!」

けれど、こういう優しいところは全く変わっていない。私は今日のテストのことなんてすっかり忘れて、ギアッチョとの下校に胸を躍らせるのだった。






 テスト終了のチャイムが鳴った途端、今まで解いていたテストの問題も全部すっぽ抜けて、ギアッチョと一緒に帰る約束で頭がいっぱいになる。すっかり登校中と同じ気分になってしまった私は、答案用紙が回収されたのを皮切りに、急いで帰る準備を始めた。ザワザワと喧騒が広がり始めたと同時に、窓越しにギアッチョが廊下に立っているのが見えた。

リュックを背負い、空いた手を振りながら彼の名を呼ぼうとした瞬間。

「苗字さん」

後ろの席の男子生徒に声をかけられ、ギ、とまで口にした言葉を飲み込む。

「苗字さんって、あの先輩と付き合ってるの?」
「え?違うよーギアッチョはお兄ちゃんみたいな人!」
「そっか、ありがとう」

不思議な質問をした彼は確かクラスメイトだっただろうか?特に気にも留めないでそのままギアッチョの元へと駆けていく。ギアッチョはあからさまに機嫌が悪いです、みたいなしかめっ面でギロリとこちらを睨んでいた。

「ど、どうしたのギアッチョ……」
「オメー今何つった……」
「え?『どうしたのギアッチョ』……?」
「そこじゃねえ!その前だ前!!」

思い起こそうとしたものの、ギアッチョにはまだ声をかけていなかったのだから、最後にギアッチョに話しかけた言葉はテストが始まる前…?でも、そうしたら今じゃなくなってしまうし……と、考え込んでいると、ギアッチョは心底嫌そうに「お兄ちゃん」と呟いた。

「聴こえてたの?!ごめん!ギアッチョはお兄ちゃんじゃないよ!」
「……でも思ってんだろーが〜お兄ちゃんみたいってよォ〜〜」

すたすたと先に歩き始めたギアッチョに早足で駆け寄る。歩幅の差もあって、着いていくのがやっとだった。
自転車置き場でピタリと止まってこちらを振り返るギアッチョは、少しばつが悪そうに「兄貴ならこんなことしねーだろ」と言ってから、再び前を向いて自転車のロックを解いた。


「兄貴って柄でもねーしな」
「でも、ギアッチョはいつも優しいよ!」
「そんなことねーよ」
「あるよ!今日だってわざわざママチャリに変えてきてくれたし!」

先生に注意されないよう校門を離れるまでは、と自転車を手で押すギアッチョ。納得のいってなさそうなその横顔を見ながら、自然と笑みがこぼれる。自転車なのだから少しくらい先に行ったっていいのに、こうやって一緒に歩いてくれるところとか。

「今も私のために時間合わせて一緒に帰ってくれてるし、いいお兄ちゃんだと思うけどなあ……」
「ちげーよ」

ギアッチョが立ち止まってしまったことにすぐには気付けず慌てて後ろに戻る。どうしたのと尋ねる前に、ギアッチョは少し俯きながらぽつりと話し始めた。

「朝ママチャリに変えたのは、お前を後ろに乗せたかったからだ」
「…?うん…?」
「一限分お前を待ってたのは、オレがなまえと一緒に帰りたかったからだ」
「え、そうなの!?ギアッチョも一緒が良かったなんて、」

嬉しい。喉まで出かかった言葉は、ギアッチョの視線に刺されて砕け散ってしまった。


「オレはずっと、お前に好きになって欲しくてカッコつけてただけだ」


今度は俯かず前を向いて歩き始めたギアッチョに、速いわけでもないのについていくのがやっとな私。ギアッチョは「乗るんだろ」と、優しく、だけどしきりに私を急かしている。サドルに体を預けたギアッチョにおそるおそる回した腕は、所在なさげに腹近くの服を掴んだ。

風を切る帰り道は、こんなに静かだっただろうか。走り出した勢いに慌ててギアッチョにしがみつくと、私のではない鼓動がやけに耳に響く。そっと視線だけを上にやると、私のテストの点数に負けないくらい赤い耳が目に入って、目を逸らす。
そこに、お兄ちゃんは存在しなかった。

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