アップルパイの順序



 部屋に漂う香ばしい匂いを鼻で吸い込む。こんなことをするのはあいつしかいないと、キッチンへと顔を覗かせた。

「何作ってんだ?」
「アップルパイだよ。食べる?」
「どうしてもって言うなら食べてやってもいい」

慣れた手つきでミトンを手にはめ、アップルパイをオーブンから取り出す。リビングへと運ぶなまえの後ろ姿を見て、口元が緩む。そんなに恋人であるこのイルーゾォに食べて貰えるのが嬉しいか!
顎が自然と上を向き口角も上がる。この間なまえの家に行った時に両親からお菓子作りが趣味だと聞き、食べてみたいなと零したのを憶えていたらしい。可愛い奴め。

上機嫌でリビングへ向かうと、何故かメローネとギアッチョが我が物顔で席についていた。

「いい匂いだな。何か作ったのか?」
「アップルパイじゃあねーか。食っていいのか?」
「もちろん!この前メローネが買ってきてくれたアマレッティもギアッチョが買ってきてくれたジェラートも美味しかったし、日頃の感謝的なね」

メローネとギアッチョに切り分けてから、自分とイルーゾォの分を切り分けるなまえ。いささか二人の分よりオレとなまえの分の方が小さいように見えるが、心が狭い男だと思われるのも癪なので、言葉を飲み込む。

「ほんとはリーダーにも持ってきたかったんだけど、また次回かなあ」
「そういやカンノーロ美味かったな」
「ねー!」
「でもてっきりイルーゾォに作ったのかと思ったぜ」
「そうそう、いつから付き合ってたんだてめーらァ〜?」

オレの知らぬところでカンノーロを食べていたのかと口出そうとすると、目があったメローネがそういえば、と言わんばかりにオレとなまえの顔を見比べた。そのまま続くギアッチョの言葉に、思わず顔がニヤついてしまう。
そろそろ白状してやった方がいいかもな。このイルーゾォとなまえが恋び…

「え?イルーゾォと付き合ってなんかないよ?」
「あ?」
「ん?」


「は?????」


…………ちょっと待て。今なまえの奴なんて言った?


「なんだ、付き合ってないのか」
「この前イルーゾォが嬉々として『親に紹介されてきた』って言ってたぜ〜?」
「え、うん。なんか近くを通ったから先輩として挨拶がてら〜って上がり込んできたから」


付き合ってなんかない?


「プロシュートが夜景が綺麗でメシも美味いリストランテから二人が出てきたって言っていたが」
「あーあそこ美味しかったなー!なんかイルーゾォが二人分サービス券?があるとかなんとかで」


このオレと?


「ナターレに二人でいたのも?」
「同じ理由だよ」
「サン・バレンティーノに花貰ってたのも?」
「なんかその辺のベッラに貰ったからやるーって」

あっけらかんと今までの思い出を砕いていくなまえに握りしめた拳がわなわなと震える。そんな、そんなの、なんで全部やったかなんてーー

「普通気付くだろッッッ!!!!」

「うわあ!びっくりしたー!」

思い切り机を叩くと、皿の上のアップルパイとなまえの肩が同時に跳ねた。

「普通何回も同じ奴と出かけるのは付き合ってるみたいなもんなんだよ!!」
「……ということは、イルーゾォは付き合ってると思ってたの……?」

まさかそんなわけがないとでも言いたげな顔でおそるおそるオレの顔を覗き込むなまえ。その距離の近さに思わず顔を赤らめながら、「悪いか」と吐き捨てた。目の前のこいつよりも、奥でアップルパイを食べながらテレビでも見ているかのようなギアッチョとメローネに一層腹が立つ。

「だから何度もデートに誘ってお前の親にまで挨拶しに行ったのに……っ!!」
「え、え?!そ、そうだったの?!!」
「このイルーゾォをここまでさせておいて……!」

また怒りで震え始める手。怒りの矛先をどこに向ければ気が済むだろうかと考えていると、その手をなまえは両手で優しく包み込んだ。

「ごめんね、でも日本じゃあ『好きです、付き合ってください』って告白されたら付き合うのが当たり前だったし、二人で遊びに行くのも割と普通だったから……」
「う……だ、だがここはイタリアで……!」
「それに毎回理由つけて誘ってきたしチームの他のみんなより誘いやすいのかなって……」
「うっ!」

謝罪に心動かされたのも束の間、素直になれず何をするにも自分の気持ちがバレないよう誤魔化していた現実を突きつけられる。
しかし、まったく持ってその通りだった。反論の余地もない。返す言葉もなく黙り込んでいると、オレの手を包み込んでいるなまえの手に力がこもる。


「イルーゾォ、私のこと好きなの?」


じいっとこちらを見つめるなまえは、一体何を考えているかわからない。けれど、オレが何を想っているかは、伝えられるはずだった。

「……っそうだ!お前が好きだ!オレと付き合え!」

決心して言った言葉は、後ろの二人に拍手されたのが癪だったが、なまえの心には届いたようで、うっすらと微笑まれる。

「イルーゾォ、あのね。日本には『お友達から始めましょう』って言葉があるんだよ」
「……どういうことだ」
「私個人としては、『前向きに考えるから、まずは友達として仲良くなろう』、ってことかな」

手を離したなまえは、今度は一方的に掴むのではなく、右手をオレに差し出した。

「友達から順番に仲良くなりたいな、だめ?」
「…………」

好きな女に、笑顔でそう言われて、断る男などいるのだろうか。……いや、プライドの高い男なら、断るかもしれない。このオレがそこまでしてお前にこだわる必要などないと、おそらく彼女でなければ、オレも断っていただろう。
渋々といった様子を取り繕いながら、彼女の手をとる。この日下した許可ほど、立場の低いものはないなと思いながら、空いた手できちんと並べられていた彼女のミトンを手に取る。先ほどより収まってしまった怒りの矛先を、あの二人に定めて振りかぶった。

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