16
叩いて逃げたことを気に病んだのか、なまえが後日謝りに来た。彼女がひどく泣きそうな顔をしているので、顔色を変えずに「気にしていない」と言うと、彼女は安堵で顔を綻ばせた。押し込めた苦しい気持ちは、彼女のその顔で薄らいだような気がした。
罪悪感があったからなのか、話してくれるようにも、何気なく触れてくるようにもなった。喜ばしいことのはずなのに、あの日の言葉が耳にこびりついていて、その事実を素直に受け止めることができなかった。
そんな気持ちのまま数年の時が経ったある日、彼女の母親が病死した。「安静にしていればもう少し生きられただろうに」と医者がこぼしたのを聞き、意味もなく彼女の祖母に謝った。
なまえは何日も何日も泣き続け、いつも彼女の祖母に抱きしめられて眠っていた。オレも彼女の力になりたかったが、なぜだか無性に怖くて見ているしかできなかった。泣いている彼女と、それをあやす祖母と、ただ何もせず見ているだけの自分。三人で囲む食卓はいやに静かで、痛いほど彼女の母の死が蔓延していた。それでも、彼女の祖母は彼女の母同様に、オレを食事に誘うことをやめようとはしなかった。
彼女の祖母はきっと、なまえがこれからも変わらず穏やかに過ごすことを願っていたのだろう。その優しさがあまりに綺麗で、近付けないほど美しく、眩しかった。なんの力にもなれないが、ただ彼女らが幸せであることを祈った。
しかし、良くないことは立て続けに起こった。引き金になったのは、母が父に捨てられ、今までオレの養育費として与えられていた金を渡されなくなったことだった。
「君を母親に選んだのは間違いだった」
玄関先でそう言った父がどんな表情をしていたかは、逆光でわからなかったが、その言葉を皮切りに母との口論がエスカレートしていく。母は父に向かって物を投げたり、はたまた物で殴るなどし始め、どんどんと様子がおかしくなっていた。おそらく普段から酒やタバコだけでなく、ドラッグでもやっていたんだろう。父が買い与えたオレのラップトップパソコンすら手に取り、父を殴る道具にした。これはもう使い物にならないだろうか、靴棚に投げ捨てられたパソコンに父の血がべっとりと付着しているのを見ている間に、父は家からいなくなっていた。目標を失った矛先が、こちらを向く。
「これも全部、お前が不出来なせいよ!よそにだけ愛想を振りまいて穢らわしいッ!!」
また近くにあるもの掴んだ母は、それをオレに投げつけた。ぶつけた拍子で皮膚を切ったらしい。血が流れるのをどこか他人事のように感じながら、自然と肯定の言葉が出た。
「(その通りだ。オレが穢らわしいから、綺麗な彼女に触れてはいけないんだ)」
表情の変化もなくされるがままになっていたオレに、母親が一際大きな酒瓶を手に取り振りかぶる。
なぜ、オレは産まれたのだろうか。なぜ、この人はオレを産んだのだろうか。わずかな時間に答えが出るはずもなかったが、そんなことを考えながら、抵抗もせず衝撃が来るのを待った。
「メローネちゃん!!」
声と共に飛び出したそれは、鮮血を撒き散らして足元に倒れ込んだ。それが彼女の祖母だと気付いた時には、彼女の祖母は動かなくなっていた。割れたガラス片が、彼女の頭のあちこちに刺さり、ドクドクと血が流れている。
どうして、オレを庇ったんだ。なんで他人のオレを助ける為に、命を失ってしまうんだ。あんたがいなくなったら、あんたが死んだなんて知ったら彼女はーー……。
「…………おばあ、ちゃん……?」
「……ーーッ!!!」
スタンド能力に目覚めたのは、それがきっかけだった。オレはスタンドに導かれるまま、母を母体にし殺害、産まれたスタンドで追跡し父も殺害した。父の血と母の体で産まれたスタンド越しに、父が別の"母親"と居たことを知った。
なぜ愛し合っていない両親から自分は産まれたのか、それは、母親という生き物が子を産む道具だからだ。愛されなくて当然だ。道具に、子供を愛する必要などないのだから。
そんな道具のために、だれかを愛することができる彼女たち家族が、なぜこんな目に合わなくてはいけないのだろう。
「オレのせいで、君のおばあちゃんがしんじまった」
せめて父母を始末するまではと遺体に布を被せ視界から遮ってはいたが、どうやら彼女の祖母はこちらに来るまで彼女と共に居たらしく、父母の口論の声も何もかも聞いていたらしい。何が原因で自分の祖母が亡くなったかも、遺体が祖母であることも、誤魔化しようがないくらい理解してしまっていた。
「……メローネのせいじゃあないよ」
「だが殺したのはオレの母親だ。それにその母親も、原因となった父親も、みんなオレが殺した」
殺した、と口にするたび彼女の肩が震える。遺体に目をやり、泣きそうな顔で手を震わせている。
「君は、オレなんかと一緒に居てはダメだ。これから警察に連絡をするから、どこか遠いところで、正しい人たちに引き取って貰ってくれ」
「メローネ」
彼女の震える手が、オレの傷へと伸びる。既に固まり始めている黒く濁った血が、彼女の指に拭き取られ、薄くなっていく。
「いたかったよね……ひとりで、こわかったよね、ごめん、ごめんね……」
「……!!」
「わたしは、ずっとメローネの味方だから、もうメローネのこと、ひとりにしたりしないから……」
なまえは、かつて彼女の母親と祖母が彼女にしていたように。優しく、包むようにオレを抱きしめた。
「なまえ……」
「わたしは、メローネのこと、だいすきだからね……」
母親も、祖母も、オレ達家族のせいで亡くしたというのに。オレが居なければ、失くさずに済んだというのに。それでもなお、彼女は自分に優しく愛を与えようとする。
ーー彼女だけは。
彼女の幸せだけは、決して守らなくては。
彼女たち家族のような美しい存在に、赦しなく触れてはいけないとしても。