芽吹き





 荒れ果てた空間に浮かぶ赤いシャボン玉。
十字架の上で佇むそれは、否応なしに現実を突きつけるのだったーー……





「シーザー!!!」
「うわっ!」

叫んだと同時に、自分の今いる状況に気付く。ここは、私の家だ。握りしめてるのは布団で、目の前に広がってるのはただのなんの変哲もない壁、だ。

「いきなりどうした!?」
「……いきてる」
「は?」

隣で寝ていたのは私の彼氏で、ただ大学で知り合って同じ講義をとってるのがきっかけで仲良くなって、ただそれだけなのに。

「なまえ?何泣いてるんだ…?」

ただ何事もなく息をしてる彼が、どうしようもなく愛おしかった。









「誕生日おめでとーー!!」


帰宅早々パン!と音を立てて飛び出したそれは、ひらひらと舞いながらほとんどがおれの頭の上に落ちた。
今朝突然飛び起きて泣き始めたことなんてすっかり忘れたとでも言いそうなほど、能天気にクラッカーを鳴らしている彼女ーーなまえを見て、安堵と呆れからため息をこぼした。

「人に向けて鳴らすなこのスカタン!」
「ちゃんと上向けたって!シーザーがでかいから頭に色々乗っちゃっただけ!」

能天気、というよりはどこか浮かれている様子のなまえ。もちろんそれは勘違いなんかじゃなく、今日がおれの誕生日だからだろう。日本では人に祝われるのが普通、と知ってからは驚かなくなったものの、やはり恋人に祝われるのも、恋人が嬉しそうにしているのもあまりに幸せで、口元が緩んでしまう。
玄関に散らばった紙吹雪を片付けてから部屋に入ると、クリスマス前の街並みかと錯覚するような光景が広がっていた。

「おまえ…まさかこの為に今日大学来なかったのか?」
「えへへ、ばれた?」

チカチカと点滅するイルミネーションに辟易していると、なまえが"今日の主役"と書かれた襷をどこからか取り出してきたので、何か言う前に先に断った。せっかく買ったのにとぶつくさ拗ねているのを見るとちょっと気がひけるが、そもそも買うなそんなモン。

「ま、いっか!じゃあご飯たべよ!チキンとか買ってきた!ビーフストロガノフもネットで調べて作った!」
「ちゃんと食えるんだろうな」
「失礼な!万が一食べられなくてもチキンがあるでしょ!」

冷蔵庫から酒を取り出して「最悪これで誤魔化して食べさせる」などと宣うなまえも、それに笑いながら文句を言うおれも、やはり浮かれているようだった。






「やけに甘えてくると思ったら…」
「ん〜?」

さては酔ってるな?と桃みたいなほっぺをむにむにと引っ張ってやるものの、どうやら効果はいまひとつのようで、なまえはまだ幸せそうにニコニコしている。さても何も、確実に酔ってるな、これは。

「どうしたんだ、いつもは酒なんか飲まないのに」
「ん〜?エヘヘ……」
「エヘヘじゃない」

頭をぐりぐりと押しつけてくるなまえ。ガキか、と口では文句を言いながら、そっと頭を撫でてやる。眠そうなぼんやりした瞳が、嬉しそうに細められた。

「シーザー」
「ん?」
「生まれてきてくれて……また私と出逢ってくれて、ありがと……」
「ーーえ」
「……すー…すー…」

おれの戸惑いなんて知らん顔で眠ったなまえの顔を、じっと見る。
今朝、泣きながらすがりついてきたのは、怖い夢を見たからだとばかり思っていた。


「思い出したのか、おまえも……」


腕の中の彼女を、いつかの記憶の中の想い人に重ねる。何一つ変わっていない彼女と、彼女への想い。けれどそれは、おれだけが憶えていることで、おれだけがいつまでも忘れられずにいることで、なまえが辛いことを思い出す必要なんてないと思っていた。彼女が今幸せなら、それでいいと。


「ありがとうは、おれの方だ…」


またおれと出逢ってくれて、ありがとう。呟いた声は、きっと寝ているなまえには聴こえていない。
本当はずっと、思い出して欲しかったのかもしれない。彼女が幸せならそれでいいと言いながら、ずっと報われたかったのかもしれない。そんな独りよがりな気持ちがバカらしく思えるほど、彼女の気持ちは優しくて、穏やかだった。
彼女の手を握り締めると、それに応えるかのように彼女の指が動いた。


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