うちの部署の高嶺の花は今日も相変わらず綺麗だ。黒い髪をなびかせ、高いヒールを自然に履きこなす姿はそこら辺の女優にも引けをとらない。加えて仕事も完璧にこなすから、きっとこういう人をキャリアウーマンと言うんだろうなと思う。そんな彼女はお察しの通りモテる。この間もハンサムで有名な営業二課の金井さんにアプローチを受けたと風の噂で聞いた。付随して彼女はそれになびかなかったとも。
まあ、だからといって俺には何の関係もないけれど。
正直彼女のことは綺麗だと思う。顔も好みだし、出るところはしっかりと出ている体型は健全な男性なら惹かれないはずないだろう。でも俺のような平凡な人間には一生縁のない相手だ。まあ会社が同じで部署が同じという部分では小さな縁はあるのかもしれないけど。何にせよあんな美人の隣は遠慮したい。(ひがみではない、決して)





「…疲れた」

パソコンとにらめっこを続けて数時間。はっとして時計を見れば時刻は午後9時。当たり前だがとっくに定時は過ぎており、周りは既にがらんとしていた。誰かが気を利かせてつけっぱなしになっていた電気が微妙に恐怖心を煽る。

「(昨日心霊番組なんて見るんじゃなかった…)」

いないと思っていても一人で広い場所に置かれるというのは怖いものだ。ーと、ガタン!!!

「っうわあああ!!」

なんだなんだなんだなんだ!!
何が起きた!?!?
再び静まり返った部屋を見渡す。そこで気付いたある変化。ひとつのデスクの上に立てかかっていたカタログが雪崩れている。あそこは……
雪崩れてたカタログの下にぐしゃり歪む書類を見つけて慌てて駆け寄る。倒していないといっても見過ごすことは良心が許さない。これも昔からの性分か……
思わず嘲笑しながらカタログひとつひとつを戻していく。中には対人関係や心理学の参考書があったりと、努力の跡が見えて感心する。さすが、とも言うべきか。

「…何してるんですか茂庭さん」
「っへ!?」

声に振り返ればこのデスクの持ち主…鈴木花、さん。

「あ、ああすみません!本が雪崩れてしまったみたいで…」

これっぽっちもやましいことはしてないのだけれど、切れ長の目でじっと見つめられると動揺してしまう。こういうところ本当だめだな俺…

「それはすみませんでした」
「え、」
「ご迷惑をおかけして…ありがとうございます」
「ああ、いえいえ」

俺の返答にふっと口元を緩ませる鈴木さんにどきりとする。全く美人は心臓に悪い。

「遅くまで大変ですね。お疲れ様です」
「まあ…でもお互い様ですよね」
「そうですね」

私仕事が好きなんですと続けた彼女はくすくすと笑う。よく笑う人だな、と今さらながら気付いた一面に驚く。こういうところにも皆魅了されるのだろうか。うん。気持ちはわかる。
その時ひらり落ちた一枚の紙切れ。二人の視線を集めたそれは先ほどカタログの下敷きになり、ぐしゃぐしゃになったあの書類だった。条件反射でほぼ同時にかがんだが、掴んだのは彼女の方。すみませんと言いながら立ち上がる直後ふわっと香りが強く鼻を掠めた。香水の類いのそれに混じってもうひとつ。これは、

「煙草…?」

あまり銘柄に詳しい方ではないが甘い香りのそれは女性が好むものだった気がする。俺が吸うのは違うものだし、だとすれば。立ち上がった後鈴木を見れば気まずそうに目を逸らした。

「…すみません匂い残ってましたね」
「え?」
「女の人が煙草を吸うってあんまりいい印象もたないでしょう?」
「あ、いえ!俺も煙草吸うんですけど、体によくないってわかっててもやっぱりすっきりするというか、仕事が捗るというか、だからどうしてもやめられなくて…ってなんか言い訳みたいですよね……」

早口で紡いだそれは最終的に自分の話になり、しかも支離滅裂。何を言いたいのか言ってる本人もわからないのだから言われてる彼女がわかるはずもない。

「えーと、だから、つまり、俺はいいと思います…!」

半ば自棄だ。締めくくりの台詞としては何ともかっこがつかない。こういう時ドラマの主役ならどう返すのだろうか。どうやら頑張っても俺はへっぽこ脇役らしい。すみません、と続ければ鈴木さんは首を横に振った。

「いえ。茂庭さんて優しいですね」
「は…」
「煙草吸ってること気付いたの茂庭さんが初めてなんです。最近は喫煙者も少なくなってきましたし、嫌煙されるので中々言えなくて…だから茂庭さんの言葉嬉しかったです」

僅かに口角を上げながら髪の毛を耳にかける仕草にまた心臓が音を立てる。あれ、もしかしてこれはもう落ちてる…?いやいやいや、まだ、大丈夫、たぶん。
そ、そうですか…言いながら慌てて何か話題をと目を泳がせれば彼女が持つ書類が見えた。

「っあ、そうだ。それさっきカタログが倒れたときによれちゃったみたいで…助けられなくてすみません」
「あ、いえ。もともと行かないつもりでしたし…」

見ればそれは明日の開催日時が書かれた飲み会のチラシ。上司を交えた堅苦しいものではなく、十数人の簡易的な…いわゆる合同コンパのお誘いのものだった。ああそういえば俺も強引に参加予定にさせられたんだった。まあ、鈴木さんを誘ったのは当たって砕けろ精神だったのだろう。現に行かないと目の前で言っているわけだし。チャレンジ精神溢れた同僚に心の中で拍手を送る。よし、お前はよくやった。

「…茂庭さんは、」

拍手の回数が5回を過ぎようとしていたとき、用紙に視線を落としていた彼女がそう口を開いた。

「はい?」
「行かれますか?」
「あー、はい。強制参加です」
「強制参加、ですか」

言い方がおかしかったのかふふっと笑った彼女はそれから小さく口を開いた。

「…私も行っていいですか?」
「へ?あ、ああ!もちろんですよ!」

言ってからあれ?と心の中で浮かんだクエスチョン。行かないつもりだったとついさっき彼女は言った。けれど今出てきた言葉は正反対のもの。

「あのー、けど用事があるなら大丈夫ですよ。あいつそれぐらいじゃ凹まないと思うんで…」
「いえ。用事があるわけではないんですが、私ああいうところ苦手で…だからお断りしようと思ってたんです。でも、茂庭さんが行かれるなら、」
「っへ!?お、俺ですか?」

なんだこの漫画的展開は。さっきまで全く関係性がなかった社内のマドンナが行く気のなかった飲み会に参加?しかも俺が行くと言ったから?
パニックになる俺の前で鈴木さんは笑って、

「飲み会の途中、休憩付き合っていただけたら嬉しいです」

そう言った。
…どうやら脇役にも春はやってくるらしい。