昨日。

『…………とび、お…?』

久しぶりに花の声で名前を呼ばれた。うわごとのように。

『……飛雄だったら、よかったのに……』

腹が立つ。急に名字で呼んだかと思えば急に名前で呼ぶアイツにも、それにざわめく自分にも。たかが名前でたかが名字で、なのに、こんなにも。


「…くそっ」
「ひいいい!」
「影山、日向怖がってんぞー。随分機嫌悪いな」
「そ、んなことない…です」
「そんならいいけど…あんま根詰めすぎんなよー」

ほら、と菅原さんに渡されたボールをぐっと握った。
そうだ。そんなことはない。ただ少し引っ掛かっただけ。練習には支障ない。

その日の練習はいつも通りだった。いつも通りの感触。いつも通り狂いのないトス。いつも通りの呼吸。すべてがいつも通り。
さっきの会話以来、ちらつきさえもしなかった。どこよりも手先の繊細さを要求されるこのポジションで余計なものがちらついては困るし、むしろ喜ぶべきことなんだろうけど。ついこの間の出来事がなかったことになる気がした。












「今日は何時にも増して王様やってたねー」
「あ?」

それは練習終わりだった。倉庫に畳んだネットを閉まっていると後ろから挑戦的な声がした。睨むように振り替えれば、そこにはにやつく顔があってますます眉間にシワが寄る。

「優しさだかなんだか知らないけどみんな何も言わないみたいだから代表して。今日何回か合わせてもらってたの知ってる?いつもの気持ち悪いトス、ぶれてたよ。」

ぺらぺらと紡がれる言葉が耳を刺激する。



言われている言葉が理解できなかった。


何を、何を言っているんだ。

「自分ではわかってないみたいだけど。周りが見えてないんじゃないの。明日もこの調子だったら追放だね。」

相変わらずむかつく顔でそれだけを言い残して月島は去っていった。意味がわからない。いつも通りだった、と思う。何もかも。でもそう思ってたのは俺だけ、だとそう言われた。
練習には支障がないはずだった。それでも、違うように映っていたのだとすれば、







「…花」


今家の前で出くわしたコイツとの出来事が原因だと思わざるをえない。

「………影山」

下を向きながら学校と反対側から歩いてきた花は部屋着にパーカーを羽織っていた。その手にはコンビニのビニール袋が握られている。たぶん今日は学校を休んだのだろう。
目が合った途端、花はその目に動揺を映した。

「昨日のこと、覚えてるか」

本当は、本当なら、大丈夫かとか病人が出歩くなとかそんな言葉から始めるべきだと思う。ただ、もう逃げられるのは真っ平だ。
しばらく口をつぐんでいた花はやがてぽつりぽつりと話し出した。

「………夢だと思ってたんだけど、お母さんからりんご貰ったって聞いて夢じゃなかったんだって知った」

そしてへらりと笑う。

「昨日は変なこと言ったみたいで、ごめんなさい。熱でおかしくなってたんだと思う。だから、」





「忘れて、」





そう落とされた言葉に、目が見開く。目が見開いて全身が熱くなって、心臓が大きく波打つ。



ぷちんと音が鳴った気がした。


「………ふざけるな」


家に入ろうとしていた花の足がびくついたように止まる。


ふざけるなふざけるなふざけるな。


腹が立つ。また「今さら」そういうこと言うのか。またあの時みたいに逃げるのか。



気付いたら俺はその細い手を掴んで無理矢理壁に押し付けていた。



「…………鈴木」



呼んだ途端ますます大きく開かれる目。



「お前、」



俺はもう自分でもわからないくらいに乱されたくない。





「最低だな」















糸を断つ
(それはひどく簡単に)