『今年は手作りチョコで決まり!』

誰が決めたんだ、そんなもの。
店内に踊るポップの数々が嫌でも目につく。季節はバレンタインなわけだから当たり前なのだけど、そのピンクが私を苦しめる。クラスメイトの女子だってやれ、トリュフだのやれ、ケーキだの手作りチョコの話で持ちきりだ。昔から味音痴で不器用な私は、去年までチョコレートなんてあげる人もお父さんか女友達かはたまた幼なじみのみで、だから手作りなんて一切考えていなかった。


そう、去年までは。


今年は少し違ったのだ、去年のバレンタインデーとは。
ふと前を見ると、やっぱりあのポップ。

去年のバレンタインデーまで、ただの幼なじみだった彼が好きな人になったのはいつだったか。天真爛漫、かと思えば時折貪欲な顔を見せる彼を想う人はいっぱいいて、私はそれを遠目で見ている立場だったのに。

告白、までは考えてないけれど、去年まで市販の安いチョコレートだったのが今年手作りに変わっていたら少しは何か感じ取ってくれるかな、なんて、淡い期待を抱いてしまう。


いくら味音痴といえど、レシピ通りに作ればなんとかなるだろうと、材料を放り込み私は家路についた。










「うーわ、何これ」


目の前に並べられた黒い物体。物体といっても紛れもないトリュフチョコなのだけれど。歪な形のそれは口に含むのも恐ろしいほどで、私はため息をひとつ。今まで料理から逃げていた私が一日やそこらでまともなものが作れるはずもなかった。さらに指にはいくつもの絆創膏。チョコを刻むときに作ったものでその数に涙が出る。形の定まらないトリュフと不器用を形にしたような傷が痛々しい。


「こんなのあげられないなあ…」
「これ誰かにあげんの?」
「…え?あ、せい…、は!?ちょ、み、見ないで!」
「久しぶりに会った幼なじみにおかえりもなしに見ないでってひどくねー?」


むう、と頬を膨らますこの幼なじみはいつ帰ってきたのだろうか。だってそもそも彼は寮生で、さらにここは私の家で。内心だらだらに汗をかきながらもおかえり、とだけ声を絞り出せばただいま!とにこやかに返された。


「で、何これ」
「や、これは、その、ちょっとお菓子作りを…」
「あとこれも」
「へ?」


言うと同時、不意に掴まれた左手。じっと私の指に巻かれた絆創膏を見つめる姿に羞恥が込み上げる。恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。


「…もーやだ…」
「え、え、なんで泣いてんの!そんな痛い?」


声を出したら涙に追い討ちをかけそうで、ふるふると首だけを振る。泣くなんて恥ずかしさを倍増させるだけなのに。もうどうしていいかわからずさっきと再び同じ台詞を口にする。


「見ないで…」
「無理。そりゃ見るよ!こんなばんそこだらけだったら!しかも#名前#泣いてるし!ちゃんと消毒した?あ、これ血滲んでんじゃん!貼り直した…」
「……ふふ」
「え、」
「…誠二お母さんみたい。渋沢さんの役割もらってきたの?」
「はあ?こっちは真剣に…!」
「…ごめん。自分のふがいなさと誠二の優しさにぐっときちゃっただけだから。傷は痛くないの。心配かけてごめんね。」
「そっか。なら安心した。じゃあいっこ聞かせて」
「ん?」
「それ、誰にあげるつもり」


さっきまでの落ち着かない様子の彼はどこに消えたのか、真剣な瞳が今度は私を捉える。黒く光るそれに微かな動揺の色を映せば、捕られたままの手にさらに力がこもった。彼の全身がこんなに私に向くことが今まであっただろうか。
喉がなる。敵わない、昔から。


「………誠二に、誠二にあげるつもりだったの。今年は頑張ろうって思ったから。失敗しちゃったけどね。そもそも練習もなしにやろうとしたのが間違いだったんだよね。」


そう言って自嘲気味に笑うも、それに同調するような反応はなくて相変わらず真剣な声色が響いた。


「…これ、今食べていい?」
「え、あ、でも…」


私の返事を待たずに一番といっていいほど形の悪いチョコを口に放った誠二がそれを飲み下すのを見届ける。


「ん、うまい。」
「ほ、ほんと!ま、まあ別に変なもの入れたわけじゃないし…でもよかった…」
「味見した?」
「へ?あ、ああまだ…」
「そっか」


そう言って誠二はまたチョコを口に入れた。私もひとつくらい、と思い、バットに伸ばそうとした右手が、再び左手と同じように誠二に捕られる。驚いて肩を揺らした瞬間、握られた両手が引っ張られ、気付くと重ねられた唇。ゆるく溶けた甘さが口内を支配する。

数秒後。
軽いリップ音とともに離れた唇の端についたチョコを拭いながら、目の前の男はご馳走さまと笑った。











血がざわめくほど甘い、
(それはまるで媚薬のような)