目が覚めて最初に映ったのは、窓に当たっては滴り落ちていく雨粒だった。家の前を行き交う車も濡れた道路を象徴するように、湿った音を出しながら走っていく。
のそりとベッドから起き上がり、まだ覚醒しきれていない頭と戦いながら目覚ましに手を伸ばした。
時刻は5時ジャスト。いつもならランニングに出る時間で、今日の部活のメニューを練りながらTシャツに袖を通す時間でもあった。けれど今日はそうはいかなかった。体がだるい。それは高熱があるとか、風邪を引いてるだとかそういったものではなく、たぶん朝から降り続く雨が原因で。天候に左右されるなんてまだまだ鍛え方が足りないと若干苦笑しながら、俺は着替えを始めた。

そうだ。たまにはのんびりといつものコースを歩いてみようか。息抜き程度にはなるはずだ。まだ夢の最中にいる家族を起こさないように静かにドアを閉め、俺はしとしとと降り注ぐ雨の中に足を踏み出した。









いつもと同じ道がいつもと違うスピードで変わっていく。ぽたり、と傘に落ちてくる雨は心地よい音を奏で、そして滑るように傘の先へと伝っていった。無意識に目で追う。傘の骨まで到達したそれはその重さに耐え切れなくなり、俺の足元に音もなく落下した。

ふと目線を戻す。視界全体が黄色に支配された。目の前にあったのは大きな黄色い傘だった。


「やっぱり水野だ。おはよう」


傘を少し上に持ち上げ、その声の持ち主はにっこりと笑った。


「間違ってたらどうしようかと思った。ランニング…ではないんだ?」
「あー…いまいち調子が乗らなかったんだよ。それより珍しいな、いつもならこの時間にいないだろ」
「うん。目が覚めちゃったんだよね」


そう苦笑いを浮かべる彼女、鈴木は女子サッカー部の副部長で、小島の一番の友達らしい。責任感は人一倍、その上気さくで誰にでも分け隔てなく接するから、いつしか鈴木は人気者と呼ばれる位置にいた。


「鈴木」
「ん?」
「その傘目立つな」
「あー…うん。明るい気分になりそうでしょ?」


そう言った鈴木は一瞬、顔を曇らせたけれどまたすぐにおちゃらけた笑顔を見せ、くるっと傘を回してみせた。


「…似合ってる」


綺麗な弧を描いていた彼女の唇がぴくりと動いて止まった。


「…水野、大丈夫?」
「何が」
「まさか水野からそんな言葉が聞けるとは」


…確かに鈴木の言う通りだ。何事をするのにも慎重派な俺が、思ったことをそのまま口にするなんて。まるで言葉が意思を持って自分からするりと抜けたような自然さがあった。けれど零れた言葉に嘘偽りはなく、本当に黄色は彼女のもつイメージと重なっていたのだ。明るくて人を元気にさせる色。


「…水野」


ふと鈴木が俺の名前を呼ぶ。


「誰にも言わないで」


いきなり訪れた口封じのセリフに俺は驚き目の前にいる鈴木を改めて見直す。


「…あぁ」


そしてすぐに短い返事をした。


元気を象徴する色の中で彼女の頬を雫が伝っていた。










黄色の傘
(ああ、その姿が頭から離れない)