きみのいびつを殺めた日

 伴音は痛みに顔を歪めた。今にも叫んでしまいたい、しかしそれは一縷の理性が許さなかった。唇を血がにじむまで噛み締めても、うめき声が漏れ出た。そして、意識を失った。

──ここは…?

 プールの時、もぐって水面を見ることが好きだった。鼻をつまんで上を向いて身体を水に任せると、たゆたう水に従って身体から力が抜けて自然になれた。光を受けた水面がキラキラして、不規則な形を作るのが美しい。今まさに、伴音はそれを感じていた。
 伴音が目を開くと、そこは水の中だった。ビックリして息をのむと、空気が肺を支配した。水の中では息が出来ないのは当たり前なのに、なんてデタラメな。
 伴音はひとまず呼吸に困らないことに安心し、辺りを観察した。水の中とはいえ、普通に立つ感覚でその場に留まることは出来る。深さは二メートルと少し。水上はよく晴れているようで、足下の水草や岩がよく見える。伴音が好きな水面の不規則な模様が映っている。

───ここは君の精神世界。来るのは二度目だね。
─どういうこと?来たのは初めてだし、精神世界って…。

 伴音は精神世界に来たことが何度かある。しかしそれは必要に迫られたときだけだ。
 何故なら精神世界というものにとって、それを作り出す本人以外は異物に当たるから。精神世界は本人を守るために、異物を排除しようとする。
 伴音が来たことがあるのは、精神世界の均衡が保てなくなるほどのショックを受けたもの。例えば、関東大会の結果を聞いた後の幸村 精市のような。
 あの時の幸村は生霊を生み出し、レギュラーのみんなに残留思念を遺すほどのショックを受けていた。その大元は絶てなくても、心を救うことは出来る。内側に入って中から邪気を祓う。 一応レギュラー達はその時彼岸に関わってしまっていた。それでもまだ引き返せる場所に居た。だから、自分との関わりを無理矢理断たせた。それは間違っていなかった。つまりレギュラー達は霊力を開花させることはなかった。
 でも自分の精神世界とは…。ここが自分の中なのかと妙に感慨深くなった。

───僕達は君の斬魄刀ざんぱくとうさ。
─え?斬魄刀?

 斬魄刀と言うのは『死神』が持つ刀のことだ。『死神』はその『斬魄刀』で悪しきものを斬り祓い、その罪穢つみけがれを洗い流して無垢なる魂に戻し、その魂に輪廻転生の道に導く。
 その斬魄刀というのは普段封印された状態なのだ。それと寝食をともにし信頼関係を築くことでその封印を解除することが出来る。それを『始解しかい』という。『始解』をするには斬魄刀の名前を聞き出すことが必要になってくる。

─まさか、貴方が私の斬魄刀で、名前を教えてくれるの?
───まあ、合っているよ。訂正するなら、『貴方』ではなく『貴方達』。そして僕達の声が君に届いたなら。
─つまり私の斬魄刀は複数で、始解を教える気はあるってことね。
───さらに訂正すると『複数』ではなく『六つでひとつ』かな。

 訂正訂正、うるさいな、と思うと笑い声が聞こえた。

───さて、つらいことを思い出させるのは忍びないけど、君と、君の大切な人を守るためと思って我慢してね。
─っ!!そうだ…あの悪霊を祓わなくちゃ…。

 伴音は精神世界だからか存在する左腕を握った。声が耳元で聞こえた気がする。そうしたら、封印されていた記憶が蘇った。


 一方その頃。彼らは戸惑っていた。自分たちを守ろうと戦って、足手纏いになって、左腕を失った、たった三ヶ月一緒に闘った篠原。
 左腕の出血は止まらず周囲に血溜まりができていく。真田は篠原の右手から刀を抜き取って全員を守るように構えた。祖父が剣道の道場を開いているだけあって、構えは伴音のそれに近かった。けれど、やはり恐ろしさから腰が引けているように思えた。それでも立ちふさがるのは彼の副部長としての意地や責任感からだろうか。
 化物は愉しそうに笑って寄って来た。ああ、ダメだ。俺たちはここで死ぬんだ。

 腕に抱えていたはずの重みが消えた。ハッとして、前を見た。真田の隣に一瞬で移動した篠原が、苦悶の表情を浮かべつつも立っていた。

「真田くん、刀を返して」
「あ、ああ…」

 刀を受け取った伴音はそれを重たそうに切っ先を下げた。

「片腕でどうするって言うんだい?舐めてもらっちゃ困るねェ!!」

 化物が、こちらへ迫ってきた。真田は本能的に一歩下がった。伴音は刀を地面に突き刺し、身体を支えるようにした。一体そんな身体でどうするのだ。

かおれ『盾舜六花しゅんしゅんりっか』!!」

 パキンと何かが砕ける音がした。それは伴音の刀だった。

三天結盾さんてんけっしゅん

 伴音が唱えた瞬間、三つの何かが伴音の前に飛び出し、その三つを頂点に三角形の盾のようなものが化物の進行を阻んだ。

双天帰盾そうてんきしゅん

 片腕で無理なら治せばいい。そう言った篠原にそんなバカな、その場に居た全員がそう思った。しかし二つの何かが左腕に楕円の結界のようなものを織りなすと失った腕がみるみる再生されていく。全員が息をのんだ。

「な、なんなんだ、その力は」
「貴方が知るべきことでないわ。強いて言うなら、私は死神。そして、この六人が私の斬魄刀『盾舜六花』よ」

 治った左腕を握ったり開いたりした篠原はパンと手を合わせた。拍手かしわでは音霊。そして、篠原が血塗れた唇で紡ぐのは言霊。

弧天斬盾こてんざんしゅん

 何かが一つ化物に向かっていって、化物を両断した。


160402
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