こっち向いてダーリン
──最後にエッチしたの、いつだっけ。
久しぶりに会った恋人が険しい顔で電話してるのを見ながら、そんな事を思った。
数週間前、久しぶりの大型案件だと興奮していた八神さん。何でも某有名女優の夫が浮気しているらしく、報酬は弾むから週刊誌に先を越される前にコレでもかというくらい証拠を集めて欲しいと言われたらしい。復讐に燃える依頼主の目は曰く、「俺が勝手にアイス食べた時の莉子の目より怖かった」らしい。何かちょっとムカついたので冗談めかしに笑う八神さんの頬っぺたつねっておいた。
八神さんに暫く張り込みとかで忙しいかも、と言われて正直寂しさが大きかったけど、「これで先月分の家賃が払える…!」と妙にギラついた目でガッツポーズを決める八神さんに何もいう言葉が出てこなかった。それは、是非早く払って欲しい。
そんな訳でメールでのやり取りはあるものの、実際顔を合わせたのは本当に久しぶりなのだ。
少し時間ができたから、と突然家にやってきた八神さんに子犬よろしく尻尾を振って部屋に招き入れた自分が馬鹿みたいに八神さんはさっきから仕事の電話を続けている。
そりゃあ、まあ仕事だし?
私と仕事どっちが大事なのよ、みたいな事言う女にはなりたくないし?
かかってきた電話を無視するなんてこと、八神さんがするわけないし??
でも、なんか。
なーーーんかちょっと。
(さみしい…)
すぐ終わると思って待っていた八神さんの電話は思ったより長い。相手は依頼主の女優だろうか。夫の愚痴なのか分からないけど、時々八神さんが困ったような顔で相槌を打ってる。その目には、残念ながら私は映ってない。
エッチどころか、キスもしてない。ふわふわの髪の毛に触れることも、少しゴツくて長い指先に手を絡める事も、意外に細くてでもしっかりと引き締まった腰に手を回すことも。ぜーんぶ、ここ数週間お預け状態だ。
「………」
無言で、服に手をかける。
ゆっくりと黒色の最近買ったお気に入りのビスチェを肩から外し、ソファの上へと脱ぎ捨てる。チラッと八神さんの視線がこちらに向けられたのが見えたけど、そのまま無言でデニムのホックに手をかけた。
「…えっ!?……あ、いや何でもないです、はい。すみません…」
ぎょっとしたように目を見開いた八神さん。けれどすぐに持ち直し、ぎこちなく電話を再開する。その目は戸惑いながらもこちらを見たままだ。
構わずジーンズを脱ぎ捨てた。それから、チェック柄のモノクロのシャツのボタンを上から順にゆっくり外していく。全てのボタンを外して袖から腕を引き抜こうとしたところで、ガシッと肩を掴まれた。その正体は、もちろん(いつの間にか電話を切っていた)八神さんだ。
「ごめん、待って。ちょ、ちょっと待って」
「もう充分待ちましたけど?」
「いや、本当ごめん。折角来たのに仕事ばっかで嫌な思いしたよな。でも今莉子の肌見たら歯止め効かなくなる」
欲深いガラス玉の様な真っ黒な目が、困った様にこちらを覗き込んだ。少しだけ焦った様にシャツの前を擦り合わせ、胸元を隠される。
歯止め、効かせなくていいのに。
それでも忙しい時間を縫って会いに来てくれた事も、明日も朝早くから張り込みがあるという事も分かっていたから何も言えなくなってしまう。
不貞腐れたような私の顔に困った顔だった八神さんが、急に真剣な表情になって今度はこちらがぎょっとした。怒らせちゃったかな。めんどくさいって思われちゃったかな。色んな意味でドキドキしていると、ゆっくりと顔が近付いてきておでこに軽くキスを落とされた。
「……へ」
「3日。あと3日だけ待って欲しい。絶対仕事終わらせるから」
「……ほんと?」
「本当」
3日、3日かあー。
短い様で、凄く長い。それまでまたお預けかあ、なんて八神さんの胸に顔を押し付けて考える。あ、こんなゼロ距離で近づいたのも久しぶりだ。八神さんの甘くて爽やかな匂いが胸いっぱいに広がってそれだけで心が満たされていく感覚になるのだから、自分も相当現金な女だ。
「いいよ。じゃあご褒美ちょうだい」
「、ご褒美?」
「うん。そしたらもうちょっとだけ頑張れるかも」
「ご褒美、ご褒美なー」
うーん、と考えながら、さり気なく腰に手が回ってきて緩く抱きしめられる。うーん、こういうところが好きなんだ。久しぶりのスキンシップに、空っぽになっていた心のメーターが徐々に満たされていく。何だかもうすでにご褒美を貰っている気分にもなったけど、欲張りな私は黙ったまま八神さんの返事を待った。これくらいの我儘、八神さんならきっと許してくれる。…はず。
「何でもいいよ。莉子がやりたい事とか、して欲しい事とか」
「えぇー。それじゃ多分キリがないよ」
「例えば?」
「……ちゅーしたい」
ぽそ、と呟くと、心なしか八神さんの身体がビクッと固まった気がする。顔を見るのは少し恥ずかしくて、胸に顔を預けたままグリグリと押し付けた。こうやって触れて思う。やっぱり好きだなあー、なんて。
「……今みたいに抱きつきたい。手繋いでデートしたい。膝枕して欲しいし、したい。いっぱい頭撫でて欲しい。あと、………えっちしたい」
ぼそぼそと小さな声で願望を述べていく。何だかとてつもなく恥ずかしい事を言っている自覚はあるけど、久しぶりの恋人の体温に蕩けた頭はまともな思考回路を辿って言葉にならなかったらしい。
じわじわと熱を帯びていく頬に、子供じみた事言いすぎたかと後悔し始めた頃。ぐっと肩を掴まれ引き離されると、途端に噛み付く様にキスをされた。
「んっ、!?」
予想外の展開に、ポカンと間抜けな顔を晒してるだろう私を八神さんの薄く開いた目が見下ろしている。ゾクッと背筋が震えるのと同時に、熱い舌が咥内へと侵入してくる。ワンテンポ遅れて必死にそれに応えようと頑張るけど、望んでいたはずのキスなのに頭が上手く回らなくてどちらのものも言えない唾液が口の端から漏れた。
「……っ、はぁっ、や、…がみさん?」
「頼むから、これ以上煽んないで」
漸く唇が離れた後、とろんとした思考で名前を呼ぶと、八神さんの頭が肩口に押し付けられた。突然こんな深いキスをされて、寧ろ、煽られたの私じゃない?
ぎゅうっと少し苦しいくらいに抱きしめられて余計に離れ難くなってしまった。明日の仕事の事を考えれば八神さんはそろそろ帰らないといけない時間なのに。こんな状態のまま、まだ3日も待つなんて酷い拷問のようだ。
「……ぜってぇー終わらせてやる」
「え?」
「いや、こっちの話。3日後予定空けといて。今の、全部やろう」
「……本当に大丈夫?」
「俺が嘘ついた事あった?」
「……ない、かな?」
「あれ、そこは即答するとこじゃない?」
「だって八神さん、怪我しててもしてないってよく言うじゃん」
「うっ……」
痛いところを突かれたと言わんばかりに言葉を詰まらせる八神さんに呆れながら、両手で頬っぺたを包み込んだ。
気まずそうに泳ぐ視線が、何だかんだ堪らなく愛おしくて笑ってしまう。
「3日、ね。怪我しないでね。約束だよ」
「ああ。任せとけ」
「……うん」
今度はそっと触れるだけのキスをして、もう一度八神さんの胸の中へと抱きついた。早く、3日後にならないかなあ、なんて思いながら今はただ目の前の体温に身を委ねた。