月も溶ける夜



お風呂に入ってる間に、八神さんが消えた。
どこに行ったのだろうと部屋を見渡すと、閉めていたカーテンが僅かに開いて人影が映っている。どうやらこの寒い中、わざわざ気を使って外で煙草を吸ってるらしい。

カラカラカラ…

ベランダの引き戸を軽い音を立てて私も外に出ると、八神さんがチラッと目線を寄越して煙草を消そうとする。それをそっと手を当てて静止した。

「いいよ、もう慣れたから。なんかその匂いも嫌いじゃなくなった」
「あ、そう?」
「禁煙してくれるならもっと嬉しいけど」
「うーん、考えとく」

そう言って薄く笑うから、多分全然本心じゃない。
健康のことを思えば禁煙してくれるに越したことはないのだけど、すっかりこの煙草の匂いにも慣れてしまえば落ち着く匂いとなってしまったのだから不思議である。
八神さんにピッタリとくっついて息を吐くと、白い吐息が空に浮かんだ。世間はすっかり、秋から冬へと変わろうとしている。

「ちょっと待ってて」

折角くっついていた腕が離れて、八神さんが部屋の中へと戻っていく。追加の煙草でも持ってくるのかな。お風呂上がりの熱った体がゆっくりと夜風に冷まされていくのを感じながら待っていると、カラカラと再び音を立てて八神さんが戻ってきた。

「湯冷めするから」

そう言って私が愛用している膝掛けを肩にかけられる。うーん、気遣いのできる彼氏さまだ。嬉しくなって膝掛けの隅っこを持って片方を八神さんの肩へと回す。どうせなら、2人でくっ付いて使った方が暖かいし幸せだ。

ふ、と笑った気配をすぐ近くで感じながら、暫く2人でぼんやりと外の景色を眺めていた。少し街の中心部から離れているせいか、そこまで建物の光は見えない。それにしては何か明るいな、と思って空を見上げると、まん丸いお月様がぽっかりと浮かんでいた。

「わ、満月だ」
「本当だ。やっぱ冬は空気が澄んでるからか、くっきり見えるな」
「うん。凄くきれい」
「…莉子の方がきれいだよ」

届いた台詞に、思わずすぐ横にある顔を振り返る。八神さんの視線は月を見上げたままで、中々こちらを見てくれない。

「……」
「……………」
「……………………」
「……ふ、ふふふふ、あはははっ!」
「ちょっと、笑い過ぎ」
「だって八神さん、顔赤いよ」
「我ながらすげぇーくさい台詞吐いたと思ってるよ」

誤魔化すように煙草の白く濁った煙を吐き出すその口は、決まり悪そうにへの字に曲がっている。その割に耳は寒さじゃない理由で赤くなっていて、愛しさで笑いが止まらなくなった。

「へへへ。でも、ありがとう。八神さんと見てる月はいつでも綺麗だよ」

いつもより近いその横顔に、背伸びしてキスを落とす。きっと八神さんなら、この言葉の意味も理解してくれるだろう。


カラカラ、ぴしゃん


ちょっと恥ずかしくなって言い逃れするようにベランダから室内へ戻る。すっかりほっぺたも耳も冷たくなっていたのに、八神さんに触れていた右腕だけが、ずっと暖かい。


カラカラ、ぴしゃん


遅れて戻ってきた八神さんと目が合って、何かを言う前に今度は八神さんの冷たい唇が頬に触れる。それから優しく腕を引っ張られ、ベッドに傾れ込む。お互いの冷えた体を温め合うように、ぎゅっと抱きついた。


「…明日、仕事早いんじゃなかった?」
「まあ、どうにかなるでしょ。
「八神さん体力お化けだもんね」
「それって褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」


クスクス笑い合いながら、手探りでリモコンを探して電気のスイッチを消した。一瞬暗くなった部屋は、だけどほんのりと明るさを保っている。
チラリと視線をベランダに向けると、きちんと閉まってなかったカーテンの隙間から、月の光がやんわりと入って淡い光が八神さんの輪郭をぼんやりと照らし出していた。

──ああ、本当に。
今日も明日も、ずーっと


この月は綺麗なままだ。




top.