伝わらない感情
神室町では今、少し物騒な事件が相次いでいる。
莉子にも不要な外出は控えるように伝え、夜遅い時間は家から出ないようにと言いつけている。狙われているのはヤクザとはいえ、まだ目的がはっきりしていない今避けれる危険は避けるべきだ。
「八神さんこそ、余計な喧嘩はしないでね」
不安で揺れる莉子の瞳を見ながら、好きで喧嘩してるわけじゃないけど、と思いながら頷く。決して治安が良いとは言えない神室町で、ヤクザの組長と知り合いで、恨みも買いやすい探偵業をしていると何かと喧嘩をふっかけられることも多い。それでも積み重ねてきた経験から大した怪我はしていないのだから…まあ、多分大丈夫だろう。
「うわ、お酒くさい」
少し遅い夜の時間。俺は莉子の部屋を訪れていた。ふわふわとする頭で貰った合鍵を使い家に入ると、莉子は丁度お風呂から上がったところで。タオルで髪の毛を乾かしながら突然やってきた俺にも嫌な顔せずそのまま部屋へと招き入れてくれる。
「珍しいね。八神さんが酔ってるの」
不思議そうに首を傾げる彼女の肩に顔を埋めて、今日のことを振り返る。
途中までは順調だったんだ。依頼をこなし、報酬を手に入れて少ないけれどやっと海藤さんに給料も渡せて。問題は、その後だ。
いつものように馬鹿らしい理由でチンピラに絡まれたと思ったら、羽村のカシラに会ってしまった。忘れたくても忘れられない過去のあれこれをご丁寧に説明してくれて、気分は最悪だというのにその数分後には何故かそのカシラを弁護することになって。
ほんの僅かな間に状況が目まぐるしく回転して疲れる日だった。
カシラにどれだけ酷い事を言われようと、言い返せない事実が俺を苦しめる。それから、源田先生の期待と、僅かな失望の目の色を思い出して一人モヤモヤと酒を煽ったせいか。久しぶりに、悪酔いしてしまったのかもしれない。
「…大丈夫?」
返事をしない俺に、莉子が心配そうに顔を覗き込んでくる。同時に、ふわりと香るこの家のシャンプーの匂い。安心するようないつもの匂いに、沸々と欲情していくのを感じた。
「ねぇ、聞いて、…んっ、!?」
言葉を紡ごうとする莉子の口を、自分の口で塞ぐ。酒のせいか熱っぽい頭は理性というものを奥深くに閉じ込めてしまったらしい。そのまま莉子を床に押し倒し、服の中へと手を入れた。外から入ってきた俺の手はまだ冷たく、お風呂上がりの莉子の体が余計に熱く感じさせる。
「ちょ、ちょっと待っ、…ひゃあ!?」
莉子が俺の肩を押し返して抵抗するが、戸惑っているのかそこに大した力は加えられていない。首筋を舐めながら臍から胸へとどんどん手を上昇させると、風呂上がりだからか、下着をつけていなかった。丁度いいとそのまま手を進め膨らみの先端を指で軽く摘むと、びくりと莉子の肩が跳ね短い嬌声が漏れる。
「もう硬くなってる」
「…っ八神さんの手が、冷たいから…!」
「うん、かわいい」
「えっ、」
真っ赤になってる顔も、戸惑っている声も、全部愛しい。首元までシャツを捲り上げ、今度は指じゃなくて舌で愛撫すると莉子の腰が反って耐えきれない声が上がる。それでも必死に声を我慢しようとしている姿に、加虐心がむくむくと湧き上がり下半身へと手を伸ばした。下着の中へと指を滑り込ませるとすでにそこは軽く濡れそぼっていて、そういえば最近は張り込みだのなんだので、こうやって体を重ねることも久しぶりだと思い出す。
「あっ、んん…、!」
指も舌も動きを止めないで刺激を繰り返せば、切なそうに細まった目が下から俺を見上げていた。
欲しい、と。その濡れた唇で言ってほしい。
腐った目をしていても。奪うことしかできなかった俺でも。それでも欲しいと。何も知らない無垢は瞳で、俺の罪なんて知らない純粋な心で。
俺だけを、求めて欲しい。
*
「…やらかした」
熱いシャワーを頭から被りながら、酔いの覚めた頭で呟いた。いくら悪酔いしていたとはいえ、それは俺の都合で莉子には関係ないことだ。突然押しかけて、殆ど無言で勝手に盛って事に及ぶなんて、普通に考えて激怒されてもおかしくない。酒を覚えたてのガキじゃあるまいし、いい歳して何をしてるんだ。マジで。
風呂から上がり恐る恐る莉子の側へ近づくと、潤んだ瞳が俺を見上げた。ヒヤリと心が冷えて、後悔が押し寄せる。なんて弁明しようかと元弁護士のくせに何も思いつかない頭で必死に考えていると、莉子が聞き逃しそうな程小さな声で呟いた。
「…なんで黙ってたの」
「…うん?」
酷く罵られる覚悟をしていたのに、かけられた言葉は予想していたものとは違うものだった。おかげで直前まで考えていた謝罪が結び付かず、首を捻る。
何も言えなくなった俺に、莉子は無言で俺の服を引っ張り上げると、辛そうに眉根を寄せた。その視線の先にあるものを思い出し、あぁ、と納得する。さっき風呂場の鏡でも視界に映ったそれは、数日前にできた喧嘩による打撲痕だ。情事の際に莉子の目にも入ったのだろう。
「こんなひどい怪我してるのに…。手当してないんでしょ?」
「いや、別に大した事じゃないし」
「大した事だよ!!」
珍しく、莉子が声を荒げる。確かに赤黒く変色した肌は側から見れば痛々しいかもしれない。けどこんな怪我は俺には慣れっこだったし、当の本人である俺が大丈夫だと言えばそれまでのことなのではと思う。どうして莉子がここでそんなに怒るのかが、俺には理解できない。
泣きそうに歪めれられた顔に罪悪感を抱かないかと言えば嘘になるが、俺にとっての日常にそこまで目くじら立てられても正直困るというのが本音だ。まさか怪我をする度に子供のように報告しろとでも言うわけじゃあるまいし。
「大丈夫だって。見た目ほど痛くないし」
「また喧嘩したの?ナンパされた女の子を助けた?ヤクザに絡まれた人を助けたの?なんでもいい、なんでこんな…っ、!」
「もういいって!!」
自分の口から飛び出た怒鳴り声に、ハッとした時には既に遅く。莉子の顔を確認すればじわじわと瞳に水の膜が張っていくのが見えた。しまった、と思って手を伸ばすとそれよりも早くポロリと涙が溢れた。慌てて莉子を抱きしめると、小さく震えているのが分かる。
「ごめん。でも本当、大丈夫だから。知ってんだろ?俺が喧嘩に強いの」
「…そうじゃない。……そうじゃないよ、八神さん」
あやすように背中を撫でても、莉子の瞳から落ちる涙は止まることがなく。涙で濡れる顔を隠すように、俺の胸に頭を押し付けた。莉子は震える声で何かを伝えようとしていたけど、これ以上気まずい空気に耐えきれずに俺はわざと気付かないフリをした。
それが、多分亀裂の始まりだったのかもしれない。