#01



浴びせられる歓声で耳が痺れた。コートにぱたりと汗が落ちる。バッシュの擦れる音に振り向けば、空気がうねった。やられた。ボールは手から離れ、波のように流れていく。柔らかな音の先に、ちょうど輪をくぐったボールが見えた。

「クソッ!」

「おい黄瀬、気ィ抜くなよ」

笠松先輩は満足げだった。入部して一ヶ月足らず、1on1では殆ど勝ち越していたのに、今日は調子が悪い。それでも自分に向けられる黄色い歓声は鳴りやまない。モデルという立場上、気分でどうこうするわけにもいかず、仕方なく笑顔で手を振る。自分を慕ってくれるのは嬉しいが、プライベートである学校生活にまで仕事の性質を持ち込むのは面白くない。入学早々この調子で、正直なところ鬱陶しいことこの上なかった。

「流石にうっせぇな、お前のファン。練習の時は出入り禁止にしろよ」

「俺に言われても困るんで。監督に言って下さいよ、センパイ」

笠松先輩は不満げにこちらを見て、一つため息をついた。俺は逆効果だと分かっていながら微笑む。幸か不幸か、小さな頃からこの端麗な容姿がついて歩いた。身についた優越感が、何をするにも絶対的な自信になる。しかし、この容姿のせいもあり精神の表裏に大分差がついてしまったのも事実。最近はどこにいても息が詰まる。

「20時か。今日はもう終いだな」

笠松先輩は無造作にTシャツで汗を拭うと、時計を一瞥して顔を顰めた。もう外は暗かった。先輩が練習終了を全員に告げると、一気に見学していた女子生徒が騒がしくなる。

「おい……あいつらまた部室の外で黄瀬を待ち伏せするつもりか?」

「そうみたいっスね。」

毎回部室の外で、俺の着替えが済むのを待つ女子生徒が数名いる。差し入れや労いの言葉をくれるのだが、正直こうも毎日続くと笑顔が引きつりそうだ。運が悪いと家が近いなどと言われ、ろくに話したこともない女子生徒と下校する羽目になる。

「いーよな黄瀬。俺にも分けろよ」

ふと肩を組まれて振り返ると、やはり森山先輩だった。へらへらと笑う女好きの彼も顔は整っている方だ。分けられるものなら分けてやりたい、と思いつつも口をつぐんで愛想笑いをした。

今日は何としてでも一人でゆっくり帰りたい。不調で気分が悪い分、女生徒に取り繕う気力は無かった。俺はいつか実行しようと思っていた、体育館の男子トイレで一人着替えを済ませ、ひっそりと帰る作戦を実行することにする。これなら部室に先回りした女生徒には気づかれない。

先輩に旨を伝えれば、苦虫を噛み潰したような顔をされた。わかったお疲れ、と素っ気無く一言残して去って行く皆の後ろ姿を見つめる。入部早々啖呵を切った上に、部員には自分のせいでいくらか不快な思いをさせている。どう思われているかなんて、大方予想がついた。
息苦しい。ふいに喉に手を当てる。思い切り深呼吸をすると、喉がひゅうと鳴って、乾いた唇の皮がぶつりと裂けた。

「痛ェ…」

ゆっくりと着替えを終え、まるでどこぞのスパイかのように、トイレのドアから頭だけ出して辺りを見回した。まだ電気はついていて、マネージャー数人が体育館のモップ掛けをしている。ここから出てすぐに体育館出口がある。誰にも見つからずに帰れそうだ。よし。

「ねぇねぇ、今日も黄瀬君カッコよかったよね〜!」

いざ一歩踏み出そうとしたが、ふとマネージャーの一人が喋り出した。自分の名前を聞いて、思わずその足を止める。

「ね〜!最後は笠松先輩に負けちゃったけど、それでもカッコいいと思ったもん」

「やっぱイケメンは何してもかっこいい!」

けらけらと笑うマネージャーたちは、確か俺がこの部に入ってから入部した一年の女子たちだ。何かと俺だけに差し入れをくれたり、喋りかけたりしてくる。悪い気はしないが、こうも見た目だけで寄ってこられては、女も大概、単純だなと思う。俺の中身を知っても、彼女たちは自分を好いてくれるだろうか。

「は、馬鹿みてー…」

ようやく体育館を出たところで、俺はそう呟いた。気分が悪い。今日はさっさと寝よう。心なしか足取りは重く、もつれそうになる。5、6歩歩いたところで、ふと視界の端に人影が見えた。

はっとして目をやると、体育館脇にある水道の上に、女生徒が胡座をかいて座り込んでいた。蛇口の上、幅数十センチの平らなコンクリートの上にどかりと座り込む姿は、かなり印象的だ。まさか部室にいないと踏んでここで待ち伏せていたのだろうか。

数秒間、唖然と立ち尽くした。彼女の方も、気づいて俺を凝視する。見たことのない生徒だ。片耳だけイヤフォンをはめ込んでいる。さっきの俺の呟きは、聞かれてなかっただろうか。
彼女の髪は赤茶のミディアムショートで、後ろ髪と同じくらいに前髪も長く、左右に分けられている。綺麗な弧を描くアイラインは目尻できりりと跳ね、まるで猫のようだ。鼻は高めで、唇は比較的綺麗に形作られている。まっすぐな眉は目尻にかけて角度がつけられ、凛とした雰囲気を醸し出していた。可愛いという言葉よりも綺麗という言葉が似合う、大人びた顔だ。モデル並み、とはいかないが、独特の雰囲気がある。ふと彼女の横に2つの缶ジュースが置かれているのに気づき、俺は内心でため息をついた。なんだ、やっぱり出待ちか。

「悪いんスけど、今日は一人で帰りたいんで」

気分が良くないのもあって、ちょっとキツイ言い方をしたかもしれない。だがもちろん、ちゃんと笑顔は作った。彼女は一瞬驚いて目を見開くが、すぐに平然とした表情に戻る。そしてゆっくりと口を開いた。

「あんたを待ってたわけじゃない。私が待ってるのは笠松幸男。だから早く、一人で帰るといいよ」

思わぬ言葉に絶句する。その態度が、えらく誰かに似ている気がした。そうだ。青峰っちだ。どうでもよさそうな、突き放すようなあの言い方。
大体、女は俺を見るなり二度見したり、驚いたり、かっこいいだの言うが、彼女は全く興味のなさそうな、まるでその辺の木でも見るようなそんな態度なのだ。しかも、待っているのは笠松先輩。確か先輩は女子が苦手と聞いたが、まさか彼女だろうか。だとしたら彼女は3年生か?

「てっきり俺のファンかと…。笠松先輩の彼女さんっスか?」

「ただの幼馴染み。借りたもの返しに来ただけ。あとお礼」

彼女は簡潔にそう言って、横に置かれた缶ジュースを指差した。なるほどそうだったのか。勘違いした自分が僅かながら恥ずかしい。

「…笠松先輩なら部室っスよ。なんでここに?」

「部室の外はあんたのファンがたくさんいて鬱陶しい。だからここで待ち合わせてるの」

言われて俺は押し黙る。まさにお前のせいだと言わんばかりの言葉だ。あんた、と呼ぶその態度も尖っていてキツい。悪く言えば高飛車。女のモデルでたまにいる。こういうキリッとした綺麗系の、プライドの高そうな女。

「悪かったっスね。俺のせいで」

俺は不服ながらもそう言って、いかにも申し訳なさそうな作り笑いを浮かべた。一方、彼女は訝しげに俺を凝視する。

「別にあんたのせいじゃないでしょ」

「…は?」

「息苦しいことこの上無いって顔してる」

そんなこと、女子に初めて言われた。今の俺の顔がそんなに疲れて見えるのか。普段は笑顔を絶やさず、楽しそうに振舞っているつもりなのに。

「そんなことないっスよ。ファンがいるのは嬉しいし、感謝してるし」

「ふーん。でも"馬鹿みてー"なんでしょ?本当は」

いつもの営業スマイルは途中で引きつった。彼女の言葉は的確で容赦がない。しかもやっぱり聞かれていた。さっきの独り言。

「いや、さっきのアレは―――」

「たまには息抜きしたら?じゃあね」

弁解の余地無く俺の言葉は遮られ、彼女は横に置いてあった缶ジュースを一つ投げる。くれるのか。俺に向かって弧を描いて飛んでくるそれを、バスケの要領で片手で受け止める。ナイスキャッチ。という言葉は無く、彼女は片方だけ外していたイヤフォンを耳にはめ込むと、そっぽを向いて自分の世界へと入ってしまう。

「ありがとっス…」

恐らく聞こえていないだろう。缶ジュースはポカリかと思いきやファンタグレープだった。なんだよ。今開けたら大変なことになるじゃないか。もう一度彼女を見る。凛とした横顔が、蛍光灯に照らされている。

自分を見透かされるこの感じは、またもや誰かに似ていた。そうだ。これは黒子っちだ。異常なまでの観察力で、俺の見え透いた言動なんていくつも見破られた。そう、そんなところが彼とも少し似ている。

青峰っちと黒子っちに似ている女。もう顔は覚えた。また学校で出くわすだろうか。なんだかモヤモヤする。また話してみたいだなんて思ってる。



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寝耳にミサイル