明暗のわかれ道1

「スキー....ですか?」

『そう、それでね−−−』


丁度出かける間際になって、次回のコンサートのタイムテーブルや他の仕事候補を持ってきてくれた文和さんに会えば今日の予定を告げた。


「けれど、スキーなんてよく許可がでましたね。」


文和さんの口元に人差し指を当てて、声を潜ませる。叔母には言ってないのだ。今日もコンサートの準備をすると説明して行くつもりだったのだから。


『文和さん、バイオリン、預かってもらえる?』

その一言で察したらしい彼は大きな溜息をついた。本当は駅のコインロッカーに預けようかとも思ったのだけれど、できれば文和さんに預かってもらった方が安心だ。


「バレたら怒られますよ。」

『だからアリバイ作りをするんでしょ。』

「ーーーくれぐれも怪我だけはしないで下さいね。今後の仕事にも影響が出るかもしれませんし、何より彼女に隠し通すのは難しくなります。」


流石にそれは分かっている。頷くと、彼に感謝を述べた。


「ーーーーーそうだ。今日はついでにこれを渡そうと思ってたんです。」


文和さんに手渡されたのは白い無地の小さな紙袋。それを開けてみれば、学業成就のお守りが入っていた。


『−−−これ』

「マネージャーとして仕事を何より優先、と言いたい所ですが........言っても貴女はきかないでしょう。昨日も遅くまで勉強してたんですか?」

文和さんに目の下のクマを指摘されれば、苦笑を零す。正解だった。

「ーーーだったら、せめて貴女の応援を。一個人としてその努力が実ることを祈ってます。」

『ーーーありがとう、文和さん。』

私は早速お守りを手持ちの鞄につける。
これから待ち合わせ場所であるーーー米花一丁目のバス停まで車で送ってくれるとのことだったので、叔母に一声かけてから二人で家を出ることになった。





『ーーーここで大丈夫。ありがとうございました。』

「良いですか、くれぐれも」

『怪我はしないように、でしょ?』

「ーーー何かあったらすぐに連絡してください。」

彼の言葉に返事を返すと、車を降りて彼を見送った。

「ーーお姉さん、おはよう。」

後ろから声をかけられ振り返れば、コナン君がいた。

『おはよう。』

「ねぇ、今車を運転していた人ってお姉さんの家族?」

『え?あ、マネージャーだよ。今朝、偶々家に来ててね、ここまで送ってくれたの。』

「ーーーふぅん、その人さ...上着も車も真っ黒だったんだけど、黒が好きなの?サングラスもかけてカラスさんみたいだったね。」

『よく見てるね。』

「ね、どうなの?」

『.....うーん』


コナン君の言葉に首を傾げる。文和さんの色の好みまでは気にしたことはなかったけれど、どうだろう。


『偶々じゃないかなぁ。車はいつもアレだけど、服は特に黒を好んで着ている感じではなかったと思うよ。サングラスは確か....太陽の光があまり得意じゃないから.....とか言ってた気がするけど。』


そう告げれば、コナン君は暫く考え込んだ後にーーそうなんだと笑みを浮かべた。幾分か彼の表情が柔らかくなってくれたことにホッとする。


「ーーーそういえば、お姉さんの荷物ってそれだけ?」

手提げバッグ一つしか持って着ていない。その中には財布、スマホ、手袋、帽子といったものしか入れてこなかった。

『うん。ウェアーも板も持ってないからね、現地でレンタルしようかと。コナン君達の荷物は?』

「僕達のは先にスキー場のロッジに送ったんだよ。」

『成る程。』


彼も、また少し先のバス停から手を振ってる子供達も手荷物が殆ど見当たらない理由が分かった。


「バスが来たみたいだね。」


コナン君の声に頷くと、バス停にいるみんなと合流するために歩き出した。








『ーーーコナン君の隣、哀ちゃん座る?私は後ろに座るから』

「ーーーありがとう。」


バスに乗りこんで、哀ちゃんとコナン君の座った後ろ−−−最後部席の窓際に座る。まだ乗客が殆ど乗っていなかったため、残りの四席は空席だった。


『阿笠さんは風邪ですか?昨日は元気そうだったのに。』


彼はマスクの中でゴホゴホと咳をしている。隣に座っていた歩美ちゃんは甲斐甲斐しく阿笠さんの背中をさすってあげていた。

私の言葉に哀ちゃんが溜息を零す。彼女によれば、阿笠さんは子供達にスキーを教えるために、昨夜遅くまでスキー指導用のDVDを鑑賞していたというのだ。大人が自分一人だということもあり、随分と熱心に研究してくれたらしい。

「.......向こうに着いたら、身体を休ませなきゃダメよ?」

「そうだぜ、ちゃんと寝てろよな!」

「僕達のことは心配いらないですから。」


歩美ちゃん達の言葉にコナン君は空笑いをした。どっちが保護者か分からねぇな、と言う彼の呟きが聞こえてしまい、思わず吹き出してしまう。


『ーーー阿笠さん、スキー場では私がちゃんとこの子達を見てますので安心して休んでください。風邪、拗らせちゃうと厄介ですし。』

「........すまんのぉ、小春君。」

『いえーーー早く治ると良いですね。』





それから数分後、バスは米花三丁目のバス停に留まった。思いの外ぞろぞろと乗客が乗ってきたため一度会話が途切れる。

「ーーーどうした、灰原?」

コナン君の声と言葉に、席の頭上から覗き込めばフードを被り込んだ哀ちゃんが小刻みに震えているのが見て取れた。


「ーーー江戸川くん、席を替わって。私を、隠して」

事情は分からないけれど、ただならない様子の哀ちゃんを見てしまえば、放ってはおけなくて。彼女がコナン君と席を替わろうと立ち上がった瞬間に、抱きあげた。彼女から小さな悲鳴があがったけれど、彼女の顔も胸元で隠してあげているためか、くぐもって聞こえる。

「ーーー小春さん?」

『哀ちゃん、預かるね。』


丁度ガムを噛んでいる女性が後部席まで来ようとしていたため、急いで自身の席に戻る。どうやらこのバス停から乗る客は思った以上に多いようだ。彼女もどういうわけか隠れたがっているようだし......哀ちゃんには悪いけれどそのまま抱っこさせてもらうことにした。


『ーーー体調、悪いわけではないんだよね。』


温もりはあるけれど、発熱している感じではない。子供とはいえ異常に速い心音に心配になるが、私の問いかけに小さいながらも頷いてくれたことにホッとした。未だに震えが止まらない様子の彼女の背中を、秀一さんにしてもらったようにポンポンと優しく叩く。


突如、ゴホゴホと咳をする声が頭上から聞こえた。


『ーーーっ!』


なんでここにいるの?
私の驚きが哀ちゃんに伝わったのだろうか、彼女の私の両肩を掴む力が強くなった。


「ーーーすみません、お隣よろしいですか?」


マスクをかけているためか、秀一さんの言葉がいつもよりも不明瞭だ。異常に丁寧な言葉遣いにハッとすると、彼が座れるように隣に置いていたバッグを前席のフックにかけた。


『ーーーすみません、どうぞ。』


外では他人。秀一さんのお礼を聞きながら、脳内でそう何度も繰り返した。




「新出先生、ジョディ先生も。今日は二人でお出かけなの?」


前席ではそんなコナン君の声が聞こえたが、どうやら彼"も"知り合いを見つけたのだろうか。


『ーーーまさか、行く先まで同じってわけじゃないよね。』


ふと、ゴホゴホと咳が聞こえたため彼を見やれば、彼の視線は私ではなく哀ちゃんに注がれていた。
......他人のフリをしつつ、説明を求められているのだろうか。そんなことを求められても、私だっていまいち把握してないというのに。


『......すみません。席、狭かったですか?この子、人見知りしちゃったのか、ちょっとグズっちゃってて』


ーーー煩くはさせませんから、と言うと彼は首を横に振った。


「−−−人見知りなんて、可愛いじゃないですか。」


私だけに聞こえるように囁かれた。幼い頃、人見知りをしなかったという私への揶揄い、だろうか。少しだけムッとして窓の方を向けば、微かにくつくつと笑う声が聞こえた。



「ーーーおい、見ろよ光彦。あいつらもうスキーウェアー着てるぜ。」

「本当ですね、帽子とゴーグルまで被って....よっぽどスキーが待ちきれないんでしょうか。」

「俺達ももう着替えちまうか?」

「いやですよ元太君。僕達の荷物は全部先に送っちゃったじゃないですか。」

「あ、いけね。そうだった。」


前方から聞こえる元太君と光彦君の会話に耳を傾けながら、哀ちゃんの背中をさする。先程よりは若干ましになったものの、それでも相変わらず震えは続いていた。


それからすぐだった。


「全員大人しくしろ!!」


男の人の怒鳴り声が聞こえ思わず前を向くが、席に阻まれていて前の様子がよく見えない。酔っ払い、だろうか。


"パン"


聞こえた音に肩が跳ねる。続いた乗客の悲鳴にーーー銃声、の二文字を思い浮かべれば.....全身から血の気が引いて、途端に寒気を感じた。


『ーーーっ』


無意識に哀ちゃんを抱きしめる力を強める。瞼に力を入れて閉じれば、そっと右手を握られた。覚えのある、彼の、体温だ。


「No need to worry.」



握られた手はすぐに離されてしまったけれど、耳元で囁かれた言葉に、少しだけ、冷えた身体が暖かくなった。

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