明暗のわかれ道2

バスが乗っ取られてしまった。どうやら彼らの目的は警察に捕まってしまった仲間を取り返すこと、らしい。男のうち一人は、乗客一人一人に銃を突きつけながら携帯を彼が持つ袋に入れるよう脅してくる。

「おい、ジジィ!そのイヤホンは何だ!」

「ーーーほ、補聴器です。」


後部席真ん中に座る老人が答えるや隣に座る女性が挑発とも取れる言葉を呟く。それに激怒した男は躊躇いもなく女性と老人の間の隙間に銃弾を浴びせた。

『ーーーっ!!』


その二度目の銃声に再び身体が跳ねる。
誰も怪我はしていないようだけれど、男達は脅してはなく本気で銃を撃てるということをまざまざと感じさせた。




「ーーー出せ。」


ついにこちら側までやってきてしまったその男は秀一さんにも銃を向けてくる。それを見てしまえば、思わず身体がこわばった。


「−−−ゴホ、すみません。今、携帯を持っていないんですよ。病院に行く途中だったもので。」

「あ?ーーー仕方ねぇな、隣のガキ連れた女。お前は持ってるな?」


向けられた銃口に息を呑む。それから哀ちゃんを少しだけ遠ざけるように身体をずらせば、秀一さんと同じように否定の言葉を述べた。


『ーーーまだ、親に買ってもらってないので.........』


親に買ってもらってないというのは、本当だ。このバッグに入っているスマホは隣に座っている彼にもらったものなのだから。だからこそ、この男においそれと渡すのには抵抗があった。


「−−−本当だろうな。もし、そのフックにかけてあるバッグの中に入ってたら........ただじゃおかねぇぞ。」

『ーーーっ!』


男は更に銃を寄せてきた。


「−−−あん?お前、よく見りゃどこかで見た面してるな。」

男の顔が近づいてくる。思わず肩が跳ねた。


「−−−立て。」

『......え、』

「立てって言ってんのが聞こえねぇのか!?」


私は急いで哀ちゃんを降ろして自身の席に座らせると、秀一さんの足を跨いで男の傍に寄る。

「小春さん!」

「小春お姉さん!」


光彦君と歩美ちゃんの声が聞こえた。

「こ、これ」


阿笠さんに抑えられている子供達を横目で見やりながら男に従って運転席まで歩けば、もう一人の男にも顔を覗き込まれた。




「小春?−−−お前、もしかして緑川小春か。」

「最近注目されてるバイオリン奏者か。確か父親が杯戸中央病院の院長だったはず。」

「ーーーこいつを人質にしたら、たっぷり身代金がもらえるんじゃないか。」


父の話しがでて、思わず固まった。


「ーーーどうなんだ。」


私が意を決して口を開こうとした時、男達のうちの一人が後部席に行ってしまった。それからすぐに、怒鳴り声とコナン君の呻き声が聞こえて振り返る。
男の手には、おそらくコナン君のものだろうイヤホンが握られていた。


『ーーー......』


彼らは、私のことに夢中で後ろは見ていなかったはずだ。どうして後ろの様子が知れたのだろう。


「ーーーちっ、ガキが妙な真似をしやがって。んで、どうなんだ。」

『ーーー確かに、私は緑川小春です。バイオリンを、しています。』


バス内に少しだけ騒めきが走る。一度息をついてから、男達を見上げた。


『−−−でも、杯戸中央病院の院長の方については存じ上げません。世間でどう言われているかは知りませんが、私には父親なんていません。その方は、全くの、赤の他人です。』


自分でも吃驚するくらいの冷たい声だった。




「「...........」」






男達は暫くの間は、無言だった。けれど。

「−−−っち、またあのガキ。ちょっと行ってくる。」


あぁ、ともう一人の男が頷いた。


「ーーーまぁ、良いさ。お前を人質にしたところで今後の計画を変えなきゃならねぇしな。とりあえず、そこに座れ。」


男の席の空席を銃体で示されたため、黙って従った。

『ーーーハァ』


席について逸る心臓を落ち着かせながら思う、哀ちゃんは大丈夫だろうか。やむを得ないとはいえ後部席に一人、置いてきてしまった。



「ーーーこいつ!!もう我慢ならねぇ!」

その時に聞こえたのがコナン君の呻き声と男の怒鳴り声だったため、心配になり思わず振り返る。コナン君は−−−子供のしたことですよ、ここで彼を殺せば計画もうまくいかないんじゃないですか、と前席の男性に庇われているところだった。


「ーーーおい、やめろ。もし、それに当たったらどうするんだ。」

こちら側にいた男の視線を辿れば、通路側に置かれたスキー板用のバッグ二つ。なんとなく、嫌な予感がして数週間前の図書館の出来事が蘇る。計画といい、あのスキーバッグといい−−−爆弾が置かれている、なんてことはないよね。

『ーーーいや、まさか。』


その時、男の携帯が鳴ったため耳を潜ませる。どうやら彼らの目的の人物は警察との取引の結果、解放されてしまったらしい。電話の主がその人物のようだった。


「ーーーさて、そこの青二才と後ろの風邪を引いた男!前に出ろ。」


彼らの言葉に目を見開く。再び後ろを振り返れば、先程コナン君を助けてくれた男性と、秀一さんが通路に出てきた。


「運転手、トンネルが見えたらできるだけ減速して走れ。」

「は、はい.....」


トンネルに入れば男達はウェアーと帽子、ゴーグルを脱ぎ出し、秀一さん達に着用するよう告げた。次の給油所についた際に解放された人質として逃げ出す魂胆らしい。暫くはバスを走らせるが、男達が無事に逃げ切った後は私達を解放してくれると約束してくれた。


「一応、俺たちが逃げるための人質を一人選ばせてもらうがな。」


選ばれたのはあのガムを噛んでいた女性だった。








トンネルも終盤にかかった頃だろうか。男が運転手さんに速度を上げるよう指示したその時、突然、コナン君の声が聞こえた。

−−−本当は皆殺しちゃうくせに。と。


『ーーーえ?』

「何とかしないと殺されちゃうよ−−−この爆弾で。」


彼の言葉に振り返れば、阿笠さんとコナン君がスキー袋を掲げている。鏡文字だろうか。その袋の表面には赤い文字で"STOP"と反転させて描かれている。


「ーーー早く!!」

コナン君の怒鳴り声と同時に急ブレーキが踏まれたため、前のめった。
身体がそれ以上動かないように、座席に捕まっているのが精一杯で−−−落ち着いて周りを見渡せるような状態に戻った時には既に男達二人は通路に伏していた。


「−−−キャァ!」

女の人の悲鳴に前を向けば、風船ガムを噛んでいたあの人だ。新出先生と呼ばれる彼に取り押さえられた彼女もこの床に伸びている男達の仲間だったらしいのだけど......不審に思うくらいに慌てている。



「ーーー今の衝撃で起爆装置が押されちゃったみたい!爆発まであと1分もないわよ!!」



彼女の言葉に場内はパニックだった。運転手に開けてもらった入り口から、吸い込まれるように乗客が飛び出していく。


『.............あ、』


私も、逃げないと。
そう頭では分かっているのだけれど、何故か、身体が動かなかった。ままならない身体に涙が浮かぶがどうしたら良いのか分からない。


『.......や.........なんで.....』



その時だ。右腕を強く引かれて身体が持ち上がる。


「ーーー何をしてる!逃げるぞ!」


秀一さんだった。彼の怒鳴り声に全身に血の気が巡ると自分でも立つことができた。

彼に支えられるようにバスから降りると、その正面からコナン君がこちらに走ってきていた。彼の視線とその表情に、思わずバスの後部席の窓際を眺めれば僅かに赤色が見える。

再び、血の気が、引いた。


『ーーー秀一さん、ごめん。』


私は彼の腕を振り解くと、入り口に飛び乗り後部座席に走った。小さく蹲る哀ちゃんを抱き上げると、同じくバスの乗車口から入ってきたコナン君が消火栓をバスのフロントガラスに向けて蹴り上げる。


「小春さん!そのまま突っ込んで!!」


コナン君の怒鳴り声に、やることは一つだった。
後部座席から走り出し、哀ちゃんを抱えたままフロントガラスに飛び込めばすぐにコナン君も隣にスライディングしてくる。彼に庇われるように身体を低くすれば数秒の後大きな爆発音が背後から聞こえた。モアッとした熱い空気と焦げた嫌な臭いが鼻を掠める。


『ーーーっう!!』


右腕の痛みに思わず眉間を寄せれば.......飛び込んだ際に袖がめくれてしまったためだろうか。右腕を直に地面に擦り付けてしまった結果、皮膚がめくれて結構な量の血が出ていた。







"くれぐれも怪我にはーーー"


乱れた息を整わせながら、今朝のマネージャーの言葉が脳裏をかすめた。


文和さんごめんなさい、でもガラスの破片が刺さっていないだけ、まだましです。


『ーーーこ、なん君?』


私以上に息を切らしている彼も腕を怪我しているようだ。彼は無言で自身の血を哀ちゃんの足に擦り付けている。見た所、彼女に怪我は見当たらないけれど−−−もしかして、彼女をこの場から遠ざけるためだろうか。


私も右腕を出すと、哀ちゃんの左腕を捲って擦り付けた。思っていたよりも傷口が擦れて結構痛い。


「ーーー!小春、さん」

『ーーーきみ、ばかり、良い恰好.....ズルい、でしょ?』


息も絶え絶えにそう言うと、彼は苦笑した。


『ありがと。コナン君のお陰で助かった。』


実際、もしコナン君がフロントガラスに消火器をぶつけてくれなければ....私はそのまま乗車口から出ていた。おそらく、爆弾から最も近いそこから逃げていた場合、加工されてないガラスが全身に突き刺さり、今以上の怪我−−−下手すれば死んでいたかもしれない。


「僕の方こそ......僕だけだったら、間に合わなかったかもしれない。」





キキキと、傍で車のブレーキ音がする。
私とコナン君は自身の服の袖を元に戻した。


「だ、大丈夫かい、コナン君!!」

優しそうな男の人だ。


「高木刑事、博士と子供達と一緒に早くこの子を病院に連れてってあげて!酷い怪我をしているみたいなんだ。」

「え、で、でも」

「事情聴取なら、僕一人で受けるからさ!」

『あ、あの....私もコナン君と一緒に聴取を受けるので。』

「ーーー分かったよ。」



高木刑事と呼ばれたその人は、哀ちゃんを自身の車へと誘導してくれた。無事に乗り込んだ彼女の姿にホッと息を零す。


「ーーー逃げんなよ、灰原。自分の運命から、逃げるんじゃねぇぞ。」


コナン君の真剣な言葉が、何故か心に突き刺さる。事情はよく分からないけれど、暗い表情をしている哀ちゃんを見れば.......私のように恐怖で身体が動けなかったのではなく、自分の意思で動かなかったのではないか−−−そんな嫌な想像をしてしまった。







「ーーークールキッド!」


高木刑事の車を見送れば、外国人の女性が彼に話しかけていた。確か、バスジャックの犯人の一人を取り押さえていた人だ。


「ーーー貴女もすごかったでーす!緑川小春さーん!」


『私の名前.....』


「バスジャックの人達ー、貴女のこと言ってまーした。でも、二人とも大丈夫ですかー?傷だらけでーす。」


「僕達は大丈夫だよ!ね、小春姉ちゃん?」

彼の呼び名に一瞬動揺したものの、何とか頷きかえす。


「−−−何が大丈夫、ですか。」


そう言って、コナン君の患部の腕を握りしめたのはバスの中でウェアーを着せられた男性だった。
痛みに悲鳴をあげるコナン君を見下ろすと彼は私のことも睨んできたため、早々に白旗をあげて右腕を出す。新出先生と言うらしいその人はどうやら医師だったようで、私とコナン君の様子に深い溜息を吐いていた。


「君達の事情聴取は、ちゃんと処置をしてからです。」


コナン君と顔を見合せると、苦笑し合う。


「はーい....」

『ーーーよろしくお願いします。』




ここは大人しく従おう、そう判断したのは同じだったようだ。

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