重たい足枷
警察車両のバスの中に乗せられて警視庁に連れられてから二時間、時折感じるエメラルドの鋭い視線に敢えて気づかないフリをしながらも無事事情聴取を終えた私達はようやく解放されることとなった。
お迎え...文和さんだけだと良いな。
私達を治療してくれた新出先生を含めた何人かは次の仕事が押しているとのことで既にタクシーで帰ってしまったが、他の乗客は自身の家族の迎えを待つために待合室で待つことになった。
「小春!!」
私の祈りも虚しく、血相を変えて廊下を走ってきたのは叔母だった。おそらく警察はマネージャーに連絡を取ってくれたはずだが、文和さんは直接彼女にも連絡を取ったのだろう。
思わず右腕の包帯を後ろ手に隠して下を向いた。
ーーーバチン。
左頬の衝撃で思わず右側によろける。それを支えてくれたのはコナン君だった。
「−−−貴女の仕事は何?」
『.........バイオリニスト、です。』
左頬が熱くヒリヒリと傷む。周りからの視線も痛かった。
「コンサートの打ち合わせがあると言って家を出たはずの貴女がどうしてあのバスに乗っていたのかしら。それに、腕に怪我?一体どういうつもりなの!?」
『ーーーすみません、叔母様。』
「謝ればその怪我は治るの!?」
叔母がヒステリックに叫んだ。
「あ、あのね、おばさん。小春姉ちゃんは、子供を助けて−−−」
私が彼の口を塞いだ時には、既に遅かった。
叔母は、先程よりも鋭い目付きをしてくる。
コナン君は助け舟を出そうとしてくれたのかもしれないけれど、それが彼女には逆効果だった。
「子供.....?貴女、まさか子供を助けようとして腕に怪我を負ったの?」
『..............。』
「黙ってないで何とか答えなさい!」
『.......助けたのは本当です。でも、怪我をしたのは自分の不注意で−−−』
再び叔母の手が上がったのを視界の隅で確認し、次の衝撃に耐えようと目を瞑って痛みに備える。
『ーーー?』
が、いつまでもその衝撃はやってこない。
不思議に思って目を開けば、秀一さんが叔母の腕を止めてくれていた。
「ーーーな、何よ貴方。私に何の用?」
「............いや、」
「暴力はー、いけませーん。ここは警察ですー。DVで逮捕されちゃいまーすよー!」
ジョディ先生が私の両肩を掴むと叔母から引き離してくれる。叔母は悔しそうに上げた腕を降ろすと、そのまま踵を返した。
「ーーー暫くは家に帰ってこないで。」
『ーーーえ?』
「分かるでしょ、貴女の顔を見たくないの。貴女のその怪我じゃ、当分仕事はできないだろうし。」
『.............』
「貴女には失望したわ。怪我だって、せめて足とかにしてくれたら良かったのに。」
叔母の言葉にコナン君やジョディ先生が口を開こうとしたため、私は彼らを制した。
『ーーーこれくらいの怪我、何てことないですよ。今決まっている仕事だってちゃんとこなせます。』
「......。二流の演奏をされても、周りが困るのよ。」
彼女の言葉に私は小さく笑った。
『ーーーあまり緑川小春を舐めないで、叔母様。』
「...............」
『私はプロよ?そんなみっともないこと、するわけないでしょ。』
そう言えば叔母はフンと鼻息をはいて去っていった。
叔母の姿が見えなくなるや、深く溜息をはく。それからコナン君やジョディ先生、秀一さんに謝罪と礼を述べた。
「.........小春さん、大丈夫?」
不安気に見上げてくるコナン君に苦笑をする。
『コナン君。』
「?」
『ーーーちょっとごめんね。』
膝を折り曲げて彼と視線を合わせると、ぎゅうっと抱きしめた。
哀ちゃんもそうだったけど、子供特有の温もりと感触は本当に心地良い。
「え、ちょ、」
面白い位慌てているコナン君に笑みを浮かべると、すぐに解放してあげた。
「小春さん?」
『ーー充電完了!なーんてね。』
「...........へ。」
立ち上がって、コナン君の頭を優しく撫でた。
『心配しなくても大丈夫だよ。家に帰れないのは...マスコミ対策も踏まえて、だろうし。この怪我さえ治れば、叔母の機嫌も直るから。』
「でも、その間ー貴女はどーするーんですかー?」
『ーーーそれは、何処か適当なホテルをとって..............あ。』
そう言えば財布もスマホもあのバスの爆発で跡形もなく消え去ってしまった、と考えてハッとする。秀一さんから折角もらったスマホをダメにしてしまったことに。申し訳なくなりながらも顔を上げて秀一さんを見遣れば、彼は気にするなとでもいうように首を横に振っていた。
「良かったら、暫くの間、僕の所にくる?」
『やー....流石にそこまでは。最悪、マネージャーにお願いして事務所で寝るから大丈夫だよ。』
「そう?」
『うん。』
「−−−あのー。」
声をかけてきたのは、哀ちゃん達を病院に連れて行ってくれた高木刑事だった。今丁度病院から帰ってきた様子の彼の手には見慣れたバイオリンケースや通学で使用していた鞄がある。
「君が緑川さん?」
『ーーはい。』
「あぁ、やっぱり。現場で会った時からどこかで見た顔だと思ってたんだよ。」
高木刑事の言葉に苦笑した。
「そうそう。君のマネージャーさんだという人から、そこで受け取ったんだけど。」
『確かに私のです。ありがとうございました。』
両方とも左手で受け取る。高木刑事の後ろ姿を見送り後、ずっしりと重い鞄を覗き込めば、制服や勉強道具、そして一枚の封筒が入っていた。封筒を開けて覗き込めば、クレジットカードとメモ用紙が入っている。メモには"貴女には、厄除けの方が良かったかもしれませんね"と文和さんからのメッセージが書いてあった。そういえば、彼からもらった学業成就のお守りもあの手提げバッグにつけていたのだ。貰ったその日にダメにしてしまうという縁起の悪さに溜息をつきたくなった。
「ーーーマネージャーさんにも怒られちゃった?」
私の暗い顔を誤解したらしいコナン君に首を横に降る。
『ーーーカード、貰えたから暫くの生活は大丈夫そう。』
「ーーーそっか。でも、何かあったらいつでも言ってね。」
『ありがとう。コナン君は一人でも平気?』
「大丈夫。僕は高木刑事に送ってもらうから。」
『そっか。じゃあまた月曜日に、阿笠さんのお宅で。』
私は警察の人にタクシーを呼んでもらうとひと足先に警視庁を出ることにした。
「ーーー先程のメモ、落ちましたよ。」
声をかけられて振り返れば、秀一さんの手には白い紙。私は今にも彼に抱きつきたくなる衝動を抑えながら、震える手で受け取った。
『ーーーありがと、ございます。』
「いえ、お気をつけて。」
秀一さんの後ろ姿を見送ると、丁度タクシーがきたらしい。開けて貰ったドアから車内に乗れば、高校の最寄駅を告げた。どうせホテルを取るなら通学がラクな所が良い。
運転手の了承する声を聞けば、静かに背中を座席に沈ませた。疲れがどっと出てきたようで酷く身体が重かった。そして、ふと、気づく。
『ーーーっ、すみません運転手さん。』
未だに手に持っている白い紙を弄れば、明らかに文和さんがくれた物とは違う紙質、字体が見えて息を呑んだ。
『ーーー目的地を米花サンプラザホテルに変更して下さい。』
「ーーーわかりました。」
"部屋は確保済。今夜21時に俺の部屋で会おう"
指で彼の文字を辿ると、心がポカポカと暖かくなった。