手負いの二人

秀一さんに取ってもらったホテルの部屋に荷物を置くと、クレジットカードと部屋の鍵を持って出かけることにした。秀一さんとの約束の時間まではまだ大分あるし、下着や衣類、化粧品等の必要な物を買い揃えるためだ。ついでに夕食もとっておこう。








『ーーーと、大体こんなものかな、』


購入したものを一つの袋にまとめて左肩に下げれば、すっかりと暗くなってしまったホテルまでの道を歩く。店を出る際に時計を確認したら約束の一時間前だったことから、部屋に戻ってシャワーを浴びてからでも充分間に合う時間帯だった。


『ーーー怒られるかな.....』


秀一さんに会えるのは嬉しいのだけれど、事情聴取の際の視線を思い出せば微妙なところである。勿論、怒られるだけのことをした自覚はあるのだから甘んじて受けるつもりではあった。それにしても。


『ーーー表通りから帰った方が良かったかも。』


近くにできたショッピングモールの影響か、元々は商店街だったこの辺りのひと通りはとても少ない。それに比例するように街灯の光も数えるほどしか見当たらなかったけれど、今夜は満月のためか裏路地でも明るく感じられた。

基本的に叔母や文和さんと共ににいなければ、緑川小春と気づかれにくいのだろう。......買い物中に直接話しかけられることはなかったものの、好奇の視線に晒されることが数回あった。もしかしたら既に日中のバスジャックのニュースが流されていて、私のことも報道されたのかもしれない。

そういった野次馬やマスコミから避けるために選んだ道だったのだけれど、少し不用心だっただろうか。


静かに、風が吹く。


不自然な空気の揺らめきに後ろを振り返れば、白い衣装に身を包んだ男の人が降りてきた。


「ーーーっ!」


『ーーー貴方は、誰?』


シルクハットを被り、右眼にかけたモノクルが月光を反射してしまい顔の判別がしづらい。


−−−こっちだ!奴は左肩を怪我している。血痕を追うぞ!!


遠くで、男の人達の怒鳴り声が聞こえたため、彼の左肩を見やればーーー成る程確かにその上質な白いスーツを染め上げていた。


『追われているのは貴方?』

「そのようですね。貴女は私を突き出しますか?」


『ーーー隠れて、』

「ーーーは?」

『良いから、隠れて。』


「ーーーおや、見知らぬ私を助けてくれるのですか?」

『.........。早く。』


彼は私の言葉に幾分迷ったようだけれど、結局は隠れることにしたのだろう。マントを翻して物陰にうまく紛れ込んでくれた。


『ーーーあの人の血痕を紛らわせるには....』


道端に落ちていたガラスを拾うと、一度息を整える。

『ーーーっつ!!』


既に怪我をした右腕に破片の尖った先を滑らせるとそのままガラスを元の場所に戻す。そんなことをしているうちに、みるみる包帯が血に染まっていった。


『ーーー何やってるんだろ、私。』


先程までは雲ひとつなかった夜空が陰りポツリポツリと雨が降り始める。それに呼応するように私の血液も一つ、二つと染みをつくりはじめていた。


「ーーーそこの貴女!!」


背後から声をかけられて振り返れば、強面の男を中心に何人かの男性がやって来て警察手帳を見せてくる。中森警部と書かれたそれを見れば、やはり自分の選択は間違ったのだろうかと溜息をついた。


「ここに男が来ませんでしたかな。白いマントにシルクハットを被った男です。」


ジンジンと右腕が痛む。


『ーーーいいえ、見てません。』


中森警部はそんな私の右腕から流れる血を見つけたのだろう。ギョッと目を見開いた後に鋭く睨みつけられた。


「ーーー奴は変装の名人でしてね。その種類も老若男女問わない。そう、貴女のような格好をすることも容易いんですよ、お嬢さんーーーいや、怪盗キッド!!!」


彼はそう叫ぶと、私の左頬を思いきり引っ張られた。右腕の痛みと相殺されたのか頬の痛みはあまり感じなかったけれど、丁度数時間前に叔母に叩かれた箇所だったこともあり相当赤くなるだろうなと溜息をつきたくなる。


「ーーー何!マスクが剥がれない、だと!!」

「警部!彼女は右腕を負傷しています。キッドが怪我をしたのは左肩だったはず!!」

「ーーーた、確かに。ということは....」


恐る恐るといった感じで刑事さん達に見つめられれば、苦笑するしかなかった。少しずつ雨脚が酷くなる中で濡れた前髪を掻き分ける。



『ーーー私は緑川、と言います。正真正銘、普通の女子高生です。』

「しかし、君は、何故そんな怪我を」


中森警部に尋ねられて右腕を見遣れば相変わらず赤いシミが包帯を侵食していた。心持ちその部分を押さえ込むと、口を開く。今朝のバスジャック事件に巻き込まれた際に怪我を負ったこと、マスコミ避けとして暫くホテルに滞在するため買い出しに出ていたのだけれど、荷物を持っているうちにバランスを崩して転んでしまい傷口が開いてしまったこと、を。

「マスコミ....?今朝のバスジャックに巻き込まれた緑川と言えば......警部!!もしかして、」


「もしかして、君が緑川小春さんか?あの天才美少女バイオリニストの!!」

両肩を掴まれて、思わず仰け反る。

『ーーー天才か美少女かは分かりませんが......確かに私はバイオリンをしています。』

「そうかそうか!実は娘が君の大ファンでな、今度の火曜に江古田でリサイタルをするんだろう?随分前からチケットを買って楽しみにしてるんだ。」


『それは嬉しいですね。ありがとうございます。』


「警部、しかしあの怪我では.....」


傍に控えた警察の方が中森警部に耳打ちすると、彼も気づいたようで同じく右腕をジロジロと見られた。


『ーーーあぁ、これくらい大丈夫ですよ。演奏には問題ありませんから。リサイタルも予定通り行わせていただきます。』


そう微笑んで言えば、彼もホッとしたように頷いた。彼の娘のためにサインをねだられそうになったが、また別の警察の方が中森警部にキッドの存在を思い出させたのだろう。持たされたペンを回収されてホッと安堵した。


「すみません小春さん、ホテルまで送ってやりたいのは山々なんだが.....私どもはコソ泥を追ってる最中でして−−−」


『や、気にしないで下さい。』

「しかし、」


「−−−でしたら、警部。私が彼女をホテルまでお送りします!」


先程まではいなかった若い警察官だ。この近くの交番に勤務しているとのことだが、無線を聞いて駆けつけてきたらしい。


「そうか、それなら彼女を頼んだぞ!」

「ーーーはっ!」





中森警部達が走っていく後ろ姿を見送りながら、一度屋根のある建物へと二人で避難をする。
警察官の懐から出されたハンカチで右腕の止血をされると、ピリピリとした痛みに小さく呻いた。


「ーーーまったく、無茶をするお嬢さんだ。私のことなんて放っておけば良かったものの。」


『お兄さんのためにやったわけじゃーーー.....』


驚いて顔を見上げれば、ニッコリと微笑んでいる警察官。それは間違いないのだけれど、先程中森警部の話しを思い返せば.....まさか、と思ってしまう。

彼は人差し指を立てて私の唇につけた。


「ーーー本当にこの怪我で舞台に立つおつもりですか?」

『ーーー見た目ほど大した傷じゃないもの。』


ほう.....。そう言って彼に右腕を掴まれると、痛みが腕全身に走ったため思わず左手で叩き落とす。


「ーーー本当はペンを持つのもやっとなんでは?火曜のリサイタルは中止にした方が良い。」


私は首を横に降った。それから左手で彼の左肩を緩く掴むと、いいっ!?と彼から悲鳴が漏れる。


『ーーー貴方だって、ポーカーフェイスで痛みを誤魔化してるのでしょう?"プロ"の泥棒さん。私は、バイオリン演奏家の"プロ"として、ステージに上がります。』


彼は苦笑した。

「中々強情なお嬢さんだ。−−−立てますか?ホテルまでお送りします。」


ポンっと音を立てて傘が現れる。怪我を気遣ってくれたのだろう荷物も一緒に持ってくれた。


『ーーー貴方の怪我は大丈夫なの?泥棒さん。』

「泥棒さんって......。せめて、キッドと。そう呼んでもらえませんか。」

『ーーーキッド。キッドの怪我は大丈夫?』

「はい。私はこれくらいの怪我は慣れていますので大丈夫ですよ。」


『ーーー慣れてどうにかなるものなの?』

「...........私だから出来ること、ですかね。」

『ーー何それ。変な人。』


クスクス笑った後に立ち止まって荷物を受け取った。いつの間にかホテルの近くまでたどり着いていたのだ。


『ーーーありがとう。今日、貴方に会えて良かった。』


彼はニヒルな笑みを浮かべた。


「貴女こそ、変わった人ですね。お礼を言うのなら私の方だというのに。」

『いーの。ね、キッド。もし良かったら、火曜のリサイタル、聴きに来て。意地でも成功させてやるんだから。』


「ーーーそうですね、考えておきます。またいつか、月下の淡い光の下でお会いしましょう、お嬢さん。」



そう言うと彼はポンっと音を立てて姿をくらました。

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