散らばるビーズ1

『堂本アカデミーの公開セミナーですか?』

「そう、今週の水曜日に。貴女もその怪我だし、無理に練習しても悪化しかねないからね......他の人の演奏を聴くというのも良い勉強になると思うよ。』


バイオリンの師匠の言葉に目を見開く。堂本アカデミーと言えば高名な元ピアニストの堂本一揮によって創設された学舎。河辺奏子さん、山根 紫音さんなど著名なバイオリニストを多数輩出している。


「−−−−それと、青柳さんのことなんだけど、」


『.......千秋ですか。』


「良ければ彼女にも声をかけてもらえないかな。僕のレッスンには来なくなってしまったけれど、バイオリンを完全には辞めてないと聞いてね。」


私にも千秋にも得るものは必ずあるはずだよ、と先生は言う。幼い頃から面倒を見てきた彼女に辞められてしまったのだ、やはりどこか寂し気だったけれど千秋を十分に理解してくれているのだろう。彼は引き止めはしないものの、バイオリンを好きでいたい彼女の気持ちを邪魔しない程度にはサポートをしたいのだと微笑んでいた。













『ーーーありがとうございました。』


レッスンの後、文和さんと待ち合わせてスタジオまで送ってもらい新しいチラシの撮影を無難に終わらせる。彼が予め手配をしてくれていたのだろう。今回の撮影では袖の長いドレスで、傷がすっぽりと隠せるように配慮されていた。

その帰り道。

文和さんは撮影の衣装スタッフと何やら打ち合わせがあるとのことで、私は先に駐車場に向かうことにする。夕方に差し掛かるオレンジ色の景色が眩しかった。


「−−−−おい、どうした!大丈夫か?」


男の人の焦った声が聞こえたためその方向を見やれば、駐車場の手前の歩道で白髪混じりの男性がうつ伏せで地面に横たわっている。


『ーーーどうしたんですか!?』


急いで走り寄れば傍にいた中年の男性と目があった。

「わからない!彼が急に倒れてーー」

『ーーーえ、とにかく、救急車.....119に連絡して下さい!!』

「わ、わかった!」


しゃがみこみ、男性の肩を叩きながら声をかけるが反応はない。彼の口元に耳を傾けると同時に、手首の橈骨動脈に指を添えた。胸郭も上がっていないことも視認する。

『ーーー呼吸、してない。脈も触知不可.....』


通報してくれている男性にAEDを持ってきてくれるよう叫ぶ。
この人のこうなった原因は何?心停止?心室細動、心室頻拍とかの不整脈?動脈瘤解離.....それとも脳?.....って違う、原因が何かじゃなくて。とにかくまずは。


『ーーー心臓マッサージ、しないと』



訓練以外で実際に心臓マッサージなんてやったことはない。それでもやらないと。そう逸る心臓を抑えながら、自分に落ち着け落ち着けと念じる。半ば叫ぶように彼に声をかけながら体勢を整えた。


『ーーーっ!!』


意識のない男性の姿に、母の最期の姿が重なり両手が震える。

『ーーー違う、この人は違う!!』


即座にそれを打ち消し、母に最後まで心臓マッサージをし続けてくれた零さんの姿を思い浮かべた。
彼は、どうしてた?確か、肘は伸ばして、垂直に−−−−。その瞬間、右腕に痛みが走ったが、構っている間もなかった。







「ーーーあ、あの、道路が渋滞していて、ここに着くまで15分程かかってしまうそうです......AEDは近くにいた青年が持ってきてくれると、」


マッサージをしながら傍で男性の声に耳を傾ける。確かこの辺りはスタジアムがあって、イベント時はよく混雑するとは聞いていた。コナン君たち、今日はそこでサッカー観戦をしているんじゃなかっただろうか。背中に汗が流れ落ちる感触がした。確か、救急車の到着までは通常は6〜8分。その場合は心臓マッサージだけでも可能だったはず。でも、心停止後、12分を超えると人工呼吸の有無で差が現われ始め、16分以上では人工呼吸がないと生命維持は難しいと言われている。15分だと、ギリギリか。



『ーーーこの人、感染症、持ってるか、分かります?』

「え、いや....僕は今日初めてお会いしたので」


心臓マッサージを繰り返しながら、思わず眉を顰める。防護具を持ち歩いていない自身を酷く恨んだ。


「AED、持ってきました。」


その時だった。男性を挟んだ私の向かい側に誰かがしゃがみこみ、手際よくAEDの準備をしてくれている姿が僅かに見えた。







「−−−−解析が終わったら交代しましょう。僕が代わりますよ。」

『ーーーお願いします。』


AEDによる刺激の後、青年に心臓マッサージを交代してもらった。体力も右腕も限界だったためありがたく申し出を受け入れた。彼は慣れているのだろうか、予め用意されていた人工呼吸用の防護具を男性につけると抵抗なく人工呼吸をし始めていた。








『ーーー意識を戻してくれて、良かった。』


ドップラー効果を感じながら、救急車が去って行く姿を眺める。騒ぎを聞きつけて急いでやって来た文和さんに両肩を支えられながら、手助けしてくれた青年を見やった。
色素が薄く艶やかな髪に色白の彼は、落ち着いた雰囲気を醸し出しているけれど、見た目は思いの外若い。私とあまり歳も変わらないのではないだろうか。





「ーーー君も病院で右腕を手当てしてもらった方が良かったのでは?痛むのでしょう。」

『ーーーいえ、少し痛めてただけなので。』


青年の言葉に首を横に降る。



「あまり酷いようなら病院に連れて行きますからね。」


文和さんの容赦のない言葉に苦虫を潰した。


『ーーーわかってます。』


文和さんと私のやり取りを聞いていた彼は少しだけ片眉を上げると、苦笑を零している。


「成る程、君は病院があまり得意ではないようだ。
何かトラウマでも?」

『ーーー』


「ーーーもしくは、得意ではないのは杯戸中央病院の院長である君の父親のこと、ですか?緑川小春さん。」


彼の言葉に思わず息を呑む。文和さんが私を庇うように背中に隠してくれた。


「あぁ、失礼。僕は白馬探と言います。探偵をしているとどうしても追求してしまう癖がついてしまってね。」


『ーーー探偵...』

安室さんと、一緒だ。


文和さんの背中から顔を出して彼を見上げれば、クスリと笑われた。


「一応、イギリスではそれなりに名が通ってると自負しているのですが、どうやら日本ではまだまだのようだ。」


『ーーーイギリス?』


「えぇ、普段は向こうにいるのですが、今回はある招待を受けまして一時帰国を。知ってますか?黄昏の館−−−−」


文和さんが僅かに反応した。黄昏の館とは、有名な所なのだろうか。


彼を見やれば首を横に振られた。


「詳しいことは分かりません。四十年前に惨劇が起きた館、という噂だけ。」

「そう。そして、その惨劇は巧妙に隠され、未だ謎のまま......それだけでも知的好奇心を刺激させてくれるものですが−−−−問題は招待状の送り主」


『ーーー送り主?』

<神が見捨てし仔の幻影>


彼の言葉が何故か耳をついて離れなかった。

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