散らばるビーズ2

翌日の月曜。学校の帰りに阿笠邸に向かえば、阿笠さんと哀ちゃんに会うことができた。


二人に促されてソファーに腰をかけると、哀ちゃんが淹れてくれたダージリンを飲む。美味しい。


それから阿笠さんが話題にしたのは日曜のことだった。サッカー観戦をしていた彼女達も彼女達で、会場で起こった事件を解決するために奔走していたらしい。

『哀ちゃん達も大変だったね。』

「−−−−貴女の方も何かあったの?」


撮影後の駐車場付近で倒れていた男性の話しをした。心臓マッサージはしたものの、防護具を持っていなかった私は人工呼吸をできなかった。後で駆けつけて来てくれた青年が防護具を持っていたから良かったものの、今回のように救急車の遅延もしくは救急車を呼べない状態だった場合....正直、どうなっていたか分からなかったと。本人の自発呼吸の再開を祈るしかなかった。


「−−−−結局その人は助かったのでしょう。」

『そうなんだけど、やっぱりね......』


図書館の時のハサミしかり、人工呼吸の防具しかり、何故自分は必要なタイミングで必要なものを持っていないのだろうと思ってしまう。


「そうじゃ、」

阿笠さんは拳を掌につけるや奥に引っ込んでいく。数分としないうちに現れた彼は、手のひらサイズのサッカーボールのようなものを渡してくれた。


『ーーーこれは?』

「元々、しんい−−−−コナン君に渡そうと思っていたんじゃが、ポケットにも入らんからどうしても持ち歩きに不便ってことでお蔵入りになったわしの発明品の一つじゃ。小春君は普段バイオリンケースを持ち歩いておるから、その中のポケットには入るんじゃないかと思ってな。」


バイオリンケースを開いて普段お手入れ道具をしまっているポケットにボールを入れてみれば、成る程確かに丁度良い。


「言っとくが、ただのボールじゃないぞ。ほれ、そこの五角形を押してみてくれんか。」

彼の言う通りに黒い五角形の一つを押してみれば、五角形の部分が引き出しのように動いた。そこにはピンセットやハサミ、ドライバーなど様々な用具が並べられている。その一つに人工呼吸用の防護具も何枚か入っていた。


「さらにこっちの五角形を押すと」


白い五角形の一つを押せばもう少し小さなサッカーボールがポンポンポンと出て来た。阿笠さんの誘導通りに壁に向けてそれを投げれば、壁にぶつかった拍子に煙が出るもの、赤く染まるもの、電気が流れるものと様々だ。

「威力はそれほど無いみたいだし、逃げる時間稼ぎってところかしら。」

「そうじゃな。」


興味深そうにそのボールを見ていた哀ちゃんの言葉に閉口する。ツッコんで良いのだろうか。一体逃げるって何から。そして、どんな物騒な世界で生活しているのだろうか。

「−−−−ねぇ、」

『......ん?』


哀ちゃんに声をかけられたためしゃがみこむ。彼女はどこか警戒しているようだった。



「ーーーどうして、私を助けてくれたの?」


バスジャックの時のことだろうか。どうして、と聞かれても明確な答えなんてないのだけれど。


『哀ちゃん、困っていたみたいだから。隠すには抱っこするのが丁度良いかと思って。ごめんね、恥ずかしかった?』

「−−−−っ!それもそうだけど、貴女、江戸川君と戻って来たでしょ。爆発する寸前のバスの車内に!貴女も死ぬところだったのよ!?」


『......や、アレは私もびっくりしてるよ。数秒前までは、私も腰が抜けちゃってて車内から逃げそびれるところだったし。』


「.......は?」


『あんなに動けるとは思えなかった。』



秀一さんに連れ出された時に、コナン君と哀ちゃんの姿を見たら−−−−身体が勝手に動いてしまったのだ。


『ただ、哀ちゃんを助けなきゃって。あんな怖いところに一人にしちゃダメだと思っちゃったんだよね。』


これはもう理屈では言い表せない。


「−−−−だから言っただろ、灰原。人が人を助ける理由に論理的な思考は存在しねぇ.......」


いつの間にか背後にはコナン君がいて、驚いた。コナン君だけじゃなく、歩美ちゃん達もいる。


「.....って、新一兄ちゃんが言ってたよ!!」


『新一兄ちゃん?』

「阿笠博士のお隣の高校生探偵のお兄さんだよ!!」

歩美ちゃんが瞳を輝かせて教えてくれた。


『................探偵さんがいっぱいだね、』


思わず呟いた。え?と言うコナン君に苦笑を浮かべるに留まる。この辺りではメジャーな職業なのだろうか。


「ーーーそれ、暫く貸してくれる?」

哀ちゃんに指されたそれは先程阿笠さんにもらったサッカーボール。彼女の言葉に首を傾けた。

「人工呼吸の防具。どうせならシートじゃなくバックバルブマスク様式にした方が安全性が増すでしょ。」

『.......確かにそうだけど。』

マウスtoマウスじゃないため、例えば毒などの誤飲で心肺停止となった人にも使える。

「貴女達は練習をしていなさい。博士、行くわよ。」

慌てる博士の腕を引きながら、哀ちゃんは地下へと姿を消してしまった。思わず呆然としていると、遠慮がちに左手を引かれる。コナン君だった。


「多分、灰原なりのお礼と謝罪だと思う。」

彼の視線の先には私の右腕。


『気にしなくていいのに。あれから3日も経って大分良くなったし、生きている限りは必ず癒えるんだから。....それよりコナン君の方こそ、腕、大丈夫?』

「僕は、全然大丈夫だよ!あの後、すぐ塞がっちゃった!」


『.......そう、それなら良かった。』


小学生と高校生ってこんなにも回復力に差があるんだっけ?と思わず口元を引攣らせた。








火曜がやって来た。放課後、急いで文和さんの車に乗り込めば、今日のリサイタルで着用するドレスと靴を渡される。右腕の包帯を隠せるよう配慮してくれたのか袖付きのものだった。
どうやら、あの撮影時に着せてもらった衣装スタッフさんにお願いして今日もレンタルしてくれたらしい。叔母は来ていなかった。


今回も伴奏を引き受けてくれた啓太さんと共にお辞儀をすれば、大きな拍手と共に会場に明かりが灯った。
江古田のホールは最近建て替えられたばかりのようで、音響がしっかりとしている。ホール毎に調整はしているものの、それでも弾いていて気持ちの良い会場だった。


「......怪我をしたと聞いたからどうなるやらと思っていたが、要らぬ心配だったようだね。」

『ご心配をおかけしてすみません。』


「いや、流石だよ。ところで、来週の土曜の夜は空いているかい?」

啓太さんは私と後ろに控えてくれていた文和さんに尋ねれば、彼は私の日程を確認してくれていた。私もプライベートのスケジュールを確認する。特に予定は入れてなかったはずだ。


「仕事の予定は今の所入ってないですね。」


「もし良かったら、鈴木財閥のイブニングパーティーに一緒に出ないか?君もそろそろ財界人と交流を持っても良い年頃だろう。」


思わず口元を隠す。鈴木財閥と言えば、私でも知っている。様々な企業の融資を行い、今や財界のトップに立っていることで有名な大財閥だ。


「.......いや、そんな畏まらなくても大丈夫だ。ほぼ近しい者だけのパーティの予定だし、いつものように僕と演奏してくれるだけで良い。」

啓太さんはそう言うが、近しい者だけのパーティなら余計に私は浮いてしまうのでは。あれ、そう言えば啓太さんの苗字って確か......。


「もう暫く会っていないが、うちの姪の園子も確か高校生だったかな。君と年齢も近いだろうし、仲良くして貰えると僕としても嬉しい。」


「やはり、あの噂は本当だったのですね。貴方が鈴木会長の末弟だとその筋では有名でしたから。」

啓太さんは苦笑する。


「家名に関わらず実力で認められたくて粋がってた時期が僕にもあったってことだよ。秘密にしていても必ずどこからかは漏れるものだと知ったがね。それからは苗字も特に隠さなくなったのだけど、案外バレないものだね。」


啓太さんは茶目っ気たっぷりに私を見つめていた。












右腕のこともあり、サインや握手などは申し訳ないけれど無くしてもらった。会場で着替えてから文和さんの車に乗り込むと、滞在しているホテルから少し離れた所で降ろしてもらった。


「−−−−本当にここで良いのですか?」

『あまりホテルに近いと、居所がバレちゃうでしょ。案外私一人の方がばれないって。』

「.......ですが」

『文和さんも社長に呼ばれて一度事務所に戻らないといけないんでしょ?早く行かないと。』


そう告げれば、彼は渋々と車に乗り込むとどこか名残惜しげに去って行った。
遠ざかる車体を眺めながら、ポケットから包み紙を取り出すと溜息をつく。結局、彼−−−−怪盗キッドは来てくれなかったのだろうか。いや、もし来てくれたとしても、恐らく変装しているだろうし、私にはその変装を見破る術がないのだからどちらにしても渡せなかっただろう。



私は懐からスマホを取り出すと、白馬さんに連絡を取った。前日の縁で連絡先を交換したのだ。その際に彼が私の一つ上であることも知ったのだけれど、普段英国で生活している彼には先輩という言葉に違和感があるらしく普通に呼んでほしいと言われていた。


神が見捨てし、仔の幻影。


あれから、私なりに調べた。
神が見捨てた仔とは、キリストの臨終の言葉からきている説もあるらしいのだけれど.....俗的には仔山羊と表されるらしい。仔山羊は英語でkid。幻影は英語でphantom。ここから連想する人物はひとりだった。


『......ダメ元、だけれど。白馬さん、連れてってくれないかな。』


白馬さんに、私も黄昏の館に連れて行って欲しい旨を打ち込んで送信すると包装紙とスマホをしまった。



「−−−−は?白馬って、」


ふと、背後で声をかけられたため振り返ればそこにはくせ毛の髪をした学生服姿の男子が立っていた。
彼はややしかめっ面をしたまま考えこんでいる。白馬さんの知り合いだろうか。

『........えーっと?』

「ちょっと時間良い?そこの店に少し入ろうぜ。」



私が何かを言う前に左手を引かれて連れられたものだから、否定などできる状態ではなかった。


「ーーー腹空いてるなら好きなもの頼んで。奢るから。」


入ったのは全国チェーンのファミレスだ。案内されて窓際のテーブル席に向かい合って座れば、彼はチョコパフェを頼んでいた。......なんだか可愛らしい。


『クラブハウスサンド....とオレンジジュースを』


「そんなんで足りるのか?」


『......どうして、私が夕食を取ってないって分かったの?』


私の言葉にに彼はあー....と言いながらガシガシと頭をかく。


「オレ、黒羽快斗。江古田高校二年。よろしくな。」

彼はそう言って何もない空間から薔薇を一輪取り出して渡してくれた。すごい、マジックだろうか。まったく仕掛けが分からなかった。


「実は今日、幼馴染と一緒にあんたのリサイタルを聴きに行ったんだ。」


『.....ありがとうございます。』


「あ、敬語はなしで。快斗って呼んで。」

『.....快斗先輩?』


「せめて、快斗君で。つーか、驚かねぇの?」


『........驚いてるよ。これでも。色々と尋ねたいことが多すぎて混乱しているだけ。』


あぁ、と彼は笑った。なんだか、彼とははじめましての感じがしない。そんなことを言ったら、文和さんに危機感がないと怒られてしまうだろうか。


「ちなみにストーカーじゃねぇよ。今日はこっちに用事があってコンサートの後に来てみたんだけど、たまたまあんたを見かけて.....そのあんたから知った奴の名前が聞こえたから。」


『.......白馬さん?』


「そう、それ。あの気障ったらしい奴と知り合いなわけ?」


『知り合いって程じゃ.....』


彼には前日ちょっとした縁で出会ったこと。その際に彼が一時帰国をした理由を聞いて、私もそこに行きたいのだと快斗君に伝えた。


「ーーー行きたい場所?」

『うん、黄昏の館っていうところなんだけど...』

「うぇ、あの曰く付きの豪邸かよ。」

『知ってるの?』

「ーーー財宝が眠る館だろ?何十年か前に大量殺人が起こったっていう噂の。白馬は兎も角、なんであんたが?」


少し迷ってから口を開く。ここまで言ってしまったのだけど、伝えてしまって良いものだろうか。


『........招待主がね、結構特徴的で。』

「特徴的?」

彼は首を傾げた。
と、同時に彼が注文していたパフェが置かれる。

『.......神が見捨てし、仔の幻影』


パフェに瞳を輝かせていた快斗君の瞳が、一瞬の後に鋭いものへと変化した。


「−−−−怪盗キッド、か。」

『..........え、』


私がネットを駆使して正解にありつけた事実を、彼はものの数秒で導きだしたことに苦笑する。彼も相当頭が良いのだろう。


「どうせ、悪戯か何かだろう。本物のキッドなら、わざわざ自分の名前を暗号化する意味はないと思うけど?」

『−−−−詳しいんだ?』


クラブサンドが置かれたため、左手でサンドイッチを掴むと口元に持っていく。


「ーーーやっぱまだ...」


彼の呟きと同時にスマホの音が鳴って意識が削がれた。快斗君に断りを入れてから開くと、白馬さんからの返事だった。そこには日時と場所だけが記載されてある。今週の金土の泊まり込みのようだ。金曜は祝日のため学校が休みだったので丁度良い。土曜の夕方にコナン君達との練習があるけれど、それまでには戻ってこれるだろう。


「ーーー白馬から?」

『うん、OKもらえた。』


「やっぱりそうだよな...........ってはぁぁぁ!?」


快斗君は私が断られると思っていたのだろうか。私もダメ元で頼んだわけだったけれど。

『少し、ボリュームダウンして』



周りの客の視線に首を竦ませながら、彼の口元に人差し指をつけて静かにするよう訴えた。




快斗君は私の手を掴んで自身の口元から離させると、再び難し気な顔をしている。
あのヤロウ、何企んでるんだ?そんな物騒な言葉が聞こえたような気がした。



『......快斗君?』



「ーーーっ!?」

その時だった。快斗君が鋭く窓を覗き込む。既に暗くなった外は窓ガラスに私達を映すだけで外の様子はよく分からなかった。


「ーーー悪い、少し席を移動しよう。」


店員さんに断りを入れて立ち上がった快斗君につられて立ち上がる。彼は私の分の食事や荷物も持ってくれていたため、否を言う間もなかった。
外がどうしたのだろう。なんだか少し怖い。


「ーーー飯食ったら、送る。家はこの近く?」


『うん、一時的に米花サンプラザホテルに宿泊しているから.....すぐそこだけど。』


「.......了解。」


彼は未だに遠くなった窓ガラスを見つめていた。


『−−−−何かあったの?』

「ん?いやー.....窓ガラスに映る自分の姿って少し怖くね?」

思わず目を点にする。


『快斗君、怖いの苦手?』

「誰にも言うなよ?だから悪いんだけど、今日はあんたがホテルに戻るまでは一緒にいて欲しい。」


そう言って大袈裟に震えだす彼の姿が面白くて、思わず吹き出してしまった。

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