メルトダウン
河辺さんの救急車には目撃者の一人でもある千秋に乗ってもらうことにした。私は爆発の目撃者、そして河辺さんを最初に発見したものとして事情聴取を受けなければならないからだ。
隊員の方が受け入れ先の病院を探している間に、ネットにアップされていた河辺さんの簡略プロフィール、彼女の携帯の電話帳に記載されていた彼女の母親の連絡先などを千秋と確認し合った。
『−−−−千秋。』
「先生のことは任せといて。そっちは頼んだよ。」
『.....分かった。』
米花中央病院の救外で受け入れてくれることに決まったらしい。アカデミーの広場からようやく立ち去ることができた救急車を見送ると、今だ二人の男性の捜索を行っている現場を遠くから見守ることしかできなかった。
「−−−−緑川さんだね。」
声をかけられて振り返れば、白髪混じりの男性二人が立っていた。一人はこのアカデミーの創設者でもある堂本さんだ。もう一人は誰だろう。
「彼は堂本ホール館長の譜和君だ。」
「.....よろしく。」
私の視線に気づいたのだろう、堂本さんが彼を紹介してくれた。譜和、という名前をどこかで聞いたような気がするが堂本さんと一緒にいるくらいだ、おそらく有名な音楽家か何かなのかもしれない。
「君達を巻き込んですまなかった。河辺君の対応もしてくれたんだろう。礼を言わせて欲しい。それに、何より若く未来ある君達に怪我がなくて良かった。」
『.......いえ。』
「彼女のメールは確かに受け取ったよ。君達もリハーサルに来てくれるとね。まさかそのメールの後にこんな事が起こってしまうなんて。」
堂本さんは下を向いて瞳を閉じる。連城君も水口君も無事だと良いのだが、そう言って彼は大きな溜息をついた。
「−−−−しかし、練習室には爆発する要素はなかったはずだがね。」
堂本さんが独り言のように呟いた。
「ーーーー河辺奏子は兎も角、あの二人がいたんだ。分からんぞ、奴らは良い歳にも関わらずまったく落ち着かん。少々悪ふざけのすぎる傾向があるからな。」
譜和さんはそう言って騒然としている練習室を睨みつけた。
『............』
過去に巻き込まれた事件の経験から、ふと、思いついたことがある。あの調律の狂ったピアノの音だ。堂本アカデミーというちゃんとした音楽学校にあるピアノとしては通常はありえないことだった。
『.............あの、例えば.....なんですけど。』
二人が私を注視した。
『練習室のピアノ.....例えば底盤に爆弾が仕掛けられていたとしたら、音が狂って鳴るとか.....そういったことはありえるものですか?遠くから聴いただけなんですが、ちょっとだけピアノの音域が変だったので。』
そう尋ねれば、堂本さんは一瞬驚いた表情を見せた。
「君も絶対音感をもっているのか?」
『.......はい、一応。』
「そうか。いや.....底盤に何かをつけたとして、音が少しこもることはあるだろうが......譜和君。」
「弦に直接細工しているなら兎も角、底盤にだけとなると、な。しかし、仮にそうだとして.....奏者自身もしくは絶対音感を持った河辺奏子が気づかない筈はないと思うが。」
「......そうだな。.......。あのピアノも随分と古くなった.....長年の私達の相棒だったのだがね。」
『.......私達?』
堂本さんが頷いた。
「アレは元々私のピアノだ。そして、往年に渡って譜和君に面倒をみてもらっていた。年季がはいっているからか、調律をこまめにしても狂ってしまうのかもしれない。私達と同じくそろそろ引退時だったか。」
「君はまだまだ現役のオルガニスト奏者だろう。引退は早いんじゃないか。」
「.........そうだな。しかし、君も館長としての役目がある。信頼している君だからこそ、頼めることだ。」
「..............あぁ。」
譜和さんは調律師だったのか。堂本さん専属の調律師ということなら、その腕は相当だろう。ピアノの音については、どうやら私の考え過ぎだったようだ。
『−−−−変なことを聞いてしまい、すみませんでした。』
「いや、気にしないでくれ。この件の結末がどうであれ、リハーサルは予定通り行うつもりだ。彼女もそれを望んでいるだろう。君達さえ良ければ青柳さんと聴きに来て欲しい。」
『.............分かりました。』
それから数分後だった。練習室の瓦礫の下から、二人の欠けた肢体が発見され、そのすぐ後に胴体も確認されたらしい。心肺停止状態のまま運ばれて、搬送先の病院で彼等の死亡が確定された。
警察の事情聴取を受けた後、連絡を受けてアカデミーにかけつけてくれた文和さんに、それはそれは大きな溜息をつかれてしまい思わず首をすくめた。
『ーーーー私だって、別に好きこのんで巻き込まれているわけじゃないです。』
「それは分かっています。」
そうは言うが、これはあまり納得していない声色だ。心配をかけたのは分かってはいるが、こればかりは仕方ない。不可抗力なのだから。
『ーー今回は怪我をしてません。』
「そうですね。命があって何よりです。」
『............。』
「緑川さんも心配しているようでした。」
『ーーどっちの緑川?勿論、父ではないよね。娘のことを気にかけられるほど、あの人も暇じゃないでしょ。』
「...............。」
『ーー叔母様に伝えて下さい。私は相変わらず元気です。問題なく演奏できます、と。』
「−−−−分かりました。」
車窓越しに流れていく夕闇の景色に肩肘をついて私は溜息を零した。
『ーーーーそう。』
文和さんにホテルに送り届けてもらった後、与えられた自室で千秋と連絡を取り合えば、お互いの情報を交換した。あの後すぐに河辺さんのご家族と連絡が取れたらしい。
その後の対応はご家族に引き継がれたけれど、付き添った千秋を気にかけてくれたのか、彼女の母親から直接、河辺さんの状態を教えてもらえたとのことだった。現在、彼女は輸液管理そして感染症対策として軟膏を塗られてICUで経過をみている状態であり、壊死した部分の切除(デブリードマン)や植皮は翌日以降のオペで段階的に治療していく予定だと聞かされた。未だ予断を許さない状態だけれど、彼女が比較的若いこと、火傷が背面のみに留まり気道まで及ばなかったことなどから−−−−最悪の結果は免れやすいとの見解だった。
私は私で、あの後連城さん水口さんが発見され病院に搬送されたこと、それから、私達二人、堂本さんからのリハへの招待を受けたことなどを伝えた。警察の事情聴取については、私も千秋も後日再度協力を請われる可能性がある、と。千秋は、分かったと答えた。
『ーーあの時、河辺先生が私達を逃してくれなかったら.......私達もあの爆発に巻き込まれていたかもしれないんだよね。』
電話越しに千秋が息を呑んだのがわかった。改めて口に出してみると、その事実に冷や汗が出てくる。下手をすれば、私も千秋も死んでいたのかもしれないのだ。気まずい空気のまま彼女との通話はそこで終了した。
それからもう一件電話をかける。
『ーーーー遅くにすみません、先生。緑川です。実は今日.....』
第三者から聞かされるよりはと思い、その後、バイオリンの師匠に電話をかけて事情を説明し、私も千秋も無事であることを伝えた。先生はまだニュースをみていなかったのだろう、驚きと同時に安堵してくれてはいたが、それでもセミナーの参加を促したご自身を悔やまれているようだった。
ぽすりと音を立ててベッドに身体を預ける。煤だらけの身体を早く洗い流すべきだと分かってはいたのだけれど、体が酷く疲れていて起き上がるのも面倒だった。.......明日、学校サボろうかな。
『ーーや、サボりは駄目でしょ。学校くらいちゃんと行かなきゃ。もうしっかりしろ、小春......』
そう呟きながら天井を見上げれば、今日のことを嫌でも振り返ってしまう。もし、あーしてたら、河辺さんは火傷を負わずに済んだのでは。こーしてれば、連城さんも水口さんも助かっていたのかもしれない。そんな意味もない、たらればの妄想だった。
その時だった。スマホの着信音が響きわたり、億劫に思いながらも緩慢な動作で画面を見やる。着信は安室さんからだった。どうして彼がこんな時間に?
『ーーーーはい。』
<こんばんは。>
落ち着いた彼の声色に、私の妙にささくれ立った心が刺激される。
『............こんばんは。』
<今、このままお電話を続けても?>
『.....仮に都合が悪かったのなら、電話に出ていませんから。』
<...........。>
無言となった安室さんに我にかえる。私、今彼に八つ当たりをした。そう理解してすぐに彼に謝罪の言葉を述べる。安室さんは私の気持ちを察したのだろうか、やや遠慮気味に何かあったのか尋ねてきた。
『ーーーーいえ、何でもないです。虫の居所が悪かっただけ。それより、ご用件は何ですか?』
電話越しにパソコンのキーボードの音が聞こえた。
<いえ、大した事ではないのですが......貴女の勉強の進行具合が順調かどうか、ふと気になりまして。>
安室さんの言葉に、そういえばと思い出す。あのカラオケでの一件以来連絡を取っていなかったのだけれど、彼に家庭教師になるよう強請ったのは確かに私だった。バスジャックやらチャリティーコンサートの準備やら、キッドのことやら、今回のことやらで、すっかり頭から吹き飛んでいたけれど。
こんな高校生の口約束ごときにわざわざ連絡をくれるとは、彼も案外律儀だ。
カチリと、電話越しにマウスのクリック音がした。
『ーーーーお仕事で忙しいのに、態々ごめんなさい。』
ふと、思った以上に棘のある声色が飛び出す。本当に疲れているのだろう、いつも以上に感情がコントロールできなかった。
<.......へぇ、もしかしてパソコンの音が聞こえましたか?>
『ーー耳は職業柄、良い方なので。私と電話している場合じゃないのでは?』
おそらくパソコンを閉じたのだろう。安室さんは静かに笑って口を開いた。
<すみません。決して片手間にしていたわけではないのですが、僕も職業柄、同時進行で情報収集をすることも多くて。最近、米花町も物騒になってきましたからね。ネットを見ていて思ったのですが、随分と事件や事故が多いな、と。>
彼の言葉に、何故かどきりとした。彼は今日の爆発事故も知っているのだろうか。どう答えようか思案していた私を遮るように彼の言葉が重なり合っていく。
<実を言うと、なかには若い学生が巻き込まれることもあるようですから、小春さんは大丈夫かなと少し心配になったもので。>
『ーーあ、』
<ですが、すみません。勿論、いち学生である貴女には関係のない話です。要らぬお世話でしたね。>
『............。』
私に関係のない話しだったら、どんなに良かっただろうか。深い溜息をつくと、性格はいざ知らず、見た目や声だけは零さんに酷似した彼の困り顔を思い浮かべてしまった。
『ーー心配してくれて、ありがとうございます。』
初めて彼に会った時は本当に零さんかと思ったくらいだ。勿論、本物の零さんは爆弾処理なんて、おそらく出来ないだろうけれど。医師だし。って、あ.....。
『ーー安室さん、近日中に、家庭教師、お願いしたいのですが。』
<.......何か、解らない問題でも?>
大きく息を吸う。心は、今決めた。
『ーー爆弾処理の方法』
<...............。は?>
私の言葉がそれほど思いがけないものだったのだろうか。暫くの沈黙の後、彼には珍しい素っ頓狂な声が溢れた。
『ーーだから、爆弾処理の方法です。やり方を教えてください。』
<ーーーーーー駄目です。>
我に返った安室さんの返答は速かった。
<そもそも、爆弾なんてそうそう遭遇するものじゃないでしょう。君には無用の知識では?>
『ーー無用かどうかは、試してみないと分からないでしょう。』
<必要ありません。そんなことを勉強する暇があったら、少しでも単語や公式を暗記した方が良いですよ。学生の本分はそっちだ。>
『言われなくてもしてます。それに、実際、貴方と出会ったのもその爆弾事件の最中だったじゃない!』
<だとしても。通報して避難する、それだけでも十分爆弾から回避できます。解体する必要はない。>
キッパリと安室さんは言った。
『...........じゃあ、今、解体しないと.......例えば私だけじゃなく多くの人が犠牲になるかもしれない場合は?』
<それでも。通報、周囲への呼びかけはしてもらった方が良いですが、後は爆弾処理班に任せて逃げるべきです。彼らはちゃんとした知識と訓練を積んだ専門職なのですから。>
『ーーもし、この間のように、閉じ込められちゃって、爆弾処理班を待ってられない......そんな場合は?』
<........その時は、残念ですが諦めて下さい。>
『え、ひど!』
私が思わずつっこむと、彼はくつくつと笑い出した。
<冗談ですよ。その時は、僕が駆けつけますから−−−−ご安心を。>
不意打ちの言葉に思わず息を呑む。そんな危機的状況に都合良く駆けつけるだなんて、それこそ冗談......どんなヒーローだと頭では分かっていた。
『ーー爆弾処理班ですら駆けつけられない状況に、どうして安室さんが駆けつけられるんです?』
<−−−−気づきましたか。>
『気づきました。ねぇ.....お願い。』
<駄目です。>
『ーー教えてくれたら、交際を考えます。』
<おや、嬉しい。でも駄目です。>
軽くあしらわれて、眉間に皺が寄った。ケチな男だ。
『お願い、何でも言う通りにしますから!』
私がそう考えると、電話の向こう側が黙った。これはイけるか?
<5/2、再来週水曜の17時.....GWですが空いてますか?>
スケジュールを確認し、5/3は米花町内のホールで単独リサイタルがあるもののその前日である5/2は丁度空いていることが分かった。急いで安室さんに伝えると、彼は待ち合わせ場所を指定してくる。私はそれに了承を告げると、どこか疲れたような声色の彼の様子に笑みを浮かべて通話を終えた。
ーーーーーー勝った!
この時は、そう信じて疑わなかった。