泡禍の遺物2

石原さんに呼ばれて、晩餐会の会場である大広間に向かっていた時だった。


「あ、小春姉ちゃん!」


子供特有の甘く高い声に、振り返る。そこには、昨日随分とお世話になったコナン君がいた。


『..........あー成る程。コナン君が言っていた、また明日って、こういう事だったのね。』


私が一人納得していれば、彼はニッコリと笑う。コナン君の背後に立っている毛利さんとの挨拶もそこそこに、彼の隣にいる彼女へと視線をむけた。


『ーーーもしかして、先日事務所に伺った時に聞いた......毛利さんの.....』


「娘の毛利蘭です。貴女のことは父とコナン君から聞いていて、私も一度会いたいなって思っていたのよ。まさか今日こんなところで会えるなんて。」


『初めまして。緑川小春です、毛利先輩。』


「........あら、もしかして一年生?」


『はい、学校は帝丹じゃないですが』


大人っぽいから同い年かと思っちゃった、と彼女は微笑んだ。


「ーーーねぇねぇ、小春姉ちゃん。どうしてこれからご飯を食べるのに、いつものバイオリンケースを持ち歩いてるの?お部屋に置いてこなかったの?」


「晩餐会と言やぁ生演奏.......あ!小春さん、もしかして今日の晩餐会に演奏者として呼ばれた、とか。」


コナン君と毛利さんの言葉に苦笑する。奏者として呼ばれたわけではなくギリギリまでバイオリンの練習をしていただけだ、と伝えれば、コナン君に呆れられたような目で見られてしまった。こんな時まで練習かよ、と視線で突っ込まれたような気がするのだが私の気のせいだろうか。


「..........それじゃ、貴女も招待状を?」


『あ、いえ。私はーーー』


「彼女はこの奇妙な晩餐会における僕のパートナー......同伴者ですよ、毛利さん。」


白馬さん、だった。勿論彼のその言葉に、嘘はない。


『ーーーあ、あの........』


けれど、言葉と同時に肩を抱かれる感覚に顔を向ければ、目と鼻の先に白馬さんの不敵な笑みがあった。海外の学校に通っているらしい彼からすれば慣れているのかもしれないけれど、思った以上に近いその距離に私は少しだけ身構えてしまう。こういうシチュエーションが好きなのだろうか、キャーと毛利先輩から歓喜の悲鳴が溢れた。


「ーーーケッ。ガキが生意気な。」


毛利さんの眉間に皺が寄っていた。








「ーーー君達を招いたのは、この館に眠る財宝を探し当てて欲しいからに他ならない。」


大広間の上座には既に、この晩餐会の招待主(ホスト)ーーー"神が見捨てし仔の幻影"を名乗る者が座っていたが、正体を知られたくないためか顔面は黒布で覆われていた。その瞼からは妖しい閃光が零れていて、正直不気味だ。とてもじゃないけれど、あのキッドには見えなかった。それとも、これも彼の変装なのだろうか。座席下に置いたバイオリンケースの中に入っている真新しいハンカチを思い浮かべながら、小さく溜息を零した。


「ーーーさぁ、名札の席に」


少々気味の悪い彼に促されながら、招かれたゲスト達は次々と着席していった。私は案の定、白馬さんの隣だ。晩餐会には、白馬さんや毛利さん、先程ぶつかってしまった大上さんの他に三人の探偵が招かれているようで、元検視官であった探偵の槍田さん、ハードボイルド探偵と呼ばれる茂木さん、老婦人探偵として有名らしい千間さんであることを白馬さんが教えてくれた。



『ーーーひっ!』


突如としてドカーンというけたたましい爆発音が聞こえたため、思わず身体を竦ませる。ホストである彼は何としてでも財宝を探し当ててもらいたいのか、ゲストの車や道中唯一の渡橋を爆破することで私達の退路を奪ったことを告げた。ここではスマホは使えず、外部との通信は絶望的な状況らしい。


「ーーーいけすかねェな。」



そのような中でまず一番に席を立った茂木さんは、ズガズガと上座に足を進めると勢いよく覆面を剥ぎ取った。



『ーーーっ!!人、じゃない。』



覆面の下から現れたのは−−−−無機質な白いマネキンだった。




「ーーー最後の晩餐を始めようじゃないか。」



マネキンから発せられる不吉な言葉に、背筋が凍った。







「ーーー念の為、食器やカトラリーを自身のハンカチで拭いてから使った方が良い。」


予め決められた席で食べるのは抵抗がある、との意見から席替えをすることになった。結果として私は左側に大上さん、右側に毛利さん......と彼らの間の席に落ち着いたのだけれど、向かい側に座る白馬さんからの忠告を聞いて一気に食欲をなくした。


「ーーーパテのお味はどうかね。」

心持ちゆっくりめに前菜を食していると、大上さんに話しかけられる。美味しいです、まろやかだけどしっかりとしたコクがあって.....と言えば、彼は満足そうに頷いた。


「パンやクラッカーと一緒に食べると、さらに絶妙な味わいになる。」

『ーーーへぇ。』


「ーー実は厨房にはまだパテの余りがあるんだが、どうだろう。今日の夜食にでも部屋に持っていかないかね。クラッカーも用意してある。」


『やー...でも、こんな状況ですし.....今回のコース料理でお腹いっぱいになると思うので........私は気持ちだけで......』


「ーーー大上さん。いくら小春さんが美人だからと言って、あんまり女子高生をナンパしちゃダメっすよ。」


毛利さんの助け船にホッと安堵する。大上さんはフンっと鼻息を零して皿の残りを平らげていた。


元々、石原さんにより食材は揃えてあったもののコックが急用で不在となってしまったために、急遽美食家であり料理人でもある大上さんが今宵のディナーのコース料理を全員分作ってくれたらしい。張り詰めた空気に気疲れしたが、料理自体は美味しかったように思われた。今度は是非とも健康な精神状態で味わいたいです、と大上さんに告げた。



「ーーーさて、ディナーは楽しんでもらえたかな。」



ディナーは滞りなく進んだ。アフタードリンクのレモンティーを嗜んでいると、食事中は静かだったマネキンが再び話し出した。
その内容は、白馬さんから予め聞いていた烏丸蓮耶という大富豪の別邸ーーーつまりはこの場所で実際に起こった惨殺事件の話であり、隠された財宝のありかを示すヒントとする暗号はサロンルームでワトソンが咥えていた羊皮紙に書かれていた内容と全く同じものだった。


「ーーーっ!」

『.........大上さん、もしかして頭が痛いんですか?』


右手でこめかみを揉むように押さえている大上さんに気づけば、彼は少しなと呟く。彼の両手首を少しだけ拝借すれば、左右差は見られないものの普段の私の脈の1.5-2倍はありそうな速さだった。


「ーーおい、どうしたんだ。」


『毛利さん、大上さんが.......』


私の隣で異変に気付いてくれたのだろう、毛利さんもマネキンの話を聞くのを止めて此方に顔を向けてくれる。



「この館の財宝を巡って奪い合い殺し合うあの醜態をーーー君達、探偵諸君に再び演じて欲しい…{emj_ip_0792}」



そんな此方の状況を知ってか知らずか、マネキンの冷酷で残虐な独演がその一言で締めくくられていた。








「ーーーぐっ!!!」

『ーーー大上さん?苦しいんですか?』





大上さんが突然倒れ込んだ。喉元を抑えて苦しそうに悶えている。流涎を垂れ流し、言葉も発せられない程に彼の息が荒い。私は慌てて座席から立ち上がると彼に駆け寄った。再度脈を確認しようとすれば橈骨動脈では既に触知できなくなっている。なら、頸動脈は−−と首元に指を添えれば辛うじて触れることができた。とすると、大体の収縮期血圧は60-80mmHgくらいだろうか。あまりにも短時間での血圧低下に驚きを隠せなかった。兎に角、だ。毛利さんに手伝ってもらいながら椅子を使って大上さんの下肢を高く挙上した。一体、彼のこの状況は何が原因なのだろう。彼は狭心症が持病と言っていたけれど、胸痛を訴える様子は見られなかった。


『ーー大上さん、どこか痛い?苦しい?』

「ーーーぐぅ....あ」


やはり、大上さんは答えられる状態じゃなかった。


「小春さん、少しだけ下がって貰えますか。後は僕が代わります。」


白馬さんだった。彼は大上さんの身体を隈なく観察し始める。彼のその様子を背後から眺めながら思考を巡らせていた。


『ーーーっ』


原因は。.........彼を助ける方法は?


大上さんは最初に頭痛から始まり、頻脈、頻呼吸.....それからの血圧低下。そして、喉元を抑える動作から呼吸器系に問題があるのかもしれない、そう推論すると座席下のバイオリンケースを見つめた。





「ーーー22時34分51秒。心肺停止を確認。この状況下では蘇生は不可能だ。」




白馬さんは、淡々と懐中時計を読み上げた。




『ーー待って。待ってください、白馬さん。彼に.......心臓マッサージと人工呼吸を......私にさせて下さい!』


「ーーー許可できませんね。小春さん、この間とは状況が違う。君がやろうとしていることは、ともすれば危険な行為だ。」


感染の疑いがある、ということだろうか。


『ーーーマウスtoマウスじゃなかったら.......どうですか?』


私は阿笠さんと哀ちゃんに作ってもらったバックバルブマスクを取り出すと、白馬さんの隣にしゃがみこんだ。



『私は、まだ、諦めたくないんです。』



「ーーーおやおや。君は随分と良いものをお持ちのようだ。」


それでも確率は低いですよと白馬さんは溜息をついたけれど、私の気持ちを組んでくれたのだろう。彼は大上さんに心臓マッサージをし始めた。私は私でマスクを大上さんに装着する。


「ーーーアーモンド臭がする。甘酸っぱい匂い。」


コナン君の言葉に首を傾げた。そんな匂い、しただろうか。


「ーーー無理もないわ。遺伝的に約半数の人はその匂いを感じとることができないらしいから。かく言う私もその口だし。」


槍田さんが言った。




「ーーーアーモンド臭......ってことは青酸化合物によるシアン化中毒か!」



毛利さんの言葉に、白馬さんはえぇと頷いた。恐らく、大上さんの飲食物−−−−直前まで飲んでいた紅茶に混入されてあったのかもしれない、と。コナン君が毛利さんや茂木さんに急いで広間の扉を全開にするよう頼んでいた。


『................』



そうか....だから、白馬さんは人工呼吸をしては駄目と言ったのだろう。青酸化合物は揮発性.....それも個体物を飲んだ時以上にガス化した状態の方が何倍も致死率が高い、と聞いたことがあった。



「−−−−いんや、どうやら紅茶が原因ではないようだよ.....」


千間さんが10円玉を使い大上さんのカップの中の紅茶を調べたのだが、その反応が出なかったらしい。


大上さんに空気を送り込みながら、槍田さんを見上げた。


『ーーーあの、槍田さんは検視官だったと聞きました。ってことは、医学も履修されていますか?』


「ーーー警察学校時代に、法医学はね。」


槍田さんは、それでも医師ではないから医療にはそれ程詳しくはないと思うわと答えた。


『ーーーそれでも。シアン化合物の具体的な解毒方法って知ってたり......』



「.......内服した場合は、吐き出させるのと胃洗浄が基本だけど、」


「ーーーしかし、それは意識が、ある場合。既に意識のない、彼には、不向きだ。」


槍田さんの言葉に被せるように、心臓マッサージ中の白馬さんが答えた。


「病院では、チオ硫酸ナトリウム水溶液や亜硝酸化合物を使うってーーー新一兄ちゃんに聞いたことあるよ。」


コナン君だった。亜硝酸化合物と聞いて思い浮かべたのは、晩餐会の前に調べた電子辞書の内容だ。慌てて、マッサージを続ける白馬さんに断りを入れてから、大上さんのジャケットのポケットを探った。


『ーーーあった。』


あの、亜硝酸アミルだ。



『亜硝酸アミルも亜硝酸化合物、ですよね?』


白馬さんはフッと小さく笑う。彼の額には大粒の汗が滲んでいた。


「ーーー亜硝酸アミル。狭心症治療薬でありながら、シアン化中毒の解毒剤としても使用される薬品。どうやら、大上さんは随分と幸運の女神に愛されているようだ。」


私は白馬さんの指示通りに、マスクを通して大上さんに亜硝酸アミルを嗅がせ、その後に空気を送り込むと言った動作を、コナン君に時間を測ってもらいながらただひたすら繰り返した。

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