日曜日の幻想

仮眠から目覚めてすぐに白馬さんへと連絡をとり、その後コナン君にもメールを送った。ヘリコプターの中に置いてきてしまったバイオリンやその他の荷物を、今日の夕方に会う約束をしていたコナン君が預かってくれていることが分かったからだ。


その後すぐに返事を返してくれたコナン君と数回のやり取りを行い、私が一度毛利探偵事務所に寄って荷物を受け取ってから彼と一緒に阿笠邸に向かうことになった。


『−−−今日の夕食、どこで食べようかな。』


道すがら流れ行く看板を眺めつつ、練習後寄るのに丁度良い飲食店を物色していく。充分に睡眠が取れたためか、頭が大分スッキリしていた。


『−−−昨日はフレンチだったから.......今日は和食が良いかな。』


毛利探偵事務所の隣にある"いろは寿し"を一度眺めてから踝を返した時に、丁度目の前の道路を一台の車が通り過ぎた。


『.............あれって』


その車に目をやったのは偶然で、時間にすればほんの一秒も満たない間だったのだけれど、その瞬間に車の運転席と助手席に座る人物が見えてしまった。運転していたのは、やや色黒の肌に色素の薄い髪をしている彼で、助手席にはブロンドヘアーの女性を乗せていたようだ。思わず、ふうん、と声をこぼしてしまう。





『........ちゃんといるんじゃない。そういう女性(ひと)』






少しだけ気分が落ちてしまったのは、きっと、彼にそっくりな−−−かつての想い人を浮かべてしまったからだろう。一度だけ溜息を吐くと、事務所の入り口まで続く階段を勢いよく駆け出した。













「−−−小春さんはあの後大丈夫だった?」


コナン君は含みがありそうな、好奇心丸出しの瞳で見上げてくる。黄昏の館にいた毛利さんはずっとキッドの変装だったという衝撃の事実を聞かされた後のことだった。苦笑しながら戻ってきたばかりのバイオリンケースの取っ手を握りしめる。


『それがね........私、空中遊泳に耐えられなかったみたいで......そのまま気を失っちゃったんだよね。気づいたらホテルのベッドの上だったの。』


身体が怠くて.........結局お昼頃まで寝ちゃった、と言ったらコナン君が複雑そうな顔をしている。



『−−−どうかした?』


「え?あ、ううん。ただ、小春さんってお薬とか効きやすい体質だったりするのかなーって。」


『え?薬?...............どうだろう。あまり飲む機会もないし、気にしたことなかったかも。最近は病院にもいかないし。』


「............風邪を引いた時も?」


『うん。気合いでなんとかする。』


そう言えばコナン君は空笑いを漏らしていた。いや、あまりにも熱が引かないなら解熱剤も検討するけれど、そうでもないのに下手に熱を下げてしまうのは............少し抵抗があるからね。


「−−−そう言えば、堂本アカデミーの爆発事故......、まだ事故か事件か分かってないんだって。お昼のニュースで言ってたんだけど、見た?」


『.............ううん。』


「...........小春さんは、どう思う?」


コナン君の言葉に首を傾げた。事故なのか、事件なのか......ということだろうか。それなら、当然私は。



『−−−事件じゃなければ良いなとは、思ってるよ。』


「...............そっか。」


『−−−うん。』


今も懸命な治療が続けられているのだろう彼女の姿を想像して、瞼を閉じる。火傷が背部のみにとどまっていたとは言え、拘縮もあるだろうし、かなりのリハビリが必要になることは想像に難くない。でも、まずは早く意識を取り戻して欲しいと願うばかりだ。









翌日の日曜日。
チャリティーコンサートの本番当日だった。観客の入りも上々で、毛利さんや毛利先輩を始め、阿笠さんや子供達の保護者らが揃って来てくれていた。順調に曲目が進む最中、ステージの上で礼をする。本日二度目のソロ曲だった。バイオリンを構えながら、私のソロの次にくるであろう出番をステージ袖で待機している歩美ちゃん達をちらりと見る。ステージ用にオシャレをしている恰好と雰囲気−−−そしてどこか落ち着きがない彼女らの様子に、微笑ましくなった。



アヴェ・マリア 。
アヴェマリアとは「めでたし、聖寵にみてるマリア」という意味で、カトリック教会の祈祷文の一節である。この曲はフランスの作曲家シャルル・グノーがバッハの平均律クラヴィーア曲集第一集第一曲ハ長調の前奏曲の旋律をそのまま、ピアノの伴奏部に使用しているのが特色といえる。


『−−−っ、』


曲が終盤に差し掛かった時だった。頭上でギギギギという妙な音が聴こえる。突如として湧き上がる観客の不審そうな声に驚き手を止めようとしたが、僅かなプライドが辛うじてそれを防いだ。一度想いを篭めて弾き始めた曲は、最後まで弾き通したい。手首と腕を使ってピッチビブラートをかけた、その時だった。



「−−−危ない!!小春お姉さん!!」


歩美ちゃんの叫び声と強い衝撃に身体のバランスが崩れる。バイオリンを抱きしめたまま床に叩きつけられるのと、その次にガシャンという金属音がすぐ傍で聞こえたのがほぼ同時だった。思わず瞳を固く瞑る。



「小春さん、大丈夫!?痛いところはない?」


コナン君の慌てたような声がして瞼を開けば、私の上には彼が乗っていた。
観客席からはキャーという叫び声や、大丈夫か!と心配するような声が飛んでくる。状況をいまいち把握できていない私の頭の上には疑問が浮かんでいた。


『−−−な、に、何が起こったの?』


コナンくんの険し気な視線の先を辿れば、床には粉々に壊れた照明器具が落ちていた。


『−−−っ!!』


それも丁度私が演奏中に立っていた場所に、だ。コナン君が庇ってくれていなかったのなら、おそらく直撃していたことだろう。どこも怪我していないこの状況が不思議だった。


『..............ありがとう、コナン君。助けてくれて。』


「ううん、小春さんが無事でよかった。」



駆けつけてきてくれる音高の先輩達や毛利さん達を尻目に溜息をついた。


『−−−これじゃあ、本格的に厄除けコースかなぁ.......』


ポツリとそう呟けば、天井を睨みつけていたコナン君が私を見て首を傾げる。



『最近、色々と巻き込まれることが多いから...........それにしても照明器具、古くなっていたのかな?まさか落ちてくるなんて。』


でも、落ちてきたのがコナン君達の演奏の最中じゃなかっただけ良かったと思う。もし、それで彼らが怪我をしたなんてことになったら、親御さんに顔向けができなくなるところだった。


「..................違うよ、小春さん。」



『−−−え?』



コナン君は壊れた照明器具を指して言う。みてよ、これ、と。



「−−−ここの部分、不自然に削られてるでしょ?」


コナン君の言葉に、身体が固まる。



「−−−これは多分人為的に起こされた、"事件"だよ。小春さん。」





人為的......そう復唱すると、確かな誰かの殺意を感じた気がして背筋に冷たい汗が伝っていった。

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