ユートピアニズムの放浪

それ以降の演奏は安全面を考慮して、全て中止となった。当然、その後に披露する予定だったアメイジング・グレースも例外ではない。あれから駆けつけてきてくれた警察の方に事情聴取を受けたり、ステージを調査してもらったのだけれど、結局、照明器具を落とした犯人は今の所は分からないということだった。


『−−−こんなことになっちゃって、本当にごめんね。折角、みんなであんなに練習したのに........』


子ども達に頭を下げて謝れば、彼らは首を横に振った。


「−−−小春さんが悪いわけじゃないよ。だから顔を上げて?」


コナン君だった。


「そうですよ。僕達のことは気にしないでください。」


「歩美、小春お姉さんやみんなと一緒に練習できてすっごく楽しかったよ。」


光彦君や歩美ちゃんの言葉に居た堪れない気持ちになる。彼らはそう言ってくれているのだけど、あんなに練習を頑張ったのだ。存分にステージ上での演奏を楽しんでもらいたかった。


『.........でも、』


「−−−ほら、この子達もこう言ってるのに、貴女がいつまでもくよくよしてたって仕方ないでしょ。過ぎてしまったことはもう変えられないのよ。」


『.............はい。』


客席から合流してくれた哀ちゃんに諭されて苦笑する。ドレスの裾を引かれる感覚がして振り返れば、そこには眉毛を下げた元太君がいた。どうしたの?と言いながら彼の目線に合わせるようにしゃがみ込む。


「−−−やっぱり、うな重もお預けか?」


彼の悲しそうな顔に、このコンサートに協力してもらうにあたり彼らに奢る約束をしていたことを思い出した。元太君はそのことを言っているのだろう。


『−−−ううん、みんな....練習頑張ってくれたもんね。約束通り、奢るから安心して?』


そう言えば、彼は安心したように喜んでいた。スケジュール帳を出しながら、いつが良いかなぁ.....と考える。


「−−−あれ?もしかして小春さんも堂本記念公演のリハーサルに行くの?」

特に見られて困るものでもなかったため、手帳を覗き込んできたコナン君にも見えやすいように開いてみせた。


「木曜日にあるんだよね!そこに歩美達も行くのよ!!」


歩美ちゃんの言葉に首を傾げる。どうやら、彼女らの知り合いだという人が彼女達もリハーサルの見学が出来るように手配をしてくれているらしい。それなら.....と考える。そのリハーサルの見学が終わった後にご飯食べに行こうか?と言えば、歩美ちゃん達は「賛成ーっ!」と声を上げて喜んでくれた。


再び裾を引かれたのだが、今度は元太君ではなくどこか申し訳なさそうな表情のコナン君だ。


「−−−本当に良いの?」


『良いの良いの。勿論、哀ちゃんもね?』


「−−−私も?」


練習に参加してないわよ、と驚いた様子の彼女に頷くと今もケースにしまわれているだろう多機能型サッカーボールを思い浮かべる。彼女達のおかげで、私は無力にならずに済んだのだ。ちゃんとお礼をしたい。










翌日の月曜日。
普段通りに学校に行った私は放課後に楽器店へと向かった。そこは丁度私が宿泊しているサンプラザホテルの近くにあったのだけれど、先日リニューアルオープンしたらしい。同じクラスの子達が話しているのを聞いて、折角だし行ってみようと思い立ったのだ。


『.........結構、混んでるな......』


オープンして間もないためか、思ったよりも客は多かった。店内を適当に物色すれば、壁に貼ってあったチラシに目が行く。


『−−−学生料金あり、か。』


どうやらここの楽器店でも、時間毎に練習室のレンタルをしているらしい。しかも楽器店のレンタルルームにしては珍しくも22時まで可だという。ここだとホテルからも近いし、普段の練習場所としては最適かもしれない。



「−−−おや、君は......もしかして緑川小春さんでは?」


『え?あ.....はい。』


振り返れば、六十代くらいの男性が立っていた。失礼.....と言いながら、彼は懐から名刺を取り出して手渡してくれる。


旭勝義(あさひ かつよし)
この楽器店のオーナーさんらしい。彼の話では他にも都内にある十数件のレストランの経営に携わっていたり、近々東京湾にオープン予定の海上娯楽施設・アクアクリスタルの責任者でもあるなど結構な実業家のようだ。



「君の活躍は耳にしているよ。まだ若いのに大したもんだ。」


旭さんはそう言って私が見ていたチラシを見上げた。



「−−−レンタルルームに興味があるのかね?」


『はい、中々バイオリンの練習ができる場所って....限られていますので。』


そう言えば旭さんは納得したように頷き、それから傍に置いてあったチラシを一枚くれた。レンタルルームの詳細が書いてあるものだ。どうやら何種類かの部屋があるらしい。


「−−−他にもね、小さな小部屋なんだが歌い手や管楽器、弦楽器奏者等がよく利用してくれている防音室もあるんだ。ピアノがない分、安くしてある。数も多いから満室になることもそうそう無いだろう。」


いつでも利用してくれと言ってくれた彼にお礼を言うと、挨拶もそこそこに楽器店を出ることにした。





「−−−あれ?」


『........快斗君?』



楽器店から出てすぐに見知った彼に出会った。自然と並んで歩き出せば、先日の件を切り出す。



『−−−この間は、ありがとう。快斗君がホテルまで運んでくれたんだよね?』


「−−−え?あ、あぁ。何度か起こしたんだけど、起きなかったからさ。」


彼の言葉にごめんね、と言って苦笑した。



『−−−ところで、今日はどうして米花町に?お買いもの?』


「いや、ランディー・ホーク主催−−−ポール&アニーのアニマルショーを観に来たんだ。その帰り。」


『アニマルショー?』


首を傾げると、快斗君は苦笑する。


「一応、世界規模で有名なショーなんだけどな。」


世界中、旅をしながら公演を行なっているその一座は三年ぶりの来日ってこともあってかなり注目されているらしい。


「−−−そういう生活、少し憧れるからさ。」


『へぇ。』


彼はアニマルショーの目玉である白いライオンの話しをしてくれた。


「−−−げ、」


突然だった。妙な声を出した快斗君の視線を辿ればパトカーが何台も列を成して連なっているのが見える。何か事件でも起きたのだろうか?と首を傾げれば、そのパトカーに付き従うように見知った車が通り過ぎた。いつもは無表情ながらもどこか暖みがあるエメラルドの瞳が、凍てつくように冷たく光り、ニヒルに口元を歪めた表情はどこぞの悪役かとも思える。思わず、言葉を失った。



「−−−な、なぁ。今パトカーについていった車さ.......」


一度しか会ってない筈の快斗君も気づいたらしい。あの恐ろしい表情を見てしまったのだろう、口元をヒクつかせていた。


「−−−俺、あの時、あの人にお前を預けて大丈夫だったんだよな?」


彼の恐る恐ると言った言葉に、あはは、と引き攣るような笑い声がでた。


『.....いつもは優しいんだけど、ね。何かあったのかな、』


そう言いながら、既に走り去ってしまった道路を見遣る。いつもの彼ではないその表情に少しだけ不安を感じてしまった。





「−−−あー、小春?」


いきなり呼ばれた名前に驚き、快斗君を見上げる。


「これから何か予定、ある?」


『ううん。どこかで夕飯食べてからホテルに帰るだけ。』



それならさ....と、快斗君は言う。一緒に飯食べていかないか、と。どうやらこの近辺に彼オススメの美味しいレストランがあるらしい。


『でも良いの?お家でご飯食べなくて。』


「−−−うちは今、母親が海外に行っててさ....ほぼ一人暮らしみたいなもんだし。」


『−−−お父様は?』


「......死んだ。俺がガキの頃に。」


淡々と述べた快斗君の表情が前髪に隠れて、あまりよく見えなかった。


『.........そう。それじゃあ.......私と同じだね。私の母も子供の時に亡くなったから。』


通常は父親と呼ぶべき人も、仕事にかかりきりで.......家には殆ど帰って来た試しがない。


「−−−そっか。」


『うん。』


その後は快斗君も気遣ってくれたのだろう。特に気まずい雰囲気になる事もなく、Ristorante Sundayrinoというレストランに無事辿りつくことができた。


『−−−っ!』


看板を見て思わず彼の袖を引く。


『Ristorante.....ここってもしかして、コース料理?私達、制服のままだよ。』


「え........あぁ、確かに名前は高級レストランだな。結婚式の二次会で使われることもあるらしいけど、結構カジュアルな店だぜ。ピザもある。」


『........そう、それなら良かった。』


快斗君の笑顔にホッと安堵した。


席に案内されながら周りを見渡せば、成る程、確かに若い人達が何人もいる。快斗君とメニューを見合いながら、お互いに単品を頼み終えてひと息をいれた頃だった。


「−−−ところでさ、最近危ない目にあったりしてねぇ?」



快斗君の言葉に思わず黙り込んだ。


「−−−オイオイ、まさか。」


『昨日、この近くのホールでチャリティーコンサートがあったんだけど......その演奏の最中に照明が落ちてきてね。老朽してたわけじゃなくて、人為的なものだってことが分かって.....ちょっとした騒ぎになったの。』


快斗君は大きく目を見開いた。


「それで.........怪我とかはしなかったんだな?」

『うん、間一髪助けてもらったから。』


「......そっか。」



そこで、料理が運ばれてきたため一度会話は閉じられた。快斗君が頼んだトマトクリームパスタと、私が頼んだカルボナーラが目の前に並んでいく。どちらも美味しそうだ。



『...........快斗君ってさ、魚料理苦手なの?』


彼はえ"、と固まる。思わず口元が緩んだ。


『さっき、メニュー表を一緒にみたでしょ?魚料理の写真、見ないようにしてたから。』


「............分かっちゃった?」


『うん、バレバレ。』


快斗君は深い溜息を吐いて力説する。魚が、どんなにヌベヌベしていて、どんなに生臭くて、どんなに気持ち悪い生き物かを。水族館も行きたくないらしい。彼の思った以上の魚嫌いに苦笑した。



「−−−なぁ。」


『−−−ん?』


「−−−平日の放課後だけでも、一緒に帰るか?小春の高校に迎えに行ったって良い。」


先程のおちゃらけた雰囲気は突如として消え、快斗君の静かな声に目を見開いた。


『−−−有難いけど、快斗君は江古田でしょ?遠回りだし、悪いよ。』


「−−−けどさ、」


『それに、照明の件だって私が狙われたとは限らないわけだし.....』


そう言えば、快斗君は暫く黙り込んだ。



「−−−ただ怖がらせるだけだと思って言わなかったんだけどさ。」


『−−−え?』


「初めてお前と会ったとき......ファミレス入っただろ?」


『−−−うん。』


「その時、窓越しに妙な視線を感じたんだ。」


快斗君が席を変えた時だろうか。そう思いながら彼を見つめれば、彼はコクリと頷いた。


「−−−だから、少し心配してた。」


俺の都合が悪い時はちゃんと言うからさ.......お互いの都合が良い時は帰ろうぜ、一緒に。と、そう言ってくれる彼の申し出を断ることなんてできなかった。



『知らず知らずのうちに快斗君に迷惑かけちゃってたんだね。ごめんなさい−−−快斗君が都合の良い時だけで良いから、一緒に帰ってもらっても良い?』



私が頭を下げると、快斗君は安堵したように破顔した。


「バーロー、なんで謝んだよ。俺が安心したくて言ってるんだぜ?」


『−−−、ありがとう。』


そうそう、ごめんよりもやーっぱありがとうの方が良いよなー。なんて言う快斗君がとてもあたたかい。冷める前に早く食おうぜ、と言う彼の言葉に頷くとフォークを手に持った。









レストランを出て、ホテルまでの道を快斗君と歩いていた時だった。快斗君に腕を引かれて背中に隠されると同時に傍で車が停まる音がした。


「−−−なんだ、あんたか。」


快斗君の言葉に彼の背中からその車を見やる。


「−−−邪魔したか?」


秀一さんだった。先程の凶悪顔は鳴りを潜めて、今はいつものような穏やかな色をしている。


「....帰るところなら、乗っていかないか?」


秀一さんの視線が私に向けられていた。


『あ、でも....』


秀一さんの言葉に戸惑い、快斗君を見上げれば彼は苦笑した。俺のことは気にせず乗れという。車の方が安心だ、と彼は言ってくれた。


「−−−そこの君も駅まで送って行こう。江古田駅で良いか?」


「......俺、自分の最寄り駅言いましたっけ?」


「−−−君さえ案内してくれれば、家まで送るが。」


「いや、駅で良いです。」


快斗君の声が引き攣っていた。



『−−−貴方は』


秀一さんの希望で、快斗君は助手席に私が後部席に乗ることになったのだけれど........運転席の後ろには既に先客がいた。


「はじめまして、お嬢さん。」


私のために席をつめてくれた男性は、50〜60代くらいだろうか。髭を蓄え、眼鏡をかけたその男性は外人だった。

お礼を言って乗り込めば、すぐに秀一さんは車を発進させる。


「可愛らしいカップルだ−−−そうは思わんかね、赤井君。」


「−−−そうですね。」


二人の会話に私と快斗君は視線を合わせあって押し黙る。私はおずおずと口を開いた。


『−−−あの、私達、付き合ってるわけじゃ...........快斗君とはただ』


「そうそう、最近知り合った友達っつーか、」


『....え、友達?』


そうだったの?と驚けば、快斗君は私以上に驚いた様子だった。


「...............え?」


『.................え?』



「−−−チョット待って、小春ちゃん。俺達って友達じゃねぇの?」



『−−−でも、私達二回くらいしか会ってないっていうか......』



「...........じゃあ、ただの知り合いとか、か?それもそれで快斗君、結構ショックなんだけど。」



『..............』


「え、そこで黙っちゃうの?」



『や....ううん、友達!友達だよね、私達。』


「−−−だ、だな!」


『.........だね。』


私と快斗君が少々気まずい思いをしながら反論すれば、彼はおやと目を丸くした。ハンドルを握りしめながら秀一さんがくつくつと笑い、それを見た快斗君がジロリと睨みつけている。


「−−−それは失礼した。君を守るように立つ彼があまりにも紳士的なものだったんでな。」


私はジェイムズ・ブラック、と言って彼は手を差し出してくれたため、それに応じて握り返す。


『−−−緑川小春です。日本語、お上手ですね。』


ありがとうと彼は言い、ふと考えるような仕草をしてみせた。


「もしかして、お嬢さんは杯戸中央病院の医院長の..........」


思わず肩を竦めた。どうやら彼もまた父親のことを知っていたらしい。


「そうか。彼とは古い付き合いでね。久しぶりに会うんだが、まさかあれ程大きな病院の長にまでなっていたとは.......」


驚いた、と言う彼に苦笑することしかできなかった。


「−−−ところで、ジェイムズさんはどうして日本に?在日じゃないだろ。」


快斗君が話しを遮るように話題を変えてくれた。


「−−−あぁ、アニマルショーを観に来たんだ。レオンのストラップが欲しくてね。」


レオンとは、快斗君が話してくれた白いライオンの名前らしい。失くしてしまったのが残念だ、と言う彼に快斗君は笑った。それならあるぜ、と。

彼は、ワン、ツー、スリーと言って指を鳴らせば、ポンと軽やかな音と共にジェイムズさんの両膝にストラップが現れた。


「I can’t believe it!貰っても良いのかね?」



「−−−どうぞ。わざわざイギリスから来国してくれた記念に。」


「.........ほう?私がイギリス人だと。」


「いや、だってさっきの英語。発音がイギリス訛りだったじゃねぇか。」


「−−−そうか。日本に来て指摘されたのは、君で二度目だな。」



へぇ、と快斗君は興味がなさそうな声を上げる。それから、顎でジェイムズさんの手元のストラップを指し示した。




「けど、そのストラップって全世界共通だろ?わざわざ日本に来なくとも.....」


「ノンノン!」


彼はそう言って、ストラップを裏返した。

『メイド・イン・ジャパン.......』


「これが書いてあるストラップは、日本だけ。私は一座が周った全ての国のストラップを集めていてね。どうしても欲しかった。」



ジェイムズさんがそう言えば、快斗君はあ、そう...と呆れたように笑った。助手席に身を乗り出すようにジェイムズさんは快斗君をしげしげと見遣る。


「−−−しかし、君のマジックは見事だった。君の名前は......」


「−−−俺?俺は黒羽快斗だけど。」


「−−−彼は、世界的マジシャンとして名高い黒羽盗一氏の息子さんですよ。」


いや、だからなんでアンタが知ってんの?怖ぇーよ!と快斗君は秀一さんに怒鳴りつけ、一方の秀一さんは秀一さんでくつくつ笑っている。私の隣ではジェイムズさんが、ほう....と考え深気に目を細めていたのがとても印象的だった。

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