頂への誘い

翌水曜日。


「−−−そしたら、青子の奴がさ。」


快斗君は、幼馴染だという青子先輩と授業中に織りなしてきたやり取りの数々を、面白おかしく聞かせてくれる。時折相槌を打ちながら二人で帰り道を歩いていた時だった。


『−−−あ、ごめんね、快斗君。千秋から電話だ。』


堂本ホールでのリハーサルを明日に控えた今日、"先程河辺さんが意識を取り戻した"との連絡が入った。千秋と言葉を数度交わしてから通話を切れば、そのタイミングでスマホからピーピーピーと音が鳴り響き、無情にも電源が落ちてしまう。充電切れだった。ひとまず河辺さんの朗報にホッと一息をつくと、隣を歩いていた快斗君に首を傾げられる。


『−−−事故に巻き込まれた知り合いの意識が戻ったって連絡が入ったの。まだ面会は制限されてるみたいだけど、徐々に寛解しているみたい。』


あぁ、だからそんなに嬉しそうな顔をしていたのかと彼に頷かれる。うん、と言えば、良かったなと微笑まれた。



『−−−ちなみに、明日のことなんだけど。』


学校帰りに千秋とリハーサルを見学しに行くこと、その後に知人達と食事をする予定であることを伝える。快斗君は暫く考えた様子を見せた後に、それなら....と口を開いた。


「−−−そのリハーサル会場まで、お前を送り届ければ良いな。その後はその子と一緒にいるんだろ?」


会場に着いたら俺はそのまま帰るし、と言う彼に目を開閉する。


『−−−ううん。明日は近場で千秋と待ち合わせるから大丈夫。』


「.........そうか?」


『うん、ありがとう。いつもごめんね。』


「今更遠慮すんなって。」


私は首を横に振った。


『−−−そうじゃなくて。付き合ってる訳じゃないのに、こんなに快斗君を独占して良いのかなって。彼女さんに申し訳ない、というか。』


「−−−彼女?」


はて、と眉間に皺を寄せる彼に首を傾げる。


『−−−快斗君の話しによく出てくる青子先輩。快斗君の彼女さんじゃないの?』


そう言えば、彼は口元を酷く歪めてブンブンと首を横に振った。


「−−−あいつは只の幼馴染だって。」


『............へぇ。』


その返事の感じだと全然信じてないだろー、と快斗君に睨まれたため、素直に頷く。幼馴染との焦れったい恋愛なんて素敵だねと伝えれば、快斗君に、ははーんと笑われた。


「もしかして嫉妬か?小春ちゃんは友達じゃなく、俺の恋人になりたかったのかな?」


『−−−ん?』



「................。おい。ここは突っ込むか、笑い飛ばすかするところだぜ。」



『............あ、あー......そうだね、ある意味では嫉妬なのかな。好きな人と一緒にいられる快斗君が羨ましいのかも。』


「いや、だからね小春ちゃん。青子はそういう好きじゃなくて−−−」


『−−−だとしても、だよ。恋愛要素を抜きにしてもさ、快斗君にとって大事な人であることには変わりないでしょ?』


「...........まー。そうだな。」



『......でしょ。』



私は会いたくても、それを望んだところで叶わないからと呟けば、快斗君は大きく目を見開く。それって......と言葉を途切らせる快斗君に微笑めば、ホテル近くの楽器店の看板を指し示した。



『−−−少しだけ、寄っても良いかな。買いたい楽譜があるの。』


少しだけ弾んだ声でそう言えば、快斗君は気を取り直してくれたのか、勿論良いぜと言って笑ってくれた。












堂本記念公演のリハーサル当日。私と千秋は学校帰りに落ち合った後、会場へと向かった。ホールの入り口には既に少年探偵団の子供が集まっている。


「あ、小春お姉さんだ!こんにちは!」


『こんにちは、歩美ちゃん。みんなも。』


微笑み返せば、子供達の中で一番体格の良い彼が首を傾げている。



「−−−なぁ、この姉ちゃん誰だ?」


「元太君、知らないんですか?この方は青柳千秋さん。彼女も小春さんと同じく日本を代表する高校生バイオリニストですよ!」


光彦君の言葉に驚いたのは千秋だった。小春のことは兎に角あたしのことも知ってるなんて.....と呆然と言葉を溢している。肘で彼女の脇腹をつついて意識を戻させれば、慌てて笑顔を取り繕っていた。



「−−−今は.......元、バイオリニストなんだけどね。その子の言う通り、青柳千秋です。はじめまして。緑川小春の友達やってます。」


千秋がそう言えば、光彦君がえぇーと声を上げた。バイオリン、辞めちゃったの?と両眉を下げて心配そうに私を見上げてくる歩美ちゃんに苦笑する。



「−−−成る程?自分の実力の限界を感じて一線を退いたってところかしら。高みを目指すことよりも自尊心を守ることを優先したのね。」


「お、おいおい灰原。」


哀ちゃんの容赦のない言葉にコナン君は焦りだす。まさに的を得た発言だったのだろう、千秋は彼女の発言に反論することなく項垂(うなだ)れていた。



『−−−えーとね、千秋は、これまでいっぱい頑張ってきたからね。今は少し休憩中なんだって。』


放心状態の千秋の代わりに弁解をする。

完全に辞めたわけじゃないから安心してね、と私の言葉に光彦君と歩美ちゃんがホッと胸を撫で下ろすのを眺めた次の瞬間だった。






「つーかよ、姉ちゃん友達いたんだな。」



いつも一人だっただろ、と元太君の疑問が真っ直ぐに胸へと突き刺さった。



『...........え、と.....そうだったかな......』



確かに.....と囁く子供達の憐れみの視線が痛くて、たじろぐ。無意識に後退る私を支えたのは、友人だった。



「−−−まぁ.....それは仕方ないよ。小春は、友達と遊ぶ時間を犠牲にしてバイオリンの練習や勉強を優先させてきたんだから。この子の努力を知らずに結果だけを見るや、才能だなんだと妬む馬鹿な奴らも少なくないわけだし。」


復活した千秋にガシガシと頭を撫でくりまわされながら、彼女のありがたみを改めて感じる。


「−−−挙句の果てに小春の容姿と家柄を知るや、この子を利用しようと悪巧みをする人間がわらわらと集まる。そりゃ警戒して友達作りも下手になるわ。」


『............千秋。』


千秋は私を見下ろすとニッと笑った。


「だからさ−−−」



"君達もこの子の友達になってさ、友達の作り方を教えてあげてよ"


千秋はそう言い放ち、トンと私の背中を押してくれた。











「その結果が、少年探偵団......臨時員、ね。」


まさかあたしも入団することになるとは、と隣から空笑が聞こえた。あれから数分後には、千秋のおかげで無事に子供達の仲間に入れてもらえることになったのだけれど、勿論それは私だけではない。千秋ももれなく仲間入りをさせられていた。


「.........それにしても。本当、子供の言葉の破壊力って恐ろしいわ。何気ない一言が鋭くて痛い。」


『........それは激しく同感。』


大きな溜息が二つ重なった。


ホール前の飲食スペースのソファーでグッタリと腰を下ろした私達。少年探偵団のメンバーは、私と千秋が奢ったジュースを飲みながら今後の私達の扱いについて会議を開いているところだった。



「−−−ねぇ。」


そんな探偵団の談話から外れてやって来たのはコナン君だ。


「小春姉ちゃんと一緒に、爆発した現場にいたのって千秋姉ちゃんなんでしょ?」


彼の言葉を聞いた千秋の視線が私に刺さる。片手を上げて、彼には既に話してあることを伝えた。


「−−−あぁ、成る程。君が噂に聞くコナン君か。先日は小春を助けてくれてありがとね。」


「どういたしまして。小春姉ちゃんに怪我がなくて良かったね。」


ところでさ、とコナン君は切り出してきた。あの爆発の前後で何か気づいたこととか、変なこととかなかった?と。



「変なことねー.....。強いて言うならピアノの音?」


「......ピアノの音?」


千秋の言葉に彼は首を傾げる。私は彼女の言葉を聞いてあぁ、と頷いた。


『亡くなった男性が弾いていたピアノの高音が狂って聴こえたの。』


でも....と私は千秋に向き直る。千秋達が救急車に乗って病院に向かった後に、堂本さんや譜和さんにそのことを聞いてみたんだけど.......と続けた。


『音の狂いと爆発については関係ないって。老朽のためか調律しても結構狂っちゃうピアノだったみたい。』




千秋が、そうなんだと納得したように頷く。それなら他には.......と宙を見上げて彼女が考えこんでいれば、背後の自動ドアが開いた。やって来たのは帝丹高校の制服を着た二人の女性で、うち一人は見覚えがあった。









「.......コナン君、待たせちゃってごめんね!リハーサル、始まっちゃった?」


「ううん。まだこれからだよ、蘭姉ちゃん。演奏の音、聴こえてないでしょ。」



コナン君がそう首を傾げれば、毛利先輩の隣に立つ茶髪のボブヘアーをした彼女が右手をヒラヒラとさせた。カチューシャがアクセントになっていてとてもよく似合っている。


「無理無理。ここの防音対策は完璧よ。ホール内の音が外に聞こえないのは勿論、外からの騒音も例えサイレンが鳴ろうが選挙カーが通ろうが中には聞こえないんだから。」


話の外野から、へぇと彼女の説明に耳を傾けていれば隣に座っていた千秋が慌てて立ち上がった。


「え、毛利先輩?」


「あら?青柳さんじゃない。」



あわあわと、らしくもなく慌てている千秋の様子に目を丸くすれば、私の疑問を代弁するかのようにコナン君が知り合いなの?と毛利先輩に訊ねてくれた。


「えぇ、そうよ。だって、青柳さんは今年入ってくれた空手部の後輩だもの。」


ねー?と微笑む毛利先輩に、千秋は顔を真っ赤にしてコクコク頷いていた。千秋は、私の袖を静かに引くや、毛利先輩が空手部の主将なのと囁いてくる。彼女が空手部に入るキッカケを作ってくれたのがこの毛利先輩だった、ということらしい。


「緑川さんは−−−この間ぶりよね。あの後は......その.....」


毛利先輩に会ったのはこの間のチャリティーコンサートの時で、あの騒動のせいで随分と心配をかけてしまったようだ。


『......特に変わりなく過ごせています。コナン君のお陰で怪我もしませんでしたし。それよりも、折角来ていただいたのに.........あんな事になってしまって。』


すみませんと頭を下げて謝れば、毛利先輩は気にしないで、と首を横に振ってくれた。貴女に何事もなくて良かった、と微笑む彼女に笑みを返すと、毛利先輩の左肩に顎を乗せてカチューシャの彼女が顔を覗かせてきた。



「−−−もしかして、貴女が緑川小春さん?」


『はい。えー....と。』


「鈴木園子よ。よろしく。」



意思が強そうな顔立ちの彼女はニヤリと笑った。鈴木先輩が毛利先輩から離れて私の傍までやって来る。


「啓太叔父様からきいたわよ。今度、うちのパーティにゲストとして来てくれるのよね?」


啓太叔父様という言葉と鈴木という名字に、思わずヒクリと口元が震えた。


『−−−あの......もしかして鈴木先輩は鈴木財閥の......。』


「そうそう、一応ね。」


『...........っ、この度はパーティにお招きいただき』


「あー、良いってそんなの。もう堅いわね!そんなの良いから、園子って名前で呼んでよ。」


『..........園子、先輩?』


「そうそう、良いじゃない。えーと、そっちの子は−−−」


視線を向けられて驚く千秋は、一瞬の間の後に青柳千秋ですと名乗った。


「オーケー、なら小春に千秋ね。」


「あ、園子狡いわ。千秋ちゃん、小春ちゃん.....私の事も名前で」


「−−−貴女達、ここで何してるの?」



関係者以外、この会場自体立ち入り禁止のはずだけど?と、そう鋭く声をかけられる。あ、と即座に気づいた。彼女は大きなサングラスをかけているため一見分かりづらいが、美しい黒髪をラフに結い上げた彼女は、間違いなく秋庭怜子さんだ。日本屈指のソプラノ歌手であり河辺さんの友人でもある女性だった。




「−−−なんだこの姉ちゃん。」




何事かと集まってきた探偵団の子供達の口を慌てて塞ぎにかかる。


「−−−私達はちゃんと許可をもらってるわ。貴女こそ、誰よ。」


鈴木先輩改め、園子先輩が前にでて彼女と対峙した。


『そ、園子先輩、その方は......』


私の様子に彼女の正体に気づいたのだろう、隣にいる千秋も慌て始めた。



「貴女達も許可を貰ってるのよね?」


毛利先輩改め、蘭先輩が私達を振り返り訊ねてくる。私達が口を開く前に当然ですよ!と言葉を発したのは光彦君だった。


「小春さんも千秋さんも高校生バイオリニスト。どんな楽器の音にも負けない美しい音色を奏でるお二人は、日本音楽界のホープですからね。きっとこのリハーサルも招待されて−−−」


秋庭さんからの視線が痛い。あー、と片手で顔を覆った千秋に苦笑を零すと、光彦君の頭を撫でてやんわりと彼の言葉を止めた。


『私達の音を褒めてくれてありがとう、光彦君。光彦君の言葉は嬉しいんだけど−−−』



「........え?」



『−−−実はどんなに上手な奏者でも.......残念ながら人間の誰しもが持つ"歌声"には遠く及ばないの。』




楽器が発達して、"フルートのような声"と
いった楽器を使った表現まで登場してしまったが、たとえこれから先どれほど楽器が発達したところで、まるで発達などしない歌声を追い越すことはないだろう。それは、バイオリンにも当て嵌まることだった。



『だから−−−全ての楽器は声に憧れる。』



彼女に向き直りそう呟けば、サングラスの奥でその瞳が大きく見開かれた。




ピアノは独奏楽器として脚光を浴びることもあるが、バイオリンやその他の楽器の伴奏にまわることもある。それはもちろんピアノだけでなく、あらゆる楽器がときに伴奏を引き受けている。合奏も同じ。大オーケストラが一つになって伴奏するのは珍しいが、有り得る話で、一体何の伴奏をするかというと、いうまでもなく歌声である。声は決して伴奏をしない。いつも主役である。身を引くのは他の声に対してだけ。もっと高い音、大きい音が出る楽器も、歌に対してだけは伴奏にまわるのだ。




「−−−まぁ、だからこそ、少しでも憧れの歌声に近づこうと、奏者は日夜努力を積んでいるんだけどね。」


千秋が私の左肩に手を乗せるや同じように彼女に対峙した。


『...........千秋』


千秋の言葉に口元が綻ぶ。それは、私達奏者がいつも心がけていることだった。私達は彼女に改めて頭を下げる。



『−−−バイオリンを弾いてます、緑川小春です。この度は、見学を許可していただきありがとうございます。』


「同じく、青柳千秋と言います。貴女にお会いできて嬉しいです−−−秋庭怜子さん。」


私達の言葉に、え......と周囲が固まった。

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