嘘つきアフタヌーン
<−−−−ふーん。でも小春は行きたいんだろ?>
月曜日に出席するパーティの出演時間の都合上、学校を早引きすることが正式に決まった。快斗君にその旨を伝えるために連絡を入れたのだけれど、話しの流れで火曜の堂本記念コンサートの話題に移ったところだった。
『−−−−それは、勿論行きたいよ。』
<なら、行こうぜ。万が一のために俺もついていくし。>
『......でも快斗君、チケットは?』
あぁそれなら−−−当てがあるから心配するな、と電話越しに彼は笑った。
『それでも脅迫状が来てるっていうし.......悪戯だとしても危ないんじゃ』
<大丈夫だって。それに、お前を狙っていた犯人がその脅迫状の犯人と同一人物かもしれないんだぜ?相手の出方を見るチャンスじゃねぇか。>
『................うーん』
快斗君の甘い誘惑と文和さんとした約束が、脳内の天秤にかかってユラユラと蠢く。
<......要はお前が緑川小春だと周りにバレなきゃ良いわけだろ?>
快斗君の言葉に、うん、と同意を示した。
<−−−−なら、話しは簡単だ。開演が夕方なら、少し早めに合流しようぜ。それから一度お前の部屋に行きたいんだけど、良い?>
『−−−−部屋ってホテルの?』
そうそうと快斗君は同意を示した。そこからだと会場にも近いし着替えやら何やら必要だろ?と彼は告げた。
月曜日。この日は、4月最後の日だった。依頼者である森谷さんの遣いの方がわざわざ校門に迎えに来てくれていた。高級そうな黒塗りの車の後部席にはすでに文和さんが乗っている。彼の隣には今日の衣装であるIラインの黒いドレスが紙袋に丁寧に仕舞われていた。飾りのラインストーンが日光に反射してキラキラと光輝いている。
『−−ーー凄い。』
壮麗な庭園と古典建築の洋館からなる森谷邸に圧倒され、思わずバイオリンケースを握りしめた。文和さん曰く、建築家である森谷さんはイギリスの古典建築のシンメトリー(左右対称)様式にこだわりを持っているという。
「−−−今回の出演を了承して頂き、感謝します。」
色素の薄い髪と立派な髭を携えた初老の男性が、両腕を広げて出迎えてくれた。
『−−いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございました。』
マネージャーと名刺を交換した彼は、それではパーティーの簡単な打ち合わせをしましょうかと言って控え室に案内をしてくれた。
「ほう。クライスラー編曲のユーモレスクですか..........。それに歌曲の愛の夢第3番....こちらは邦人の方がバイオリン用に編曲されたもののようで。」
『.......お気に召しませんか?』
森谷さんは首を振った。ただ、珍しい組み合わせだと思ったらしい。
「−−−クライスラーと言えば、音楽界きっての嘘つき....。失礼ながら何か意図があるのかと勘ぐってしまっただけです。」
クライスラーは演奏旅行中にヴィヴァルディをはじめとする大作曲家の貴重な未発表作品を発掘したと発表し、その楽譜を使って演奏会を開いた。実際のところ、当時の評論家からは曲自体は良いが、演奏がまるきりダメだと酷評されてしまったらしい。
しかし、晩年、一転して一大スキャンダルが発覚する。クライスラーがこれまで発表してきた作品の多くが、実は大作曲家の作品などではなく彼自身の手で作曲されていたものだ、ということだった。彼自身の作品が高い評価を浴びていたのだ。このことは世間を一層驚かせ、彼を酷評していた評論家達を唸らせる出来事となった。
例え一人の男の嘘で塗り固められた事実だったとしても.....ここまで広く世間に知れ渡ってしまったんだ。最早嘘だろうと何だろうとそれが世の中の真実−−−だと僕は思いますけどね。
ふと、安室さんの言葉を思い出した。
ああでもしなければ彼の作品は正しい評価をされることもなく、埋もれたままになっていたのかもしれない。クライスラーが生きていた時代は、正しくそういう時代だった。
『.......確かに彼は嘘つきで有名ですけど、とても聡明で合理的な方だと私は思います。』
ふむ、と彼は言う。そういえばクライスラーは医者の家系だったかな?と。実はクライスラー自身、一度は医学部の大学で学んでいたこともあったらしい。けれど、彼は最終的に音楽だけで生活していく道を選んだのだ。
「確か、緑川さんも....」
森谷さんに告げられる前に頷いた。代々医師の家系です、と。
『そして、私も医師を目指しています。』
そう告げれば、森谷さんは興味深気に眉を上げて微笑む。
「医者と奏者の両立........これは面白い。ぜひ、やり遂げて欲しい。」
曲はこの二曲でいきましょう、と森谷さんは頷いた。
「−−−それではそのように。」
「よろしくお願いします。君の演奏を楽しみにしていますよ。」
『........森谷様のご期待にそえるよう、全力を尽くします。』
はははと彼は笑った。
「そう固くならないで欲しい。そうだ、演奏が終わりましたら、ぜひ緑川さんに見ていただきたいものがありまして。」
『.......私に?』
「ええ。実はちょっとしたクイズを用意しているのですが、その正解者に私のギャラリーをご案内する予定なんですがね。」
貴女には正誤に拘らず、見ていただきたいと彼は言う。
「無理を言って依頼を受けていただいたお礼ですよ。」
森谷さんの心遣いに文和さんを見遣れば、彼は苦笑しつつも頷いた。
開演が迫った時刻。打ち合わせも滞りなく終えてドレスに着替えた私は、控え室の窓際で音出しをしながら続々と集まってくる招待客を眺めていた。その顔ぶれの多くが様々な分野における著名人である所を見ると、森谷さんの交流の広さがうかがわれる。その中から見慣れた小学生とその保護者達の姿を認めれば、思わず目を見開いた。
『−−−−コナン君達も招待されていたんだ。』
構えた弓を下げると、窓際によってポツリと呟いた。
「−−−そろそろ出番ですよ。」
文和さんに呼ばれた私は一度だけ頷くと、控え室を後にした。
パーティーは中庭で行われた。開演早々に演奏することになった私は、簡単な紹介をされた後に、ドボルザークのユーモレスク、リストの愛の夢の二曲を続けて演奏した。どちらも元はバイオリン曲ではないため、編曲されたものを用いている。けれど、二曲とも聴き馴染みのある曲だったためか、招待客の反応は上々だった。
「−−−小春姉ちゃんも来てたんだね。」
オレンジジュースを飲んで火照った身体を冷やしていれば、コナン君と蘭先輩がやってきた。彼女の手には先程配られたクイズの用紙が握り締められている。制限時間は三分。招待客からの期待の視線に当てられながらも、毛利さんが奮闘している様子が遠くに見えた。
『それがクイズの中身ですか?』
「そうよ。なんだろうね。」
蘭先輩がしゃがみ込むと、コナン君や私にも見えるように配慮してくれた。
その用紙には三人の名前と生年月日などの情報が載せられていて首を傾げる。一つずつ年が離れている彼らには、何らかの共通点がありそうなんだけれど......と思考を巡らせた。
「−−桃太郎だ!!」
同じように隣で考え込んでいたコナン君が、突然叫び出した。彼が言うには、この情報には干支が関連していて、猿、鳥、犬と三人を変換できるらしい。つまりは、童話の桃太郎を示しているということだった。
「正解だよ。よく分かったね。」
こうしてクイズに正解したコナン君を始め、保護者の蘭先輩、そして予め誘われていた私の三人は、森谷さんご自慢のギャラリーを揃って閲覧することになった。
『これ、全部......森谷さんが設計したんですか?』
私の昔の作品も飾ってあるため少々恥ずかしいのだがね、と森谷さんは笑った。若い頃はまだまだ未熟でね、あまり見ないでくれ.....と。
「これ.....」
蘭先輩が注視したのは、黒田邸と示された写真だった。殺害されたあの黒田院長の邸宅だと言う。その事件の数日後には火事にもみまわれてしまい、ここ連日でマスコミが大騒ぎしていたようだ。
『...............あ。』
森谷さんと蘭先輩達が話している傍らで、一番端に飾られていた写真に目が止まった。米花シティーホールだ。
「......緑川さんはこのホールが気になりますかな?」
森谷さんだった。
『−−3日の夜に、ここで演奏会をするんです。』
「それはそれは。ここは音響が良いと評判のホールでしてね。それではもう衣装も決まっているので?」
『今回と同じく黒色ですが、Aラインのドレスを着る予定です。』
「.......緑川さんは黒色がお好きなようですね。何か思入れでも?」
好きな色でもないし、特に思入れもない。けれど、そう答える気にもなれなくて、秀一さんの言葉を少しだけ引用させてもらうことにした。
『.......そうですね。全てを覆い隠してくれそうで、安心するのかもしれないです。だからついついこの色を選んでしまって。』
ほう、と森谷さんは微笑まれた。一方で、少し離れた場所にいたコナン君からの視線が痛いのだけれど、どうかしたのだろうか。いつもはクリクリとした可愛らしい彼の瞳がこの瞬間に細まってしまい、少しだけ怖さを感じた。
「−−−しかし、お仕事ばかりで大変でしょう。なかなかボーイフレンドとも会えないのでは?」
『.........ボーイフレンド?』
あぁ、失礼と彼は笑った。森谷さんは、やや蘭先輩を気にする素振りを見せながらも声を潜ませた。駅前で一緒にいた彼だ、と森谷さんは言う。宙を逡巡して思い至ったのは、快斗君しかいないのだけれど.......どうやら彼もまた、私達の関係を誤解しているらしい。
『.....あの、彼は.....』
「そういえば、知ってますか?このホールには中々ユニークなジンクスがありましてね。」
『ジンクス?』
ええ、と彼は頷く。日付が変わる頃に一階奥のリハーサル室の鏡に向かって、会いたい人の名前を告げると、近日中に会うことができる−−−と。
『............会いたい人、ですか?』
「おや、その様子では今にも会いたい方が、どなたかいらっしゃるようだ。」
零さんを一瞬だけ思い浮かべてしまった私は、クスクスと笑う森谷さんに気づいて頬を赤らめる。それから、彼の姿を消すように瞳を閉じると母さんの笑顔を思い浮かべた。
『......もし、会えるとしたら..........私は亡き母に会いたいですね。』
そう告げれば、森谷さんは一瞬だけ驚いた様子を見せる。
「−−−きっと会えますよ。」
それから彼はニコリと笑った。
5月1日の火曜、堂本記念公演コンサート当日だった。ドレッサーの前に座らされた私は、あれやこれやと色んな所を弄られている。小春ちゃんもう目を開けても良いぜ、との快斗君の言葉に恐る恐る瞼を上げれば−−−−驚きから息を呑んだ。
『........え、快斗君。これって』
「おう。どうせやるなら本格的、が俺のモットーってな!」
鏡の中には見知らぬ女の子がいた。どこか蘭先輩を彷彿させながらも、やや幼げな印象を受ける彼女。彼曰く、幼馴染の青子先輩をイメージしたらしい。
『........よく見ると、快斗君も少し違う?』
「あー....俺は少しだけな。」
顔だちはあまり変わっていないようだけれど、その髪型や服装は育ちの良さを前面に表した姿だ。どこかで見たような姿だけれど、一体どこで見たのだろう。うーん、と唸っていれば、快斗君は慌てたように時計を指し示した。そろそろ出ないと遅れちまう、と。
『....................あ。』
「.....................げ。」
急ぎ足の最中、ホテルのロビーで秀一さんを見かけた。私達が思わず足を止めて注視していると、彼もその視線に気づいたのだろう、目があった。それから顔をじろじろと見られたような気がしたのだけれど、彼は何も言うことなく私達の脇を通り過ぎてしまった。
『.....すごいね。あの秀一さんも、全然気づかなかったみたい。』
「一瞬焦ったけどな。でも、流石は快斗君だろ?」
私達はお互いを見つめあうと、クスクスと笑い合う。悪戯が成功した子供の気分だ。ちょっとした緊張と高揚感に、私はワクワクしていた。