君と僕の現実逃避行

無事に会場入りした私達。私はロビーでバイオリンケースを預け、一方で受付の女性と朗らかに話している快斗君を見遣れば首を傾げた。受付の女性が彼に向かって握手やらサインやらを求めている様子だったからだ。彼は人差し指を立てながら、シーと黙らせている。それを目の前でされてしまった彼女の瞳は、正しくハートだった。


『ーーーー受付の人と、知り合いだったの?』


開演時間まで余裕があったため、私達は二階にあるソファーに座りながら一息をついていた。私の問いかけに快斗君は苦笑する。


「......俺じゃねェけどな。」


快斗君の言葉に再び首を傾げれば、彼は私の右手を引いて立ち上がらせた。


「時間もあるし、少し探険しよーぜ。ほら、ここの3階では演奏者のCD販売もしているみたいだしよ。」


『......良いよ。』



あまり追求されたくない話題だったのだろうか、私は溜息をつくと彼に従った。






「ーーーーすみません。」





3階へと続く階段を昇る途中で左手首を引かれたため振り返れば、そこにはサラサラな金髪に日に焼けたような肌色の彼ーーーー安室さんが立っていた。どうやら彼もここに来ていたらしい。初めてみた彼の正装姿に大きく目を見開くと、どうした?と数段上に昇っていた快斗君に訊ねられた。..........そういえば、私、今日は青子先輩だったはずじゃ。




『........あの、どちら様ですか?』


安室さんは少しの沈黙の後に、ニッコリと笑みを浮かべる。


「......失礼しました。僕の知り合いに、貴女がとても似てらっしゃったので。」


『.......私が、ですか?』


「ええ。特に貴女のその声なんてそっくりですよ。」




その知り合いが変装しているのではないか、と疑うくらいには。そう続ける彼の言葉にコクリと唾を飲み込んだ。彼に繋がれた左手首が、意図せずにして酷く脈打っているのが自分でもよく分かる。



「へー.....青子にねぇ。でも、お兄さんの人違いなんだろ。それとも、こんな所でナンパか?」



快斗君だった。彼は私の背中に腕を寄せて、安室さんから庇うように対峙してくれている。



「.......いえ、呼びとめて失礼しました。青子さん。それに、高校生探偵の工藤新一君。」


「............。」


そう言って階段を降りていく安室さんを確認してから、私達は階段を昇った。人通りの多い3階を通り過ぎて4階まで上りきってようやく一息をつく。周りに誰もいない様を認めれば、快斗君が深い溜息を零した。


「なんなんだ、あの兄ちゃん。青子の知り合いじゃねぇんだろ?」


私は呼吸を整えてから、快斗君にお礼を伝える。あのままでは、いつボロが出るか分からなかったからだ。


『彼は、安室透さん。』


「......まさか、小春の知り合いなのか?」


頷きつつも彼が探偵をやっている事を伝えれば、快斗君は表情を歪めた。


「あの兄ちゃんも探偵かよ。なんで探偵っつーもんは、厄介な奴が多いんだ?」


『探偵と言えば、快斗君のこと....安室さんは工藤ーーーー』


その時、バッグに入れていたスマホのバイブ音が鳴り響いた。慌てて取り出せば、安室さんからの着信であることを告げている。


『........どうしよう、』


快斗君。と続ける間もなく、彼は私の手からスマホを取り去るや通話ボタンを押した。驚きで目を開くと、彼はシーと指を当ててくる。


「ーーーはい。」


快斗君の口から出てきたものは、紛れもなく、"私"の声だった。


「え、今ですか?ううん、あのコンサートは私も千秋もマネージャーに反対されちゃってて....。今は千秋と帰宅している途中だけど。」


え、私に似ている子?と快斗君は言葉を続けて惚けてみせる。


「........安室さんは、そんなに私に会いたいんだ。知らない子を私と見間違うって、そういう事でしょう?」


ちょっと待って快斗君。私、そんな挑発的な事は絶対に言わない。彼の袖口を引っ張りながら首を横に振れば、彼は分かった分かったと言わんばかりに頭を撫でてくれる。それから千秋の声で安室さんと数度話した後に、快斗君は充電がそろそろ切れるからと言って電源を落とした。


「これであの兄ちゃんも、お前を疑わないだろ。」


快斗君に渡されたスマホを受け取りながらも暫し呆然とする。


「.....どうした?」


『ーーーー快斗君のポテンシャルが高すぎて、脳処理が追いつかないんですけど。』


マジックに変装に声真似って......何それ最強じゃんと、真顔で呟く私に快斗君は盛大に吹き出した。












「さて、そろそろ演奏も始まるだろうし、あの兄ちゃんも席についた頃だろ。戻ろうぜ。」


快斗君の提案に頷いたその時、4階の内廊下から物音が聞こえた。トントン、トントンとその音は徐々に大きくなっていく。私達はお互いに顔を見合わせると、音源へと向かった。


『.........ここ?』


その音源は一つの扉からだ。快斗君の誰かいるのか?の声かけに、ドンと今まで以上に大きな音が鳴った。


「お前はここで待ってろ。」


快斗君はゆっくりと扉を開けて、中へと入っていく。それから数秒と経たずに、オッサン、大丈夫か!と声を荒げる声が聞こえたため、私も慌てて室内へと飛び込んだ。


『......え?』


そこには両手両足を縛られ猿轡を噛まされている外国人ーーーー彼は丁度快斗君に抱き起こされているところだった。そしてその顔にはどことなく見覚えがある。確か、リハーサルの時に見た顔だ。


『.......ミュラーさん?オルガン調律師の.....』


「知ってんのか?」


『うん。一体誰がこんなことを......』



私は急いでミュラーさんの猿轡を取り除けば、彼は一息をついてから声を荒げた。


「今すぐここから逃げろ!会場に爆弾が!」


彼の言葉に私達は大きく目を開いた。










縛られながらもミュラーさんはその犯人から事の次第を聞いていた。会場を爆破させること、その為に調律師のミュラーさんを含め、絶対音感を持つ者を会場から遠ざける必要があったことを。


『..........どうして、あの譜和さんが』


私と快斗君は急いで会場へと向かった。
ミュラーさんから聞いた話に信じられないという思いと、恐怖で手が震える。


「.......しかし不味いな。オルガン調律師を閉じ込め、お前を含む絶対音感者を会場から遠ざけたってことは仕掛けた爆弾の場所はおそらくーーーー」


ホール内にあるパイプオルガンの周辺。



「それに、客を避難させるにしても犯人がどこにいるかも分からない状態では危−−−」


『.....快斗君?』


突然立ち止まってしまった快斗君に倣えば、彼はおいおい....と言葉を詰まらせていた。


「......会場の外で爆発した。」


『......え?』


彼の左耳をよく見ると、無線イヤホンが入っている。


「爆発したのは会場の外柱23本のうちの12本。」


『それじゃ.....その柱の23回の爆発の後に、会場が爆発される?』


合わせて24回ーーーーこれは音楽家にとっても大きな意味を持つ数字だ。オクターブ内の12音の長調・短調全てを合わせた24調性。バッハが展開した音楽理論である。




「...........っ。小春、お前はオッサンと一緒に避難した方が良い。爆発が柱だけの今ならまだ逃げられる。」


『........え、』



その時だった。階下から足音が聞こえたため覗き込むと、コナン君と秋庭さんが険しい顔で走っていた。


「ーーーーあれは」


『コナン君に秋庭さん?』


もしかしたら、彼らも迫り来る危険に気づいているのかもしれない。


『快斗君......私.....』


やっぱりここに残りたいと告げようと振り返れば、快斗君は自身の頭を掻き乱していた。あんなに整っていた彼の髪型は、まるでいつもの彼の癖っ毛に戻っている。



「あいつがいるなら話は別だな。小春、俺たちも行くぞ。」


俺から離れるな。彼はそう言って、私の右手をつかんだ。











ホールのバルコニーへと続く扉を開けば、G線上のアリアが流れてくる。堂本一揮さんのパイプオルガン、山根紫音さんのバイオリン、そして秋庭怜子さんの代わりに千草ららさんが歌っていた。コナン君と秋庭さんの声が聞こえたため、その先のカーテンを潜ろうとすればその直前で快斗君に止められた。




「ーーーー例の音と爆弾は連動しているんだ!だから、堂本さんの挨拶の時は爆発しなかった。」



コナン君だった。アリアのトリオが終われば、会場内に拍手が響き渡る。次は堂本さんのオリジナル曲だった。



「あと4回。あの音が鳴る前に演奏を止めないと、この会場が爆発する。」



それから続けて2回、爆発が起きたことをコナン君が呟いている。とすると、残りはあと2回か。



「良いわ。私がステージに出て演奏を止める。」


秋庭さんの声に、コナン君は小さく叫んで止めた。どうやら譜和さんは、爆弾を直接起動させるリモコンも持っているらしい。



「........アメイジング・グレースなら」



彼女の小さな呟きが聞こえた。



「.......3分あれば、足りる?」




少しでも爆発を遅らせるために、彼女は歌うつもりなのだろうか。



「ーーーー小春、お前にはあいつらが言っていたその例の音が何か分かるか。」


快斗君の囁き声だ。それなら先程から半音低い−−−パイプオルガンの最上段の鍵盤音のことだろう、と当たりをつける。


「さんきゅ。それなら、ここはお前にまかせるぜ。」


『.........え?』


耳元で、ワン、ツー、スリーという声が聞こえる。それからポンと小気味良い音が鳴った後に、預けていた筈のバイオリンケースが現れた。彼は私の肩をポンポンと叩くや、廊下へと走り去ってしまった。




俺から離れるなって快斗君が言ったのに。そう恨めしく思いはしたものの、時遅しの現状ーー残された時間の中で私が出来ることは何か、自分自身で考えなければならなかった。




『.........もう変装もいらない、か。』


うまくいけば彼の意表をつき、更なる時間を稼げるかもしれない。私は顔につけられていたマスクを引き剥がすと、急いでケースからバイオリンを取り出して準備をする。秋庭さんのアカペラが始まると、コナン君が向こう側から飛び出してきた。



「え、小春さん?」



『.........秋庭さんと一緒に私も出来るだけ時間を稼ぐよ。彼をーーーー譜和さんを止めて欲しい。』



コナン君は大きく目を開いたが、すぐに頷くと、廊下を駆け出していった。私は目の前のカーテンを潜って秋庭さんの背後に立つ。会場では、秋庭さんのアカペラに対抗するかのように堂本さんのオリジナル曲の演奏が始まっていた。それに追従するかのようにバイオリンと歌が波に乗り出す。



それでも、秋庭さんは歌い続けていた。
しっとりとした濃厚な歌声が酷く心地良い。そんな彼女の歌を生かしたい。その一心でアメイジング・グレースの伴奏を弾き始めれば、再び、会場がざわめき出した。
あれって、緑川小春じゃ......。そんな声があちらこちらから聞こえた。



「.......貴女.....」



秋庭さんも突然の伴奏に驚いたのだろう。歌の境目でこちらを振り向いたけれど、それも一瞬だった。彼女は気を取り直して再び前を向くや、迷いなく続きを歌い始める。秋庭さんのその奥深い表現に、千草さんの歌声が臆したように弱まっていった。


『ーーーー秋庭さん、少し時間を』


歌の境目で囁けば彼女との視線が合わさる。右の瞳だけそっと閉じてみせれば、途端に彼女の瞳が大きく見開かれた。元々は、コナン君や歩美ちゃん達と演奏する舞台のために編曲したバイオリンのアドリブフレーズ。結局、チャリティーコンサートでは披露出来なかったのだけれど、それがここで役に立つとは思わなかった。これで短くても30秒くらいは時間を稼げる筈だ。途中で山根さんの音が消えたのが分かった。


『.......次です』


「.........了解」



それから再び秋庭さんの歌声が響き渡る。堂本さんはそこで諦めたのだろう、自身のオリジナル曲を止めてアメイジング・グレースの伴奏をし始めた。このアメイジング・グレースにおける堂本さんの伴奏は、最下の鍵盤のみを用いた演奏仕様らしい。だからこそ、彼女はこの曲を歌ったのだろう。彼に続いて山根さんもセコンドとして上手く私の伴奏に合わせてくれる。流石、プロだった。秋庭さんが歌いながらステージ中央に降りると、スポットライトが彼女を神々しく照らし出した。



そろそろ、曲が終わる。



澄みきった美しい歌声が最後の音を刻んだ。残りは私達の後奏のため、堂本さんや山根さん達と合わせるように私もrit.をかけていったーーーーその時だった。突然、堂本さんが激しく鍵盤を連打させる。


『..........ま、さか....』



もしかすると、先程の私のアドリブに対するものだろうか。堂本さんも最後の最後にアドリブを入れてきたのだ。彼は、高音から低音......そして、それは最上の鍵盤へと指を運び出していた。












「ーー何故、爆発しない。今のアドリブでは、確かにあの音を弾いた筈だ。」



照明が落とされた応接室では、譜和が驚きを露わにしていた。対するコナンは笑みを浮かべると、爆発しないよと告げる。


「ーーここに来る前にね、渡されたんだ。オルガンのパイプに仕込んであったセンサーをね。」


「......渡された?誰に。」


コナンの頭の中には、パイプオルガンへと向かう途中ですれ違った青年を思い浮かべる。どこか工藤新一の姿を彷彿させるその姿と.....それから。


後は頼んだぜ、名探偵。









「世界一キザなコソ泥に、だよ。理由は分からないけれど、奴もここに来ていたんだ。」


コナンは苦笑するが、検討のつかない譜和は首を傾げた。



「だが、リモコンがまだある。これで私の好きな時に起動させられる。」



窓外のステージでは秋庭怜子が堂本達と握手を交わす中で、客席からは割れんばかりの拍手が溢れていた。


「せめてものはなむけに、お前の演奏中にあの世へ送ってやろう。お前が大好きなオルガンを演奏している最中にな。堂本一輝!」



譜和の隙をついて眠らせようとしたコナン。しかし彼の麻酔銃が壊れていることに気づけば、一転してこの危機的状況に汗を滴らせた。















「ーーさあ」


堂本さんに促されれば、秋庭さんと共に舞台袖に下がらざるを得なかった。ステージから見上げた先の応接室では、こちらを見下ろしている譜和さんとその隣にコナン君がいる。その緊迫した光景に後ろ髪を引かれながらも、事件の解決を遠くから願うことしかできなかった。


『............え?』



その時だ。その応接室の窓ガラスにトランプカードが突き刺さる。今にもスイッチを押そうとしていた譜和さんは、そのことに驚いたのだろう。呆けた彼に追い討ちをかけたのは、連続したリコーダーの音と一発の銃声だった。

top/main