君の名残りを
夢を見た。母さんが元気でまだ零さんを身近に感じることができていた頃。免許を取りたての彼にドライブに連れて行ってもらったことがあった。目的地は、東京から高速を使って約二時間弱の所にあるオルゴール博物館。其処は、以前から行ってみたいと思っていた所だった。
「ーーー着いたよ、小春ちゃん。」
助手席のドアを開けてもらい、手を取って支えてくれる彼に存分に甘やかされていた私はーーーさながら王子にエスコートをしてもらっているお姫様の気分だっただろう。普段は毎日背負っているランドセルも今日は自宅でお留守番。代わりに母さんから無断で拝借したネックレスとポーチを身につけて私は精一杯の背伸びをしていた。
『.....ねぇ、今日はずっと手を繋いでても良い?』
幼い私がそう言えば、彼はニッコリと笑ってその大きな掌で私の手を握ってくれる。彼と歩くこの道、彼が傍にいるだけでふわふわと心が暖かくて、子供ながらこれが幸せなんだな、と感じていた。
「ーーー小春ちゃん、このオルゴールなんてどうだい?」
彼が手にした白い卵型のオルゴール。宝石を模したキラキラの石がはめ込まれたそれは、とても綺麗だった。
『ーーーなんだか、零さんみたいだね。』
そう呟いたら、彼は大きく目を見開いていた。それから彼はニッコリと笑って、卵の蓋を開けてネジを回し始める。暫くして、耳に心地よいオルゴール音が辺りに鳴り響いた。
『........この曲、なんて曲?』
「これはねーーーーーーって曲だよ。小春ちゃんにぴったりだろ?」
俺にとってはこの曲は君そのものだよ、と彼は言う。
『ーーー?どういう意味、』
「あぁ、君にはまだ早いかもしれないけど、これはねーーーー」
君の成長が楽しみだな、と言って彼は私の頭をそっと撫でてくれた。
−−−−−
幼い頃に聴いたあのオルゴールの曲は、一体何という曲だっただろうか。とても素敵な曲だった。
「−−−−−小春?」
現実に引き戻された私は、隣に座っていた快斗君をみあげた。ゴールデンウィークのためか、親子連れが多い公園の中で、私達はベンチに座っている。昨日の事件が夢だったかのように、この場所は和かだった。
『ごめん、ぼうっとしてた。』
昨日の今日と、日を開けずに合流した私達。その理由は今日の夕方に会うことになっている安室さんへの対策のためだった。昨日の爆弾事件で有耶無耶になっていたのだけれど、私は"変装を解いて"舞台に立った。幸いにも安室さんに会うことはなかったが、彼があの場所にいたのならばっちり私を視認したことだろう。つまり、快斗君がせっかく誤魔化してくれた諸々が嘘だとバレてしまった可能性が高い。理由が理由なので、安室さんにそれを指摘されたところで正直に伝えれば良いのだけれど、快斗君はマジシャンだ。彼のテクニック(謂わばネタバレ)をどこまで話して良いものか、快斗君と口裏を合わせておこうと思ったのだ。
「あれ?小春お姉さん?」
公園の入り口から駆け寄ってきてくれたのは歩美ちゃんだ。よくよくそちらを見やれば、コナン君を始めとする少年探偵団が勢ぞろいしている。
隣の快斗君からゲッという、カエルが潰れたような声がした。
『昨日ぶりだね、みんな。』
「あー…小春ちゃん?俺この後ちょっと用事が−−−−−」
『え?』
快斗君の声が裏返っていた。それから彼が立ち上がったので、私も慌てて立ち上がる。結局、安室さん対策をまだ話せていなかった。
「もしかして、この方は小春さんの彼氏さんですか?」
光彦君だ。
「……へぇ。有名人がこんな白昼堂々と逢引だなんて、週刊誌の格好の的ね。」
『あ、哀ちゃん。誤解−−−』
服の裾を引っ張られる感覚に下を向けば、コナン君が首を傾げていた。
「それならこのお兄さんは誰?」
私は快斗君を見上げると、彼は深い溜息をついてから一転して不敵な笑みを浮かべる。スリーカウントの後に小さな発砲音が上がれば、快斗君の手にはお菓子の詰め合わせが入った透明な包み紙があらわれた。
「−−−−俺は黒羽快斗っていうんだ、よろしくな。」
歓声が上がった子供達一人一人に彼はそのお菓子を分け与えていく。そしてそれは私の掌にも置かれた。
『…私にも?』
快斗君は少しだけ罰が悪そうに頬を掻くと、私の方へと顔を近づけてくる。本当はお前用だった、と耳元で囁かれた。どうやら、私の昨日の様子に違和感をもったらしく彼は気を遣ってくれたらしい。
「お姉さんとお兄さんがイチャイチャしてる…」
頬を赤く染め上げた歩美ちゃんが目を爛々とさせていた。快斗君はそれを苦笑で受け止めると、しゃがみ込んで歩美ちゃんの頭をくしゃりと撫でる。
「実は俺もそうしたいところなんだけどさ。だけど、この姉ちゃんとは……ただの友達どまりなんだよなー」
それから悪戯気に彼は私を見上げた。この顔は私にもわかる。子供達を利用して私を揶揄おうとしている瞳だ。けれど、暫くして哀ちゃんとコナン君以外の少年探偵団が再び歓声をあげたからだろう、快斗君は酷く驚いた様子を見せた。
「姉ちゃん、他に友達いたんだな!」
「てっきり千秋さんと僕達以外に友達はいないと思ってましたから……。」
「良かったね、小春お姉さん!快斗お兄さん、これからも小春お姉さんと仲良くしてあげてね!!」
「え…あ、あぁ。」
快斗君は面食らった顔を一瞬示したが、再度私を見上げた頃には真剣な表情を取り繕っていた。
「……お前に青子を紹介しようか?」
『………そう、だね。』
思わず苦笑を零してしまった。
「−−−−−ところでさー?」
そう言って快斗君の袖を引いたのはコナン君だ。彼はじっ、と快斗君を見上げている。
「……なんだよ、ボウズ。」
「…僕とお兄さん、どこかで会ったことない?」
「さぁ?どうだろうな。俺は初対面だと思うけど?」
快斗君はそう言うと、私の腕を引く。私が訊ねる前に、彼は歩みを進めていた。
「っと、悪いな!俺達、ちょーっとこれから用事があるから−−−−−また今度な。」
『……え、快斗君?』
それから暫く移動して、二人で入り込んだ路地裏。そこでようやく立ち止まった私達。私が何かを告げようとしても、快斗君は人差し指を唇に当てて許そうとはしなかった。少し我慢してくれ、と彼は言う。
それから彼は先程コナン君に触れられた袖口を漁りはじめて直ぐに、目を開き、次いで苦笑を零した。袖から引き揚げた彼の指にはシンプルなシールが付いている。彼はそれを潰してから地面に放った。
「…それ、拾うなよ。」
『……え?』
「盗聴器と発信器だ。もう壊したけど、後であのボウズが回収しに来るはずだしな。」
『………え…ボウズってもしかしてコナン君?』
油断も隙もないとぼやく彼に首を傾げたが、返答を聞く前に少しだけ奥へと進み始める。彼に手を引かれた私も当然ながらそれに着いていくが、入り口から遠ざかり深くなる暗闇に私は彼を見上げた。
「大丈夫。少ーしお灸を据えるだけ。」
快斗君は私の背後を気にしながらも、私を安心させようとしてくれたのだろうか。背中に回された掌はゆっくりとさすられている。秀一さんとはまた異なるぬくもりに、少しだけ恥ずかしくなった。
『…快斗…くん?』
それからどのくらい時が過ぎただろうか。
突如として、快斗君は私の身体を静かに離してくれた。
「−−−−なぁ、小春ちゃん。チューしても良い?」
ふざけた言葉尻ながら、彼の瞳は真剣味を帯びている。暫く視線を彷徨わせた後に、頬なら…と告げれば、彼は笑い、"あいつには充分"だと告げてくれた。
彼の左手が私の腰に回り、右手は私の髪を掬って左耳にかけてくれる。
「……目、閉じれるか?」
頷く。快斗君が顔を近づけてきたため私はゆっくりと瞳を閉じた。一瞬の間の後にシュッと言う音がしたかと思えば、ぬくもりを頬に感じることもなく私の意識は遠ざかっていった。
−−−−−
意識を失った小春を横抱きにすると、快斗は路地裏を抜け出した。
「…小春さん?」
コナンの声が聞こえたため、背後を振り返れば瞳を大きく開いている小学生。その頬は酷く赤くなっていた。快斗は不敵な笑みを浮かべると、人差し指を自身の口にあてる。
「ーーーちょっと激しくし過ぎたみたいでさ、気を失ってるだけ。年頃の男女にこれ以上の質問は無粋だろ?」
「………っ」
快斗は笑みを浮かべると踝を返した。