開演の狼煙
ホテルに着くと、エレベーターで五階に上がる。五階建てだから、最上階だ。
自分のワンルームの部屋の鍵をあけようとしていると、中で電話の鳴る音が聞こえてきた。
急いで中へ入り、バイオリンケースをベッドに寝かせて、電話へと飛びついた。
『もしもし!』
受話器を取って、意気込んで言う。
〈やけに元気だな。〉
電話の相手はコンクールのため数ヶ月前に渡米した際に、通り魔に襲われそうになったところを助けてくれた人だった。それから米国で何度か顔を合わせると、こうやって連絡を取り合う仲となり、この日も丁度電話をくれることになっていた。
『お久しぶりです。もしかしたら切れちゃうかと思って。あ、それと……コンサート無事に終わりました。』
〈そうか。よく頑張ったな。〉
『……、はい。それで、今回は?』
〈実は観光も兼ねてな.....来週から行くことになった。〉
『観光?行くってもしかして.....こっちに?』
〈……あぁ、その間に君と会って話したいことがあるんだが。〉
『……ちょっと待ってね。』
スケジュール帳で空いてる日にちを確認し二週間後の土日の空きを見つけた。そこで、はたと気づく。レコーディングをもしするのなら、おそらくこの日辺りになるだろうから.......。日曜の午後だと確実か...。そう考えて結論づけると、彼に日時を伝えた。
〈了解。場所は追って連絡する。〉
『それじゃあ、来週の金曜の夜に自宅に連絡を貰えますか?』
〈あぁ、そうしよう。ちなみに君は携帯を持つ気はないのか?〉
『うーん......あったほうが便利だとは思うんだけど、叔母があまり良い顔をしなくて。』
〈そうか−−−−。〉
そう言うと彼は何やら考えこんでいる。それを問う間も無くもう片方で部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「――小春、もう寝たの?」
叔母の声だ。
〈小春?〉
『……ごめんなさい、叔母に呼ばれちゃった。』
〈そうか。金曜に連絡する。〉
『……はい。』
〈そんな顔をするな。またすぐ会えるさ。〉
フッと笑われ苦笑をこぼす。顔は見えないはずだけれど、彼にはお見通しらしい。
『そうですね…。それじゃあ、おやすみなさい。』
〈あぁ、おやすみ。〉
そして、電話は切られる。無機質な通話音を振り払って受話器を元に戻すと、急いでドアを開けた。案の定、叔母が立っている。その隣には文和さんもいた。
「寝てたの?」
『ちょっと疲れちゃって仮眠をしてました。―――もしかしてCDの?』
「そう!今話し合ったんだけどね、やっぱり―――」
『分かりました。CD録音の仕事、引き受けます。』
「「!!」」
『……その代わり土曜日にして貰えますか?日曜は練習をしたいので。』
文和さんに向かって言うと、彼は「連絡しておきます」と了承してくれた。
――…
コンサートも無事に終わった次の日。授業の後に家に帰るのが億劫だった私は、校内の音楽室でバイオリンの自主練をしたあと、帰り道に杯戸中央図書館に来ていた。一階二階は共に立体駐車場になっていて、三階以上が図書館・学習室フロアとなっている。私の場合、一度受験は終えていたため、高一までの内容はある程度理解していたが少しでも暇ができるとここで勉強しているのだ。
『……喉が渇いた。』
二時間ぶっ続けで一心不乱にシャープペンを動かしていたせいか、腕が痛い。机に散乱している物品をまとめて財布と一応盗難防止のためにバイオリンを持つと、自動販売機の所に向かった。
自動販売機がある廊下は殆ど人影がない。私はある程度の目星をつけて、小銭を取り出そうとした――その時。
「小春、何してるの?」
『っ!?』
突然声をかけられて、思わず心臓が止まりそうになった。振り返ると、同じ制服を着た、長身で切れ長の瞳を持つ女の子、青柳千秋がいた。私と同様、バイオリンのハードケースを持っている。
彼女は、同じ中三の女の子でバイオリニストだ。天才少女というわけではないがコンクールに入選するくらいの腕前を持っている。私と同門だった。
貴重な友人でもある。サバサバしていて、妙なライバル意識など持っていないので、付き合いが楽だった。
『なんだ、千秋か…脅かさないでよ。』
「別に脅かしたつもりはないんだけど。あれ?あの美形マネージャーは?」
『彼といつも一緒ってわけじゃないよ。……で、千秋こそこんなところでどうしたの?レッスンは?』
「……今日は休み。」
『なんで?』
「――――あたし、バイオリンやめようと思う。」
思わず耳を疑った。
『……千秋、今―――やめるっていった?』
「うん。」
『どうして?』
「別にすっかりやめるって意味じゃない。でも、小春みたいにソロでやってけるほどの才能もないし、それに、気のあった仲間と室内楽やったり、趣味で弾くくらいなら楽しいと思うから。」
『そう……』
「……コンクール目指して、必死で頑張るのに疲れたんだよ。このまま無理してやってもバイオリンが嫌いになると思うし。」
千秋の言いたいことはよく分かる。私自身、せっかく相当のところまで弾けていながら、ある日突然バイオリンを弾くこと自体を放り出してしまう子を何人も見てきた。そうなる前に、プロを目指すことをやめようという千秋の気持ちは痛いほど分かる。実際、本来の私もバイオリンを趣味として選んだのだから。
『そうかもね。けど、高校は?千秋も私と同じ高校決まっていたよね。バイオリンをやめるってことは……』
「他の高校を受験することにしたんだ。推薦じゃなく自分の力で、自分が入りたい高校に挑戦してみたい。」
『そう、なんだ……もう決めたの?』
「うん、帝丹高校。」
私立の高校だ。偏差値も高い一方で、部活にも力を入れていると聞く。課外活動にも理解がある高校らしい。
『そっか......』
「うん。……けど、問題は母親。」
千秋は苦笑した。
「ショックで気絶するかもしれない。」
『…………確かにね。』
「んで、結局小春はこんなところで何してるの?高校、決まったんでしょ?」
この話しは終わりと言うかのように、千秋は首を傾ける。私は千秋から一旦目を放して、自販機を見やった。
『……。空いた時間はここで勉強をね。家でできれば良いんだけれど、叔母はどちらかというと勉強より練習って感じで。私はできれば両立したいと思うから。』
「そっか.....将来は医学部、目指すんだっけ。」
『ーーうん、一応、ね。叔母には秘密。勿論、父親の跡を継ぎたいわけでは断じてないんだけど。』
「..........そっか。」
まぁ、お互い苦労してるね、と千秋は苦笑していた。そんな彼女を横目で見ながら、小銭を入れて紅茶のボタンを押す。ガタガタと音がしたため、紅茶を取ろうと受け口を覗き込んだ。
そこでハタと止まる。
ーー受け口の左側の底に、カウントダウンを進めている箱型の機器が設置されているのだ。
それが本物か偽物かは分からないけれど、残り15分を切っているそれを見てしまえば、身体が震えた。
『........千秋、携帯持ってるっけ?』
「え......あー、サボりがバレた時のために家に置いてきちゃった。でも、なんで?」
受け口を指す。
千秋が覗きこむと、顔を青ざめさせた。これって爆弾?と彼女は呟く。
「誰かの悪戯なんじゃ.......」
『悪戯だとしても、急いで警察に連絡しないと!それにスタッフの人に伝えて避難も!!』
「でも、残り14分じゃ....間に合いっこないよ!!本物なら私達もすぐに逃げないと!!」
『...でも!それじゃ!!』
本物だった場合、図書館にいる人はどうなるの?
犠牲者が出てしまうのが目に見えている。
「お嬢さん達、どうかしましたか?」
−−−−とても懐かしい声が聞こえた。