震えたキオク
「お嬢さん達、どうかしましたか?」
穏やかな声が聞こえて振り返る。そこにいたのは、母さんが亡くなり、世界が一転してから初めて会った彼だった。
『−−−−っ!』
零さん.......。口はその名を形作ったものの、それは吐息が溢れるばかりで言葉にならなかった。
そんな私の様子を訝しげに彼は見るものの、思考がうまく働かないこの状態ではどうすることもできない。
「た、助けてください。本物かどうかは分からないけど、自販機に爆弾が!」
「ーーーっ!?なんだって!?」
彼は私達を退かせると、膝を折って自販機の中を確認する。暫くして険しい表情が変わらない様子を見てしまえば、やはり本物なのだろうかと不安が走った。彼は懐からスマホを取り出すと、何処かに電話をかけ出す。警察に連絡を取ってくれているのだろうか。
「......君達の中で、ハサミか何か切れるものを持っていたりしないですか?ソーイングセットでもなんでも良い。」
電話を終えた彼の言葉に私は首を横に降る。ただでさえバイオリンケースを持ち歩いてるのだ、鞄には勉強道具と必要最低限のものしか入れていなかった。
けれど、千秋はあっと....小さく声を上げると学生鞄から小さな小箱を取り出す。開くと正しくそれはソーイングセットで、千秋は彼にハサミを手渡した。
"〜♪"
聞き慣れた館内放送が流れる。
機械の一時的不調のため、図書館の出入り口が施錠されてしまったらしい。復旧には約一時間かかること、不便をかけた謝罪等が放送された。
それを聞いた私と千秋は、思わず顔を見合わせる。お互いがお互い、色を失っていた。
彼はフッと笑いながら再び自販機の受け口まで身体を屈めると、手慣れた様子で爆弾のモニターを外していた。
『......もし...かして、ここで....貴方が解体....するんですか?』
とてもじゃないが正気の沙汰とは思えなかった。
「ーーーーどうやら警察を待っている余裕はないようですしね。」
中の導線を取り出すと、彼はスマホのライトで照らす。
『...........っ、』
左手でライトを持ち、右腕で受け口を押さえながらの作業はやりにくそうだ。そう思ったら身体が勝手に動いていた。
『ーーー手伝います。貴方は作業に集中してください。』
彼の隣に座ると、スマホのライトと自販機の受け口を押さえる役を買って出る。
彼は一瞬動作を止めてから、後ろを振り返り千秋に声をかけた。
「ーーー君はスタッフや利用客がこちらのエリアに来ないようにして欲しいんだが、できそうかい?解体中に騒がれるのは、少し避けたいんだ。」
彼の言葉を理解した千秋は、コクリと頷くと閲覧エリアへと走っていった。
「ーーーさて、ライトをもう少し左側にずらして貰えますか?」
『....はい』
パチンと導線が切れる音がする度に、心臓が跳ねる。手に汗が滲もうが、それでもライトの明かりが揺れないように精一杯両手で支えた。
「.......怖いかい?」
パチン、パチンと小気味良い音の間に聞こえた声に、彼の横顔を見遣る。解体に集中しているためか視線が合うことはなかったものの、それは明らかに私に向けて発した言葉だった。
『怖いです。......こんな経験、初めてですし。』
「それもそうだね。それじゃ、君のプロとしての初舞台とどっちが怖かったかな....?今をときめく天才バイオリン少女とは、緑川さん.......君のことだろ?」
ーーーパチン。ハサミの音と同時に肩が跳ねた。
『ーーー私のこと、ご存知だったんですね。』
「これでも探偵だからね。情報収集は基本的に得意なんだ。」
『探偵?........え、ドクターじゃないの?』
私の言葉に彼は一瞬だけ動きを止めて、すぐに作業を再開させる。
「どうしてそう思ったんだい?」
『ーーごめんなさい。私の知り合いに貴方が似ていたものだから。』
「.......それは、先程君が呟いていた"零さん"って方ですか?」
思わず下を向いてしまう。どうやら気づかれていたらしい。
『.........はい、降谷零先生という方です。私と私の母を助けようとしてくれた.......恩人です。』
隣からは一瞬視線を感じたけれど、顔を上げることができなかった。
「.............。僕は安室透。医師免許は残念ながら持ってないな。」
『ーーー安室....さん.....あ、そうですよね。やっぱり人違いでした、すみません。』
「いえいえ、気にしないで下さい。でも、そうだな.....。それ程僕に似ている人なら是非一度会ってみたいですね。」
彼の言葉にハッとする。この世界ではまだ零さんに会ったことはないし、父が経営し母が入院していた緑川病院は存在しない。降谷零さんという人物は、存在しているのだろうか。
『ーーーっ、すみ、ません。今、彼がどこで何をしているのか、私にも分からないんです。』
「それは残念。でしたら、緑川さん。後日僕と食事でもいかがですか?彼の話しだけでも聞いてみたい。」
『......え、後日?』
私は少し戸惑いながら爆弾とそれを解体する安室さんの顔を行き来させる。彼は私の不安気な表情に察したのだろう、あぁ、と頷いた。
「−−−−勿論、この爆弾の解体を成功させた後でね。」
パチンと鳴った音を最後に、カウントダウンが止んだ。時間は丁度三分を切ったところを指しており、私は恐る恐る彼を伺った。爆弾は、無事に解除できたのだろうか?安室さんは左眼を器用に閉じると、ハサミを持っていない左手で私の頭を優しく撫でてくれた。
「−−−−大丈夫。君の未来はこんな所で奪わせないよ。」
手伝ってくれてありがとうございました、とそう言って微笑む安室さんは、やっぱり私の知る零さんの顔だった。