真夜中の宴

―――――…

私が、暫く滞在することになったこのハートの海賊団は…どうやらお酒好きのようだった。


この船に来てから三日、私も船員も互いに慣れ始めてきた頃、宴会部長?らしいシャチから"今から宴を開くからお前も強制参加な。後で食堂に来いよ。"と告げられてしまった。


『え、えっと…』

呼び止める間もなく、彼は部屋を出ていってしまった。

食堂…。これまでの三日間は、ローさんによる診察やら安静のためやらで、食事はあの部屋でとっていた。そのため、実はまだ食堂には行ったことがない。


『−−−−うーん?』


とりあえずは、とメモ紙とペンを持って部屋から出ることにした。
ドアを開ける直前。


『………飲み会か。』


ベポが飾ってくれたベッド脇の造花をちらりと見遣る。暫く頭の中で考えてから、花を一本取り出して廊下に出た。



そして、部屋を出て左右を見渡す。
……さて、食堂はどっちだろう?


その時に、肩を数回叩かれたため振り返る。そこには、PENGUINと書かれた帽子を被っている男の人がいた。
口を動かして何やら話しかけてくれていたため、私はメモ紙にペンを走らせると彼に見せた。

"食堂はどちらですか?シャチに飲み会に誘われたんだけど、まだ行ったことがなくて。分からないの。"


そのメモを見た彼は、軽く呆れたように息をはくと、私からメモ紙とペンを受け取ってくれた。


"シャチがすまない。……おれも今から行くところだから一緒に行こう。"


私は頷くと、彼に感謝を示した。


"……礼はいい。それより、口で話さなくて良いのか?また船長から睨まれるぞ。"


彼はそう書き付けると、少し悪戯気に自分の口を指して微笑む。私は軽く肩を竦めると、口を開いた。


『癖って…なかなか抜けないみたい。えーっと、私はナツミ。これから少しの間、お世話になります。』

私はお辞儀をすると、彼は一言書いたメモ紙を私に見せた。


"おれはペンギン、こちらこそよろしく。"






――――――…

食堂で突っ立っていると、隣にいたペンギンさんがスッと通り抜けて行き、中央のテーブルでベポと話していたシャチを叩いていた。それから、ペンギンさんとシャチは幾つか言葉を交わすと、シャチが急いで私の方に向かってくる。


私のメモ紙とペンを奪うと、手早く文字を書き綴っていた。


"悪い、ナツミ!そういえばお前、まだ食堂に来たことがなかったな。"


私はゆっくりと頷いた。それから、シャチの隣にいるバンダナを付けた彼を見遣る。それに気づいたシャチは、ペンを走らせた。


"こいつはイルカ。おれ達の仲間だよ。"


イルカさんと軽く挨拶した後、ベポに連れられて席に座らされる。向かい側にはシャチとベポが陣取り、シャチの向かい側には、つまり私の左隣にはペンギンさんとイルカさんが座った。……が、私の右隣が空席だ。



首を傾けていると、いつの間にかみんなの視線が私の後ろに向けられている。



私も後ろを振り返ろうとした、その時、まるで振り向くなと言わんばかりに顔の両脇を固定された。そして、両耳に馴染みある感触。ついつい両手を耳元に持っていくと、思った通りの固い感触。私の耳かけ式の補聴器だった。


「………どうだ。」


低く落ち着いた声色。初めて聴いた声に驚いて今度こそ振り向くと、すぐ傍にローさんの端整な顔があった。どうやら耳元で話しかけてくれたのは彼、らしい。


『……よく、聴こえます。前よりも、ずっと、?』


「少し…改良した。耳元で話せば、筆談も、ほぼ必要ないくらいに、な。」


そう耳元でゆっくり話して、ニヒルに笑う彼。


「一々、面倒だっただろ。お前の耳は、まだ機能してるんだ。うまく使え…。」


驚いて、彼を見つめる。私は嬉しくなり、お礼を、自分の口で自然と伝えられた。


「さて。腹が減ったな……。酒と飯にするか。」


ローさんは、自分の席らしい…私の右隣に座る。以前の補聴器だったら、このこぶし三個分の距離でさえ相手の唇を読み取らなければ分からなかったが……今ではほとんど聞き取れているようだった。
それが、すごく嬉しい。

彼の合図と共に、海賊の宴会が始まった。





「……ナツミは、結構、イケる口か?」


左隣のペンギンさんは、なるべくゆっくりと話しかけてくれる。オマケに、酒を飲むジェスチャー付きだった。

『…んー、多分イケると思うんだけど。』

「……多分?」

『……最近、ずっと飲んでなかったから。』

「…じゃあ………ろよ!」


向かい側にいるシャチにグラスを寄越される。完璧な聞き取りはできなかったけれど、多分、これを飲んでみろよ、って言ったのだろう。


ちらりと隣にいるローさんを見遣ると、右肘をついてこちらを凝視していた。彼のグラスに注いだビールは既に五回程空けられていた。なのに、全然顔色が変わらない。


『……ローさんは、お酒強いの?』


尋ねると、彼はピクリと片眉を動かす。暫く考えるそぶりを見せてから、口を開いた。


「…まぁ、弱くはないな。」


ゆっくりと話す彼は、成る程まだまだいけそうだ。向かい側にいるシャチなんかは、すでに赤くて出来上がっている様子なのに。


「………ナツミ、無理しなくても良いんだぞ。」


ペンギンさんの言葉に大丈夫と微笑むと、私は、意を決してシャチが寄越したグラスをクイっと飲み干す。口の中に広がる味は、カシオレに近いものだった。久しぶりに摂取したアルコールに、身体中の血管が拡がっていくような感覚。暑い。………つまりは、火照っている状態だった。


「……ナツミ……大……夫?」


「………うわ、ナツミの………赤…………弱い………?」





私の顔を見るなり、ベポとペンギンさんが目を見開き驚いていた。シャチなんかは、チラチラと視線を私とその隣を行ったり来たりさせている。


『ん、大丈夫。私、顔に出やすいの。……もう一杯、同じものをいただける?』


私がシャチにそう頼むと、彼は気を取り直したように注いでくれた。……なんだか、大学一年の時の新歓を思い出すなぁ。まだあの時は、自分の身体で悩むことになるなんて知らなくて……純粋に、周りと楽しんで飲んでいた。


突如として、シャチが椅子の上に立ち上がる。どうやら何か出し物をしようとしているらしい。
長い紐を取り出して、こぶしをつくった左手に乗せて−−右手でそれを被う。
…………これは、もしかしてマジックをしようとしているのだろうか。


「………くぜ。……ン、ツー……リー。……………あれ?」


しかし、どうやら不発だったようだ。船員達はシャチを指して爆笑していたため、つられて私も少しだけ笑ってしまった。


「ナツミまで………せっか………したのに……」


口を尖らせる彼に軽く謝ると、机に落ちた紐を手を伸ばして掴んだ。

「………ナツミ?」


ペンギンさんが訝しい気に見てきたため、私は右手で人差し指を立てて静かに、と促す。


『ここに置いてくれるお礼として一つだけ…』

私は、握りしめた左手の中に紐を入れていく。そして更にギュッと握りしめた。


『……ワン…』


左手を右手の人差し指で軽く叩く。

『……ツー』


再度、右手の人差し指で軽く叩いてから、スリーと呟く。ポンという音と共に、長い紐は造花へと様変わりしていた。


「「「おお!」」」


皆が驚いている声が微かに聞こえた。ニッと微笑むと、左隣にいるローさんにその花を差し出す。彼は、じっと成り行きを見守るに徹しているようだった。


『……代表して船長さんに。暫くの間、よろしくお願いします。』

そう言うと、ローさんはその花を黙って受け取ってくれた。そして、私の耳元に口を寄せてくる。


「この造花…。部屋にあったヤツだろ。右袖に仕込んでやがったな。」


『………あ。』


ばれていたようだ。私もまだまだだなぁと軽く肩を落とす。


『これでも、結構練習したのになぁ。』

「いや、十分だ。おれは分からなかった。……誰かに教わったのか?」

ペンギンさんのフォローにお礼を言い、言葉を続ける。


『……うん、一応ね。でも、私には才能がないのかも。』


それでもローさん以外の人達には楽しんで貰えたようだ。ベポはキラキラとした目で見てくれるし、今日初めて話したイルカさんも褒めてくれたりした。



その様子を見ていたシャチは一人悔しそうにしていたが、もうやけくそだとでも言うようにウイスキーが丸々入ったジョッキを一気に飲み干してしまう。ペースと良い、度数と良い大丈夫だろうか?という心配はやはり的中した。


「………馬鹿だな。」


隣から聞こえた言葉に振り向くと、ローさんが呆れたようにシャチを見ている。


「シャチは下戸だからな。」


反対隣のペンギンさんも額に手を当てて、溜息をついている様子だった。それから、ペンギンさんは立ち上がってキッチンへと向かって行く。首を傾けていると、限界だったのかシャチがバタンと倒れてしまった。


『...........え?』


ペンギンさんとベポを中心にシャチの介抱が始まったため私も手伝おうとしたのだけれど、ローさんに止められてしまった。いつものことだ、と。でも…と退かない私を見越してか、彼は諭すように言葉を発した。



「....みっともなく潰れたところなんざ、女にはあまり見せたくないものだろ?」


よく分からないが、プライドというものだろうか。私はどこか腑に落ちないような感じがしたが、それを無理矢理押し込めて、目の前のグラスを煽る。ある程度落ち着いてきたシャチを、ベポとペンギンさんが端から支えるようにして部屋まで運んでいってくれたようだった。




「………ィ、の……すぎ………いか?」



まだ二杯目だったが、なんだか身体がフワフワしていて良い気分だった。ローさんの、落ち着いた声もとても心地好い。
もう少し彼の声を聴いていたいのに、なんだか頭が働かなくて最後まで聞き取れないのが残念だった。どうしてだろう、ちゃんとさっきまでは十分に聞き取れていたのに。


もっともっと聞きたい。聴いていたい。そういった感情が優先されて、ふいに彼に近づきたくなった。ゆっくりと頭を傾けると、彼の肩にうまくぶつかった。


『……ローさん。』


ローさんを悪戯に見上げてみる。彼はほんの一瞬息をつめた後、大きな溜息をはきだしていた。






彼が私の耳元へと近づきつつあるのを感じて、私はじっとする。ローさんは、少しだけ私の頭を支えると唇を寄せた。


「……お前も飲み過ぎだ。」


ローさんのあたたかな吐息が耳に直接触れたため、くすぐったかった。ようやく聞き取れた彼の声に安堵して口元が緩んでしまう。少しずつ重くなってきた瞼に抗うことなく、そっと瞳を閉じた。
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