桜色の過去
桃色に染め上げた木々が風でざわめき、ひらひらと花びらが舞う。
『もう、八年前か…』
明日は並盛公園で花見だ。
女組は料理を作ることになっているらしく、明日のために僕は早めに就寝することにした。
―――――――…
〜ヒカリ五才〜
夕飯時。
『ごちそうさま…』
僕はスプーンを置くと立ち上がった。食事は一口ずつしか食べていない。とにかく食欲が湧かなかった。五年…君のいない世界は僕にとってなんの価値もないように思われた。世界が色あせていて、僕は大嫌いだった。
「あらあら、ヒカリちゃん、もう大丈夫なの?」
「あ…ヒカリまって…ぼくもうちょっと…」
『…………』
奈々さんが心配そうに僕の顔を覗きこみ、ツナは焦りながらご飯を口の中へと放り込んでいた。
「なんだ?ヒカリ、ダイエットか?ヒカリはもうちょっと太った方がパパ的には好みだぞ。こっちに来い。食べられないのならパパが食べさせてあげよう。
ツナもそんな急いで食べたら喉に詰まるぞー。」
家光さんが僕に手招きをしながら膝をポンポンと叩いている。
『…………』
それを僕は無視して二階へと向かった。背後ではゴホゴホとむせ返るツナの声とツナを案じる奈々さんの声が聞こえる。………ここは、僕の居場所じゃない。
ツナと僕の部屋に入った途端、そう強く感じて視界が滲んだ。クシャリと顔を歪ませると喉がつーんと痛くなり、目頭が熱くなった。
あ、泣く。
次の瞬間、僕の瞳からは温かい雫が流れ落ちた。それと同時にしゃがみこむ。僕の意に反して出てくるたどたどしい言葉、縮んでしまった体、指に合わない指輪、知らない場所、知らない家族、君のそばにいない僕…それら全てが気に入らなくて、誰も僕を理解してくれないのが悔しくて。
『い…つまでぼくは――』
"ここにいるの?"
そう思ったら、涙が次々と溢れて止められなかった。いつまで僕はそうしていたんだろう。気がついたら、僕は自分のベッドに横になっていた。かけ布団もきちんと僕の上に乗っていることから、たぶん奈々さんか家光さんが僕を運んでくれたんだろうと推測する。
『あれ…?』
ふと、右手に違和感を感じた僕はゆっくりとその方向に顔を動かす。そこには、ツナが当たり前のように僕の隣に寝ていて、僕の手は彼の手によって握りしめられていた。……なんとも言えない気持ちだ。僕はそっと起き上がると、繋がっている指を外して、静かに部屋を出た。
ギシリ、ギシリ。
音を立てないように気をつけているはずなのに、一歩を踏み出す度に階段が鳴る。なんだか、それが妙に心に響いて嫌だった。
一階に降りた所で、明かりのついた台所を不審に思ってそっと近づいてみる。二つの影が見えて、それが奈々さんと家光さんのものであることに気づいた。咄嗟に一歩後ずさる。
〔弁当か?奈々も張り切ってるな!お、ヒカリが好きなクッキーもあるのか。〕
〔ふふふ。だって、明日は皆でお花見よ。美味しいお弁当とお菓子で楽しまなくちゃ。……。それに最近、あの子食欲がないみたいだから、明日こそモリモリ食べてもらいましょ!〕
〔奈々…〕
〔…………あの子が私達に何かを隠しているのは、なんとなく気づいているの。でもね、私にはこんなことしかできないけど、あの子の支えになりたいのよ。だって…あの子の母親ですもの。〕
〔………そうだな。〕
僕はそっと家を出た。少し肌寒いけど、これくらいなら平気だ。空を見上げると、そこは満天の星空で、ピカピカと輝く光たちは泣きたくなるくらい綺麗だった。
『この空、ツカサちゃんのとこまで繋がってるのかな。』
ツカサちゃんもこの星を眺めているかもしれないと考えたら、ちょっとだけ心が軽くなった。
公園に差し掛かれば、桜の花びらが風で舞う中で僕はブランコに座ると、キコーキコーとゆっくり漕ぎはじめた。
『おいガキがこんな所で何やってる。家出か?』
いきなり声をかけられて、僕は足でブランコを止めた。目の前には、クリーム色の髪を携えた女性。キリリと意志の強そうな瞳に眼鏡をかけているためか、顔立ちは整っているもののどこか生真面目そうな印象を受ける。彼女はどこか呆れたように僕を見下ろしていた。
『……………』
『おーい、無視ですかー?』
なんだか腹ただしくなったから、ブランコから降りて、お姉さんの隣に立った。
『しらないひととしゃべっちゃダメって、まえにいわれた。』
『……。ふーん。おれ、、、、じゃなく、私はオレガノよ。貴女のパパとはちょっとした知り合い。貴女とも前に一度会っているんだけど?』
『うそ。』
『嘘じゃない。9、、、、おじーちゃんと一緒に貴女達に会いに行ったわ。もっとも、貴女の片割れと違い、ずっと貴女は部屋の隅でぐずってたみたいだったけど。』
『..............』
『んで、ヒカリちゃんが何でここに?真夜中徘徊は危険だって教わらなかったの?つーか、あの人はガキほっぽって何してんだか…』
僕はポリポリと髪をかく彼女の肩に桜の花びらが一つ付いたのをしばらく眺めてから、ポツリと呟いた。
ただ、簡単に、簡潔に、一言で。
『…………おうちにいたくなかったから。』
僕の言葉をオレガノはどう受け止めただろう。ゆっくりと彼女は瞳を閉じてため息をはいた。
『……。よし、可愛い可愛いヒカリちゃんのため、今回は特別に家まで送ってあげる。さ、行きましょ。』
『ねーねー、ぼくのはなしきいてた?』
僕を抱っこしながら、ヨシヨシと頭を撫でてくる。どうやら、僕の質問に答える気はないらしい。でもなんだか少し懐かしい感じがした。
『…にしても、ヒカリちゃん軽すぎじゃない?もう少し食事をとったら?』
『…………』
僕が黙っているのを、オレガノは横目で見るとハーッとため息をはいた。
『……。親を最も苦しませたい時、どうすればいいか知ってる?』
彼女の言葉を少し反芻してから、ゆっくりと口を開く。
『そのこどもがしぬ、こと。じさつでも、たさつでも、びょうしでも、じこでもね。』
『……。おいおい。ヒカリちゃんは随分と物騒なこと考えるのね…。ま、それも正解っちゃ正解だけど…事はもっと簡単。』
『………なに?』
オレガノはどこか自嘲したような笑みを浮かべると、いつの間にか沢田家の近くの角まで来ていたらしくそこで僕を降ろしてくれた。すぐ近くで奈々さんが僕を捜している声がする。彼女は、もう行け、と言うように頭をポンポンと叩いた。僕はそれに後押しされるように奈々さんの所に向かう。
「ヒカリちゃん!!」
奈々さんが僕を見つけた途端、僕はギュッと抱きしめられた。ふわりとどこか安心できる香りが鼻腔をくすぐる。
「無事で本当に良かった。」
どうしてかな。なんだか無性に罪悪感が湧いた。それと同時に沸き起こるもう一つの想い。この人も、お腹を痛めて産んでくれた僕の母親なんだと思い知らされた気がした。
『しんぱいかけて、ごめんね………奈々ママ。』
僕の言葉に、奈々さんはビクリと肩を揺らし、僕をマジマジと見る。奈々さんの目尻には少し涙が浮かんでいるのがわかった。そして、そのまま柔らかい笑顔を僕に向けてくれる。
「おかえりなさい…ヒカリちゃん。」
―――…
「……。今回は世話になったな、オレガノ。」
『私は何もしてないです。』
「いや、奈々は何にも言わなかったが、瑩から母親として見られていないことに結構堪えていたんだ。」
『……。それは貴方も、でしょ。』
「………まぁな。」
『ちょっと捻くれてるかもしれませんけど、とても良い子ですよ。』
「............当たり前だ、俺たちの愛娘だからな。」
そうして家光は苦笑をこぼした。
――――――――…
『晴れて良かったね!お、ツナたちだ。良い場所確保してんじゃん。』
僕は、ビアンキたちとお弁当を持ちながらツナたちに駆け寄る。どこかくたびれた様子のツナに僕は首を傾けた。桜が満開なこの公園は小さい頃からの僕のお気に入りだ。
「おーっ、ヒカリちゅわーんに、ビアンキちゅわーんじゃねぇかぁ、おじさんと…」
リボーンが呼んだらしく、お酒に酔ったシャマルはビアンキに撃退されていた。それを見て、僕はアハハと笑う。
あれから八年…
お馴染みのメンバーや、奈々ママを見ながら、僕は瞳を閉じた。
心地好い日差しと桜色の気持ち。僕は隣にいるツナを見た。
「どうかした、ヒカリ?」
『ううん、なんでもない。』
あの時、奈々さんを母親、家光さんを父親と改めて認識し直して呼び方まで変えた。
けど、ツナだけはツナのまま、何も変わっていない。僕は弱いからまだ勇気が足りなくて、ツナを兄と認められないでいた。
『……ごめんね、ツナ。』
「え、本当に何!?」
『……ツナが今食べているのり巻き、わさび二倍入れちゃった。』
「!!…辛ーっ!!水、水ーっ!!」
大丈夫ですか、十代目!?と隼人がツナを案じる声とアハハと笑う武の声が湧く。僕はリボーンとハイタッチを交わした。
ごめんね、ツナ。
もうちょっとだけ待って。
ツナを兄と呼べるように、僕も強くなるから。
風が吹き、桜の木々がざわめく。僕の手の平に桜の花びらが一つ、ちょこんと乗っかった。