造られたぬくもり
―――――――…





「ヒカリー、勉強終わったー?手首、痛くないー?」


目をゴシゴシしながら、兄貴は僕の部屋にやってきた。もちろん明日の宿題も予習も完璧に終わっているし、包帯もきっちり巻かれた僕の手首は完全防備。骨が折れてるわけではないので下手に動かさない限り痛くはない。僕はコクりと頷いた。僕も兄貴もパジャマ姿。あとは寝るだけ。


「じゃあじゃあ、一緒に寝よー」

『いいよー。』


僕達は寄り添うように、ベッドに潜り込む。兄貴は僕の右手首を気遣いながらギュウっと抱きしめてくれた。


「ごめんねヒカリ、俺、自分の練習試合に夢中でヒカリが怪我するまえに気づけなかったCー…」


しょんぼりとしている兄貴に目を見開いた。そんなの兄貴が謝る必要なんかない。僕の不注意でこうなったんだから。そもそもアレはほんの一瞬の出来事。兄貴が気づけた所で防げたかというと、たぶん否だ。そのことを伝えると、兄貴はさらに腕に力をこめた。



「そうだとしてもだCー。俺はヒカリに怪我させたくなかった。」



『テニスしてるんだもん、このくらいの怪我は仕方ないよ。』



「……俺にとったら仕方なくなんかないのッ!」




『―――ジロ兄、ジロ兄にとってそんなに僕は大切?大切だとするならどうして?どうして僕を大切にしてくれるの?家族だから?』



突然口をついて出てきた言葉。どうしてこんなことを聞いたのか自分でもよくわからない。でもなんとなく疑問だった。兄貴の無償の優しさが。見返りを求めない真っすぐな気持ちが。



「当然、ヒカリは俺の大切で大好きな女の子だC。もちろん家族だからってのもあるけど……うーん――――ねね、ヒカリ、どーして兄貴が先に産まれるか知ってる?」



兄貴の疑問返しだ。


『うー…先に産まれたから兄貴になるんじゃないの?』


「もっと根本的なものだCー。そもそも昔は後から産まれた子供を兄や姉とする時代もあったんだよ?これも同じ理由らしいけど。」

僕は兄貴の言葉に数分間考えたけど、答えが見つからなかった。だからゆったりと首を横に振る。


「俺は知ってる。漫画で言ってたんだ。それを読んでね、俺、スゲーって思ったC!」


『…………』


「それはね、とっても単純で大事なことだった。兄が先に産まれる理由はね、後から産まれてくる妹や弟を護るためなんだって!」


『護るため…』


「そそっ!だからね、ヒカリ、それは当然なんだ。俺がヒカリを大切にするのは。跡部もツカサを大事にしてるっしょ?兄貴は妹を護る、これは当たり前。理屈じゃないんだCー。当たり前なんだから理由なんていらない。」

僕の落ち着ける甘い香りと温かい体温に守られて、僕は気持ちが穏やかになっていく。大きな安心感から、瞼がどんどん重くなっていくのが分かった。


『と、うぜん…なん…だ。』



「うんうん。当ー然っ。
…ヒカリ、眠そー。そろそろオヤスミしよっか。」



『うん…ジロ兄…好き…ありがと………オヤスミ。』



「俺も好き。オヤ…スミ…………ZZZ」



ずっと、ずっと、この大きな優しさに包まれていたい。そう強く思った。








―――――――――――…



『今日、お前部活休みな。兄貴には言っておいたから。』


『え。……。えぇぇぇぇ!?』


『反応遅。』



今日は朝練がなかったから、ラケットを握れるのは放課後の部活のみ。手…はまだ怪我しているけれど、少しくらいならたぶん平気。ツカサちゃんとのテニスは楽しくて楽しくて仕方ないから、今日の部活も楽しみにしていた。


なのに。無情にも告げられたツカサちゃんの言葉。それを聴いた僕はガックリと肩を落とした。


『んな気ー落とすなって。今日は俺も休んだし。ま、俺の場合は無断だけどな。つーわけだ。とにかく早く怪我治せ。』


『え?で、でも、そしたらツカサちゃんが跡部に怒られちゃうよ?』


『あー…まぁ。グランド三十周は確実だろうな。けど、お前がいない部活なんてつまんねーし。どうせ俺が行った所で、お前無理して部活来るんだろ。』


"?"ではなく断定。図星だった僕は思わずうぐっと声が出た。やっぱりツカサちゃんには敵わない。


『じゃあ、放課後暇だし…ショッピングでも行くか?』


ツカサちゃんのニヤリと笑った言葉に、僕は勢いよく首を縦に振った。








某有名高級ブランド店

僕達は店内の服やアクセを物色して回った。梅雨入り前のこの季節、どの店舗も夏に向けた服や小物を売り出し中のようだ。





『……?』


『ん?どうしたヒカリ。』


『んー。僕の気のせいみたい。』


首筋辺りがジクジクする感覚。
なんだか誰かに見られているような変な感じがして咄嗟に後ろを振り向くも、特に怪しいものはなく僕は首を傾けた。








―――…








僕とツカサちゃんは両手一杯に紙袋を持つ(もちろん僕は片手だけ。怪我に障ると言って、ツカサちゃんが僕の荷物を持ってくれていた)と、少しの間休憩スポットで一休みすることになった。周りには僕達しかいないようで、ベンチを悠々と占領する。



『悪い。トイレ行ってくる。』


『行ってらっしゃーい。』



僕はニコリと笑いながらツカサちゃんを見送った。白壁でコ状に包まれたこの空間にある四つのベンチのうち、背面が壁と接しているベンチの一つにドカリと座る。ハーっと溜息をつくと首筋をスリスリ摩った。



『あの夢を見てから、僕、人の視線に敏感になった気がする。』




あの夢、というのはもちろんリボーンの世界で生活したという摩訶不思議な夢のこと。僕はもう一度溜息をついた。先程から視線を感じてならない。ただのファンや羨望の眼差しだったら、まだマシなんだろうけど…そうじゃない。
殺気、とまではいかないけれども、どこかネットリとした明らかに悪意を持った視線。特にここ十分前後は酷いものだった。










ビュン







『……。』








僕の顔面ギリギリ。少しでも動いたものなら顔に傷を負っていたであろう距離に一本のナイフが壁にガツンと刺さった。








『……。マジで?』








カッコイイ兄貴、カッコイイテニス部男子レギュラー、跡部財閥のご子息・ご息女と親しい仲であれば、いくら僕自身にファンクラブがあって、モテモテだとしても…もちろんそれなりに恨み妬みを買うこともある。そんなのある意味慣れのもんだし、一々相手にしてらんなかった。――けど、今のは一歩間違えればかすり傷どころじゃすまされないものだ。冗談じゃすまされないレベル。こんな嫌がらせ、今まで受けたことがない。



内心ドギマギしている心臓を抑えつつナイフが飛んできた方向を睨みつける。けど、いつまで経っても変化が見られないことから、僕は早々に相手が逃げたと判断すると、隣に突き刺さっているナイフを見つめた。





よくよく観察して見ると、そのナイフには白い紙が括りつけてある。それを外してガサガサと開くと無機質な文字がズラリと並んでいた。








『跡部司に危害を加えられたくなければ――誰にも言わず六月六日、午後四時に氷帝学園中等部裏門に来い。………うっわー、手の込んだ嫌がらせっ。』








僕はとりあえずツカサちゃんが来る前に…と紙を懐にしまい、ナイフは散々迷った挙げ句、店員さんに床に落ちてたよと言って渡した。









『六月六日、か。何もわざわざその日に呼び出さなくてもいいじゃんか。』




普通なら、こんな脅迫文なんて無視している。けど、ツカサちゃんの名前を出し、挙げ句ナイフときたら万が一ということもあるかもしれない。


"ツカサちゃんに危害を加えられる"


その事態は何としても避けたかった。


『に、しても。僕とツカサちゃんの関係を知って、尚且つ僕らの校舎付近を指定してきたってことは―――』



"氷帝の生徒もしくは関係者"



脳裏に浮かんだ結論に僕の心がスーっと冷めていく。どっちにしろツカサちゃんをネタに僕を脅したんだ。その分のツケはなんとしてでも払わせてやる。



『待たせたな、ヒカリ。
……どうかしたのか?』



ゆったりと帰って来たのはツカサちゃん。僕は急いで首を振るとニコリと笑った。



『ううん、なんでもない。…アレ?でもツカサちゃんこそ大丈夫?なんか顔色悪い気がする。』


『ん?あぁ。今日は―――』



ツカサちゃんは僕の耳元に口を寄せると"アレの日"と呟いた。呟いた後のツカサちゃんは、若干決まりが悪そうに人差し指でポリポリと頬をかいている。


『そっか、平気?お腹痛くない?』


『ん、大丈夫。俺、そんな酷くねー程だし。ただ貧血なだけ。ったく女っつーのはこれだから面倒くせー。』


『だよね。でもでも、そしたらこれからどうする?家帰って早く休んだ方がよくない?』


『だから大丈夫だって。それよりもヒカリ、カラオケ行こうぜカラオケ。さっき屋敷の奴呼んだし、荷物は届けさせるからよ。』


『行くーっ!けどけど無理しちゃダメだからね!辛くなったらちゃんと言って!』


『へいへい。』




六月六日。
僕とツカサちゃんの記念日。


それは約一週間後に迫っていた。

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