兄貴としての気概
《バーズ&ツインズ》



「それではやってもらいましょうか。制限時間は十秒ですよ。」



俺は汗で湿っている手で剣を握った。かするだけで、たちまち即死する猛毒が刃に塗られているとも知らずに。













数分前。




「あの強欲娘M.Mが倒されるのは実に気分がいい。」



杖をカツカツ言わせながら現れたのは、帽子を被り眼鏡をかけた初老の男性で、ニタニタと妖しい笑みを浮かべている。さっきビアンキによって倒されたM.Mと同じように黒曜中の制服を着ていた。バーズと名乗るその人が手に持つパソコンをいじると、丁度背後にあった壁には黒沢と話している京子ちゃんと音楽聴きながら読書しているハルがモニターを通して別々に映しだされる。バーズの飼っている複数の黄色い小鳥につけられたカメラから流されている映像だった。



京子ちゃんとハルの背後には、ヒョロリと痩せた双子の凶悪殺人鬼。その手には今まさに京子ちゃんとハルの髪に火をつけんとばかりにライターが握られていた。



"ボンゴレ十代目である沢田綱吉君をぼこ殴りにしろ"



人が驚き恐怖する表情を見ると興奮すると告げた、バーズの最初の要求はこれだった。制限時間は五秒。痛いのは嫌だ。けど、要求を拒めば京子ちゃん達が危ない。咄嗟に後ろにいるはずのリボーンに助けを求めようと振り返る。……。寝てる。こんな時に呑気にもリボーンは鼻提灯を膨らませてスピースピー寝ていた。俺が覚悟を決めかねているうちにバーズの数えるカウントがまた一つ減る。



「ご、獄寺君、山本。俺をぼこ殴りにして!」


つい言ってしまった言葉。……言っちゃった、と俺自身で発した言葉に顔を青ざめた。



「馬鹿言うな。」

「そんな事出来るわけないッス。」



山本と獄寺君が渋っている間にも、バーズのカウントが進む。その時誰かの拳が俺の頬に当たり、俺はその衝撃で激しく吹っ飛んだ。殴られた頬を抑えながら、殴った手をプラプラさせているビアンキを見遣る。



「……私は元々ツナを殺しにここへ来たのよ。これだけで済んで有り難く思いなさい。」



確かに。ビアンキの言葉を聞いて俺の口から、カラ笑いが漏れた。……と、そこで気づいたことがある。ビアンキに殴られた所、激しく飛ばされた割にそんなに痛くはなかった。驚いてビアンキを見上げると、少し頬を赤らめたビアンキがプイっとそっぽをむく。



「……嫌われ役は慣れてるわ。」


心の中で、改めてビアンキに感謝した。





「いやーお見事!」




上機嫌なバーズは、持っていた杖をポンと一回地面をついて露になった剣を地面に刺す。そして、次なる条件を俺達に要求してきた。




"その剣で沢田綱吉君を刺すこと"




モニターを見ると、京子ちゃんの後ろには硫酸の入ったビンを今にも傾けようとしている殺人鬼。



「な、何する気ーー!?」



「硫酸って人にぶっかける以外の使用法あるんですか?彼女、痛くて驚くでしょうね。ただれてまたびっくり。」



バーズの言葉に、獄寺君と山本が怒鳴った。けど、殺人鬼のビンはそれに比例するようにどんどん傾いていく。液体があと少しで零れ落ちようとした瞬間。俺は決意した。



「待って!」



俺の言葉にモニターに映る殺人鬼の動作が止まる。



「私がやるわ。大丈夫、すぐに救急車呼んであげるから。」



ビアンキの言葉に俺は首を振った。


「いいよ。自分でやる。」










ゴクリと喉がなる。剣を持つ手が酷く震えているのが、自分でもよくわかった。刺したら痛い。そんなことわかってる。怖い。逃げ出したい。そんな狡い気持ちがあるのも分かっている。けど、それはできなかった。京子ちゃんもハルもこの戦いに関係ない。彼女達が傷つくなんて、そんなのおかしいよ。そんなこと、あってはダメなんだ。


思い浮かぶのは、獄寺君が柿本千種の毒針から身を呈して俺を護ってくれた姿。山本も、大好きな野球ができなくなるかもしれないのに、それを承知で俺を護ってくれた。それに決めたんだ。ヒカリを護れるような兄貴になるって。ヒカリに誓ったんだ。護れるくらい強くなるって。



だから、俺にだって――――





剣を握る腕に力を込めると、目をギュッとつむる。それから剣を大きく持ち上げて刃を俺自身にむかって振り落とした。




【ガキィィィィ】



モニターから聞こえた奇声。思わず剣を振り落とす手を止めた。モニターを見ると、殺人鬼の片割れがシャマルによって倒されている。一方で、ハルの方も十年後のイーピンとランボがハルを守るように立っていた。



【言われた通りハルさんを見張ってて良かった。】


【ヤツの読みはドンピシャリだったな。】




モニターの中で言った、イーピンとシャマルの言葉に首を傾ける。その瞬間背後で「ごほん」という咳ばらいが聞こえた。急いで振り返ると、先程まで熟睡していたリボーンがちょこんと座っている。


「良かったな。困ってる時に助けてくれる、ファミリーがいて。」


その言葉に嬉しくなって思わず頷きそうになったが―――



「ってファミリーじゃないだろ。」


寸前でどうにか止まることができた。





「うむー…やはり骸さんのミッションはレベルが高い。では私はこれで失礼す――――」



人質が解放されてもはや為す術を失ったバーズは、丁寧にペこりとお辞儀すると何食わぬ顔で立ち去ろとしていた―――が、獄寺君や山本がそれを見逃す訳もなく、獄寺君の蹴りで呆気なくもバーズは伸びてしまった。



「操ってた本人は、大したことねぇのな。」

「所詮欲得で動いていた奴だからな。」




山本の言葉にリボーンは頷く。その時、獄寺君の驚きの声が上がった。その方向は先程京子ちゃんやハルが映っていたモニター。バーズが倒れた瞬間、どこかのスイッチが誤って押されたせいか別の場所が映っていた。そこは、見た感じボロボロの建物の中で、はっきりとは分からないけど人が一人立っている。暫くしてこのカメラの存在に気づいたのか、近づいてくる人影。見る見るその姿が露になった。



「こいつはあの眼鏡野郎!」



悔しそうに唇を噛み締めている獄寺君の言葉通り、カメラに現れたのは柿本千種。だけど、それどころじゃなかった。なぜなら、その柿本千種の腕に抱かれているのが―――――








「「「ヒカリ!?」」」








俺の片割れだったから。






次の瞬間、プチリとモニターの画像が途切れて真っ暗になった。






―――――――――…



『……んぅ……。』


ゆっくりと瞼を開ける。


『……。』


「あ!ようやく起きたね!寝ぼけてるヒカリ、すっげかっわEー!」


二度三度、目をパチクリして声がした方に顔を向けると、綺麗なふわふわの金髪、無邪気な優しい笑顔を浮かべている兄貴がいた。


『ジロ兄……』


「うんうん。俺だよ。ねね、ヒカリ?どこも痛いとこないッ?大丈夫ッ?……ったく忍足もヒドイCー!俺の大事なヒカリを気絶させるなんてッ!」


プンプンと怒っている兄貴の言葉でようやく忍足の事を思い出すと、僕はガバリと上半身を起き上がらせた。


『そうだよッ!ジロ兄、忍足どこ?僕、忍足に仕返ししなくちゃ気が済まない!』


「俺もさんせーッ!けどけど、仕返しは明日ねー。今日一日ヒカリは俺とマッタリ過ごすのッ!」

『今日一日?』

「そそ、今日一日ッ!」


ゆっくりと兄貴は僕の頭を撫でてくれる。その感覚が心地好くて、ずっと酔いしれていたかった………けど、何気なく目にした携帯の日付。画面は六月六日に変わっている。時間は、午後3時18分。


驚いたってもんじゃない。驚きで心臓が止まるかと思った。あれから丸一日眠っていたなんて信じられないけれど、事実、約束の時間まで、あと一時間もなかった。


『ジ、ジロ兄。ごめんね。僕、ちょっと行かなくちゃいけないとこがあるんだ。』


僕の言葉に兄貴はパチクリと瞬きをした後、僕の手をキュッと握りしめる。


「Aー!ヒカリは俺と一緒にいたくないの?」


眉をハの字にして見つめてくる兄貴の突き刺すような視線。その視線に僕はうぐっと思わず唸って一瞬たじろいだ。……さ、さすが僕の兄貴。意識的かそうでないかは別にして、おねだりの仕方をきちんと心得ているのか、どんな表情をすれば相手のツボを刺激することができるのかという基礎的なことが分かっている。兄貴のこの視線には、たぶん他の女の子だったら参ってしまうだろう。もう、ノックアウト状態。試合終了。かく言う僕も昔っからこの視線に弱かった。


………けどね、僕はやっぱり―――



『兄貴、僕、すぐ、帰ってくる……』



「……。」







"あの脅迫文を送りつけた奴らを許すわけにはいかないし、何よりツカサちゃんや僕に仇なす奴を野放しにしておけない"



刃物付きの脅迫なら尚更、だ。どうしてもこの気持ちだけは曲げられなかった。





『ジロ兄、お願い。』




今回は、芥川慈郎の"妹"を最大限に利用するような…はっきり言えば兄貴が僕を甘やかすように狙ったおねだりではなく、ちゃんと意思を込めた視線を僕は兄貴に返した。これで兄貴が納得してくれるとは思わないけど、揺るぎない僕の意思は大なり小なり伝わると思う。僕は、呆然としている兄貴の返事をジッと待ち続けた。





「―――――よ。」




やがて、微かに動いた兄貴の唇。それが何かを紡いだけれど、"何か"までは僕にも分からなくて思わず聞き返した。兄貴は一度目をつむると、まるで何かに耐えるようにプルプルと腕を震わせ―――







「……帰ってこないよッ!」





発された言葉。初めて聞いた、兄貴の怒鳴り声。……もちろんそれには僕も驚いた。けど、それだけじゃない。兄貴は、すごくすごく辛そうに、顔をくしゃりと歪ませていた。どこか罪悪感にも似た気持ちが一瞬過ぎり、僕はピクリと身をすくませる。








「帰ってこないよ!だって…だってヒカリは……ヒカリとツカサは―――」














「そこまでや、ジロー。」



「………ッ!」







「……それ以上しゃべったらアカン。」





忍足が、腕を組みながらいつの間にか僕の部屋のドアに体を預けて立っていた。ゆっくりと、僕のベッドに近づいてきてそのまま兄貴の隣に座る。微妙な空気が流れる中で、最初に口を開いたのは下を向いたまま唇をキュッときつく噛み締めていた兄貴だった。





「……ごめん忍足。」


「………。ジローの気持ちも分からなくはない。けど、今は堪えるんや。」

「……うん。」


「時間もあらへん………ヒカリ、今から俺らが話すこと、よく聞き。」




真剣な表情で僕を見つめてくる忍足。その雰囲気に圧倒されてしまって、僕は思わず頷いた。僕の両手が兄貴によってギュッと微かに強く握られる。



「ヒカリ、俺の一番大事で大切で失いたくないもの、分かるよね?それと同じように跡部の一番大事で大切で失いたくないものも。」


『……うん。』



答えは当然"僕"と"ツカサちゃん"だ。自惚れでもなんでもない。たった一つの答え。


「ま、これみよがしにジローも跡部もいっつもヒカリとツカサを甘やかすしな。」


「忍足もでしょー!」



クスクスと笑う忍足に兄貴はプクリと頬っぺたを膨らませる。先程の微妙な雰囲気は少しだけ、だけど確実に薄らいでいた。場を切り換えるように、忍足はコホンと咳ばらいをする。






「―――せやからな、これでも俺達はヒカリ達の意思をなるべく尊重してきたつもりやった。……俺達かて意地悪しとうないし、そもそも意地悪したいわけやない。けどな、ダメなんや。今回はどうしても譲られへんのや。……堪忍な、ヒカリ。」



『……』




「……。なんや…話、進まれへんな。ヒカリ……単刀直入にいくで。ツカサが風邪を引いたって跡部が言ったやろ?……アレ、嘘なんや。」


『――は?嘘?』



忍足の言葉に僕は一瞬固まり、そしてすぐに聞き返した。それを見た忍足は、コクりと神妙に頷く。




「せや……ツカサは……」




その瞬間、隣で真剣に聞いていたはずの兄貴がいきなりパタリと倒れて僕のベッドに突っ伏す。急な出来事に僕は動けなくて、目をパチクリさせていた。




『……兄貴?』



「……スー…スー………」




返事の代わりに微かな寝息が聞こえる。なんてことはない。つまりは兄貴のお昼寝タイム、これは……いつもの事だから僕は安心して息をついたけれど、これから大事な話をしようっていうタイミングだったっていうこともあり、流石の忍足も呆れた顔をしているだろうと思っていた。――けど。





「……アカン……時間切れ……や…な…。」




『えぇ!?ちょ…忍足!?』




忍足も兄貴と同じようにパタリと倒れてしまった。聞こえるのはやはり寝息音。



『兄貴?……忍足?』



試しに二人の身体を揺すってみたけれど、二人とも起きる気配がなかった。




『兄貴はともかく…忍足まで?』





忍足が会話の途中で寝るはずがない。僕は訝し気に思いながら首を傾けるけれど、その疑問はいつまで経っても解決するはずもなく、ふと見た携帯の時計は、すでに約束の時間30分前を刻んでいた。




正直、二人の話の続き……ものすごーく気になる。けど、ここで迷っている暇はない。それに、これはまたとないチャンスだ。家を抜け出せるチャンス。どうして僕を引き止めていたかとか、どうして嘘をついたのかとか、それは後でゆっくり聞けばいい。
いつの間にか着替えさせられていたパジャマを脱いで氷帝学園の制服に着替えると、僕はテニスバックを持って家を飛び出した。

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