届かない声1
――――――…


どさりと地面に放たれた身体の衝撃に、左腕がひどく痛んで咄嗟に出そうになった悲鳴をどうにか喉の奥に押し込めた。
そうしているうちに、視界が開ける。どうやら、目隠ししていた布が取られたようだった。差し込むような光に順応することができずに瞼を細める。同時に目隠しを外してくれた男を含めた周りに控えている数人の黒スーツの男達に手枷も外してくれないものか、と期待してみたが、それは敵わなかった。


『……大丈夫か、ヒカリ。』


僕の隣には同じように目隠しを取られたツカサちゃんがいる。僕と同じ制服は所々汚れ傷み、布地はボロボロだった。ツカサちゃんの視線を追った先には僕の左腕があり、(おそらく死なないための)最低限の処置が少し黄ばんだ包帯でなされていた。


『……うん。』


血が少し滲んでいる。止血が不十分だ。それにそんな不潔そうな包帯を巻いて細菌が入ったらどうするんだ、といろいろ言いたい文句はあったが、どうにかそれを押し止めた。



辺りを見渡すと、そこはどこかのこじんまりとしたオフィスのようで、正面に平凡なデスク、両側に書棚、ステールキャビネットが並んでいた。


「ボス。こちらも準備が整いました。」


いつの間に現れたのだろう、隣には丈の短いナース服を着こなす女性が立っている。彼女が向ける先を見遣ると、正面の背の高い椅子に、誰かが座っていた。

おそらくは先ほど僕に発砲した奴だろうと想像はつくけれど、姿までは分からない。何せ僕達の方に背を向かいながら座ってパソコンのキーボードを叩いているのだから。


…それにしても、キーボードのタッチが下手くそすぎだ。遅い。あれなら僕達の方がよっぽど早いな、と変な所で優越感に浸っていた。


女性が声をかけても、その人物はいっこうに振り向く気配がなかっため、彼女は諦めたのか、そのまま部屋を後にした。


書棚を見ると、"現代医学体系"何十巻、"外科医療"何巻といった背文字が見える。忍足の家で見かけたのと同じ名前の本も、何冊かあった。

そういえば、さっきのナース服の女性といい、ここは僕の大嫌いな病院なのだろうか?でも病室の案内らしいものもないし、大体あの病院独特の匂いがしない。


そこまで思考を巡らせていると、不意に正面の椅子がクルリと回った。そこに座っているのは、椅子の中に収まっているのが不思議なほど太った男だった。
単に腹が出ているとか、二重顎といったものではなく、顔や身体も大きい。ぶよぶよした肉の塊といった感じだった。
子供のように生っ白いすべすべした顔はほとんど髭というものがなく、そもそも剃ったあとも見えないのだ。
童顔で、面積の広い顔の真ん中あたりに、不釣り合いにも小さな目と鼻と口が集まっていた。


はっきり言おう。年齢が分からない。


妙に歪んだ口元は微笑みを浮かべているつもりらしいけど、何となく福笑いでできた歪み、ねじれた顔を思わず想像してしまい、思わず吹き出しそうになった。

特別にあつえたのだろうか、ビックサイズの白衣を来て医者然としていた。

身体つきや顔つき、どれもが滑稽でこんなシチュエーションでなければ指をさして笑い飛ばしていたと断定できる異様さだったが、それにもかかわらず、その男が僕を眺めた時、鋭い戦慄が身体を貫くのを感じた。その目は小さく、殆ど表情が伺えないほどだったが、その視線はまるで矢のように肌に突き刺さったような心地がした。

蛇のよう…少なくとも爬虫類にいそうな類いの目だ、と思った。その目が、まずツカサちゃんを頭から爪先までゆっくり眺めた後、次は同じように僕を眺め回した。
まるで、服を透かして、自分の裸体を見られているような決まり悪さを感じて、僕の身体中の鳥肌が総立ちしている。
ちらりと、ツカサちゃんを盗み見るとその表情からも僕と同じように感じていることが分かった。


「椅子を。」


先程と同じ声がして、あぁ、やっぱりこいつが発砲した奴かと核心した。傷口がまたジクリと痛んだような錯覚に陥る。


ボスの声を聞いた、ドアのところに立っていた黒スーツの男が弾かれたように飛び出してきて、部屋の隅にあった椅子を二脚、僕とツカサちゃんの傍へと運んできた。


太ったボスが優雅な手つきで僕達に座れと指示してきたため、ツカサちゃんと一度目配せをした結果、ここは大人しく従うことになった。


「フム……君達はいくつかね。」

『…そんなことを聞くためにわざわざ僕達を誘拐したの?』


『ヒカリ。……そちらもご存知の通り、俺達は氷帝学園中等部一年だ。』


ツカサちゃんの戒める言葉に思わず顔を逸らした。おそらく、僕のこの銃痕が効いているのだろう。余計な挑発はするな、と目がそう言っていた。

それが僕の身を案じてのことだとしても、やっぱり悔しかった。


「……若いな。青春の盛りといったところか。羨ましい限りだ、全く。」


太ったボスはため息をついた。


「いや、どうも失礼。こんな方法で来ていただくのは本意ではないのだが、何しろ少々急を要する用件なのでね。」


『『………』』


「その前に自己紹介といこうか。サンドロだ。ソルドファミリー…つまりマフィアのボスをしている」


『イタリア人か?』

「あぁ、そうだ。仕事でここ数年在日している。」


『マフィアのボスがなぜ医者を?副業とか?』


ツカサちゃんの言葉に僕も頷いた。


「いやいや、とんでもない。」

頬の肉を震わせながらサンドロは笑った。

「これは私の趣味でね。書棚にも日本の医学書が並んでいるだろう。もちろん中身は本物だ。読んだことはないがね。子供のままごとのようなものと思ってもらえばいい。お医者さんごっこ、というやつだ。」


サンドロが驚くほど軽々とあの巨体で立ち上がった。


「来なさい。見せてあげよう。」

指でついて来るように合図された僕達は、視界を塞がれるような巨体の後について行く。
廊下へ出ると、サンドロはすぐ隣のドアを開けて中へ入るように促された。


『……は?』


入ってみて僕は目を見張った。そこは紛れも無く病院の診察室だったのだから。
医師の机、患者の座る椅子、固いベッド、奥には医療器具を入れるガラスケース、そして、さらにはレントゲンの機械まであるしまつだ。


「よくできているだろう?全部本物だよ。ガラスケースには注射針も全てのG(ゲージ)を揃えているし、それに合わせた注射器、消毒用具、手術用具、全部だ。あのCTやMRI…X線の装置も本物だ。」


『これを、全て趣味で?』


「その通り。マニアというのは大変なものさ。そのうちまだまだ揃えようと思っている。」


僕はその言葉に感心するよりも、むしろ呆れてしまった。それはツカサちゃんも同じだったのだろう。サンドロとの会話を主にしていたツカサちゃんは、もはや口を開く気力もないようだった。


元の部屋へ戻ると、サンドロは再び正面の椅子に座った。



「さて、ところで…」


奴は僕達を真っすぐに見据えながら言った。


「例の"包み"はどこにあるのかね?」



『『………は?』』



僕とツカサちゃんの言葉が重なった。



「あの"包み"はな、もともと私のものなんだ。それが、部下のヘマで、そっちの手に渡ってしまったらしい。だから返してもらわんと困るんだよ。」


『それを俺達が持っている、と?』


「持っているはずだ。」


サンドロの言葉にツカサちゃんは僕を見つめてくる。その瞳にはありありと困惑が浮かんでいた。それはきっと僕も同じで……だってそんなマフィアに関わるような"包み"なんて全く記憶にないし、そもそも何を指しているのかさえ定かではない。
僕が首を横に振るのを見て、ツカサちゃんは再びサンドロに向けて口を開いた。


『残念だが、人違いだ。俺達は持っていない。そもそも、その"包み"が何なのかさえ知らない。』


ツカサちゃんの言葉を肯定するように僕は頷いた。


「――あれが失くなった。しかしまだ市場に出回ってはいない。そうなると、どこかに止まっているわけだ。」


『でも、俺達は本当に知らないんだ。』

「あれは金にして二億円以上の品なんだよ。」


『だから、僕達は知らないって言ってるじゃん!』


「隠したいと思うのも無理はない。しかしね、全ては命あってのことだろう?」


『俺達は隠してなんかない!本当だ。』


サンドロは僕達の様子をゆっくり眺めてから、傍に控えていた黒スーツの男に目を配せたのが分かった。その男は一礼をして部屋を出てくる。


「……今、"包み"を持って来れば君達を帰すと約束する。」


『持ってくるも何も、僕達は持ってないのに…』


なかなか伝わらないこの問答に、苛立ちを通して虚しさを覚えた。この誘拐は、学校関係でもなんでもなく僕の予想を大きく外れて、まさかのマフィアなんて…しかも、まるで身に覚えないものを出せって言われても、どうしようもなかった。



「ボス、連れてきました。」


先程の黒スーツの男がもう一人の男を連れて戻ってきた。


「あぁ、ご苦労。さてさと、お嬢さん方、この男に見覚えは?…まぁ、少し痩せたからな。だが面影はあるだろう、よく見てくれ。」


サンドロに促されて、僕達は連れて来られた男の顔を見る。至る所に痣ができていて、病的に痩せていた。
…けれど、見覚えがなくも、ないような?
誰だ、こいつ。


隣のツカサちゃんを見遣ると、僕と同じく見覚えがあるのか、眉間に皺を寄せて思い出そうとしているようだった。







青い空を埋めつくすほどの桜並木。やわらかな風が吹く度にゆらゆらと舞う花びら。

パコーンパコーンとテニスボールが跳ねる音。


「こ、こっちはもう3セットも取ってんだぜ?」






思い出した。


この男達に春にツカサちゃんとナンパされて、ダブルスでテニスの勝負をした奴らのうちの一人だ。試合のうちに僕が怪我をして、そのことにキレたツカサちゃんによって完膚なきまで打ち負かされた奴だ。……確か。



『……あ。』


ツカサちゃんも思い出したのだろう、そんな小さな声が隣から聞こえた。


「その様子だと、やはり面識があったようだな。」



サンドロはクククと低く笑う。


「こいつらは"包み"の運び屋だった。……テニスボールの中に隠した"包み"のな。」



『『………は?』』



僕とツカサちゃんの声が再び重なった。

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