なかなおりのおじかん
『……痛い…』

生理的にでてきた涙をぐしぐしと拭う。先程までは土砂降りだった空も、今では突き刺すような日光が僕に降り注ぎ、腕と膝にできた擦り傷がヒリヒリと疼いた。


『くそ…ちびっこ雲雀恭弥め…』

家までの道を歩きながら、僕はつい数十分前のことを思い出していた。


―――――――…


「…きみ、そんなところでなにしてるの?」

は?と、そう思った時にはすでに遅くて、片手にトンファーを持ったちっちゃな雲雀恭弥が僕に向かってきていた。


「ふほうしんにゅうだよ。」


その四字熟語の言葉の意味をちゃんと理解してんのか?とか、自分こそどうなんだ?とかいろいろと言い返したくはなったけれど、それよりもまず自分に真っ直ぐ振り下ろされているトンファーに警報がなって僕は急いで脇に避けた。

「ワォ。なかなかやるね。」


生意気な黒猫がニヤリと笑ってトンファーを握り直すと、もう一度僕にむかって今度は斜めに振り下ろしてくる。


『……。感傷真っ只中のこんな痛いけな女の子にいきなり襲いかかるとか――――』


僕はしゃがんでギリギリに攻撃を回避すると、雨具を一瞬で脱ぎさって雲雀恭弥に投げつける。小さな身体がよろめいた隙をついて、僕は左足で地面を踏ん張りながら右足を思い切り振りかぶった。


『空気読めコノヤローっ!!』

「――っ!!」


回し蹴り炸裂。まだ防御能力が未熟なのか、雲雀恭弥は避けることなく清々しいほど見事に鳩尾に入ったらしい。そのまま数回苦しそうにコホコホ咳をしている。フン、ザマミロ。


「……コホ。……。ふーん。」


攻撃を喰らったことが悔しかったのか、今度は本気だと言わんばかりにチャキンと二つのトンファーを構えると再び僕に向かってきた。



――――――…

『ただいま…。』


ガチャリと沢田家の玄関の扉を開けると、パタパタパタと台所から奈々ママがやってくる。


「まぁ、ヒカリちゃん。泥だらけ。もう、心配してたのよ?雨の中お外に出ていたの?……あらあら、怪我も…」

『……。歩いたら、こけた。』

「そう…。今度からは気をつけなさい。女の子なんだから。さ、まずはお風呂で身体を洗って――」

『…うん。ツナは?』


ふんわりと微笑んでくれた奈々ママに気まずくて、僕は雨具を預けたあとそそくさと背をむけた。


「ツっくんは幼稚園に行ったわよ。ヒカリちゃんも今から行く?」

『ううん、行かない。……。ごめん、奈々ママ。』

「……。謝らなくて良いのよ。さ、シャワー浴びてらっしゃい。」
『……はい。』


僕は奈々ママの悲しそうな声色に気づかないふりをすると、ゆっくりと洗面所へと向かおうとする…が。


「あら?僕、どうしたの?どこの子?」


奈々ママの驚いた声に後ろを振り返った。その瞬間、僕の瞳が大きく広がる。


玄関には、僕と同じように泥だらけで、僕と同じように傷だらけの―――ちびっこ雲雀恭弥がいたのだから。


『――――な、なんで君がここにいるんだよ!?』


僕は急いで玄関に引き返すと、ムスっとしている雲雀恭弥を睨みつけた。


「まぁ!もしかしてヒカリちゃんのお友達!?」


奈々ママの言葉に『こんな奴、友達なんかじゃない!』と言いそうになったけど、あまりにも嬉しそうな奈々ママの顔を見たら、力が抜けてしまって反論するのも億劫になってしまった。

「ん。」

暫く僕と奈々ママのやり取りを黙って聞いていた雲雀恭弥は、スッと見覚えのある黄色い傘を差し出してきた。
それは、紛れも無く僕の傘。
僕のお気に入りの黄色い傘。


「あらあら、もしかして届けてくれたの?」

「そう。」

その言葉に奈々ママは感激し、さらに雲雀恭弥のずぶ濡れの様子を見兼ねてか、ついでにシャワーを浴びていくように提案した時には……さすがの僕も固まった。

「ほら、丁度ヒカリちゃんも今からお風呂入るところだし……。そのままだと、二人とも風邪ひいちゃうでしょ?」


「『……』」


そのあとの奈々ママの行動は素早かった。すでにお風呂にはお湯が張ってあったらしく僕と雲雀恭弥を洗面所に押し込めると、二人分の着替え(雲雀恭弥にはおそらくツナのものを)とバスタオル二枚を渡す。


「すぐに洗濯するから、脱いだものはカゴの中に入れておいてね?ちゃんと温まってくるのよ。」

『……。奈々ママ、まさかとは思うんだけど、二人一緒に―――』
「その間にオヤツを用意しておくわね。」

『……。わかった。』


奈々ママのにこにこの笑顔。そして、甘いオヤツの誘惑。

――――完敗だ。


――――――――…


「……ねぇ、これはなんのマネ?」
『……。』
「……。ぼくをむしするなんて、いいどきょうだね。」


湯舟につかったまま無視を決め込んだ僕に対して雲雀恭弥は眉間にシワを寄せた。


「このかおにまかれたタオル、じゃまなんだけど。」

『それ取ったら君は今日から変態だから。僕、叫び声あげるからね。』

「……。」


何を思ったのか、雲雀恭弥はタオルが巻かれた後頭部に手をかけようとする腕を降ろした。
現在、雲雀恭弥と僕は同じ湯舟に入った状態だ。もちろん、雲雀恭弥の顔と腰にはタオルを(無理矢理)巻かせている。


わかってる。
もちろん、わかってるよ。
今、僕らは幼少期と呼ばれる段階で、男と女の性別なんて"通常"は気にしない年齢のはずだ。目の前で目隠しがお気に召さない様子の雲雀恭弥だって、僕の裸を見たところでなんとも思わないだろう。


「……ねぇ。なんでぼくはこのじょうたいのまま、ふろにはいらなくちゃならないわけ?このタオルじゃま。」

『……。君が男で、僕が女だからだよ。チビチビ雲雀恭弥。』


僕がポソリと言った言葉に、雲雀恭弥は小ばかにしたように鼻を鳴らすと目隠しされていたタオルを取り去った。
あ、と気づいた時にはすでに遅くて、雲雀恭弥と僕の鋭い視線がかちあう。


「……ふーん。」


ジロジロと見られる視線が気になって僕は顎ギリギリまで湯舟に浸かるとギッと雲雀恭弥を睨みつけた。


『ちょ、なんでタオル取るんだよ!へんた――』

「きみのほうがちいさいじゃないか。それに――」

『……』

「ざんねんだけど、ぼくはきみのようじたいけいにはきょうみがないよ。」


わかってる。
もちろん、わかってるよ。
今、僕らは幼少期と呼ばれる段階で、男と女の性別なんて"通常"は気にしない年齢のはずだ。目の前で目隠しがお気に召さない様子の雲雀恭弥だって、僕の裸を見たところでなんとも思わないだろう。
わかってる。
わかってるさ。


……けど。



面と向かって言われるとなんかムカつく。


『………』
「………」
『………』


僕は無言で湯舟から上がると、シャワーのノズルを掴む。捻り口の温度設定はもちろん零度の冷水。それを、黙って僕の様子を観察していた雲雀恭弥の生意気な顔にぶっかけてやった。


「―――っ!」


冷水を浴びせられた雲雀恭弥は、一瞬呆気にとられていたけれど、すぐにムスっとした顔をしたと思えば――――


『ギャ!?冷た!!』


僕が持っていたシャワーを奪いとると同時に冷水をぶっかけてきた。

「とうぜんだよ。みずだもの。」

『ギャー!僕、こんな長く、水かけて、ない!!』


「うられたケンカはばいにしてかえす。」

『コノ、ヤロ、』


僕は雲雀恭弥からシャワーを奪いとると再び冷水を奴に浴びせた。

「――っ!かみころす!」


―――――――…


『「……クシュっ。」』


「あらあら、二人とも大丈夫?湯冷めしちゃったのかしら…。」


奈々ママはオヤツのチョコレートケーキを切り分けながら、絆創膏だらけの僕と雲雀恭弥の顔を心配そうに覗きこむ。僕と雲雀恭弥は互いの顔を見ることなく、ツーンとそっぽを向いていた。


『……。ねぇ奈々ママ、僕、あったかいココア飲みたいな。』


僕のぽつりぽつりと呟いた要求に、奈々ママは大きく目を見開いた後、嬉しそうに笑う。


「じゃあ、ちょっと待っててね?恭弥君も同じもので良いかしら。」

『え、雲雀恭弥にもー?』


僕の言葉に雲雀恭弥はムスっとしながら「いらない。」と答えた。それを横目で見た後で、テーブルに置かれた僕の分のチョコレートケーキと雲雀恭弥の分のチョコレートケーキを見遣る。若干、雲雀恭弥の方のチョコレートケーキが大きい。僕はすぐに雲雀恭弥の分の皿と僕の分の皿を交換した。


「なにやってんの。」


が、次の瞬間には僕の行動に気づいた雲雀恭弥が再び皿を交換する。

『別に。僕、こっちのケーキが良いの!』
「そんなわがままゆるされるとおもってるの?これはぼくのぶんだよ。」
『良いじゃん別に。それにわがままは雲雀恭弥の方じゃん。とにかく、僕にそっちを渡せ!』

「……はなしにならないね。」


雲雀恭弥はため息をつきながらそう言うと、皿にあったチョコレートケーキをパクリと食べた。


『あーーっ!?僕のケーキ食べた!恭弥の馬鹿!』
「……なんどもいわせないでくれる?これはぼくのケーキ。」
『問答無用!僕のケーキ返せーーっ!』


そして気がつけば僕らは「まぁまぁ、仲良しなのね?」という奈々ママの言葉で固まるまで取っ組み合いのケンカを続けていた。





――――――…


「恭弥君、本当に一人で大丈夫?送っていくわよ?」


「いらない。ひとりでかえれる。」


「そう…、じゃあまた遊びに来てね。今度は恭弥君の好きなものを用意して待ってるわ。」


奈々ママの言葉に雲雀恭弥は「…きがむいたらね。」と背を向けると颯爽と出ていった。なんだよ、かわいくないな。


「…ヒカリちゃんと恭弥君はすごく仲良しさんなのね。」


『奈々ママ、今すぐ眼科行った方がいいと思うよ。僕達、馬が合わない。』

僕のため息まじりの言葉に、奈々ママはふふふと微笑みながら僕の低い視線に合わせるようにしゃがんでくれた。


「そんなことないと思うわ。だってヒカリちゃんが、あんな大声で叫んだり、取っ組み合いの喧嘩をするところなんて初めて見たもの。」


『……。だから、それって仲良しにはほど遠いんじゃ…』


「ママ、安心しちゃった。ヒカリちゃんにもちゃんと子供らしい所があるんだなーって。」

『……』


「瑩は綱吉とも喧嘩とかしないんだもの。きっと恭弥君は瑩の素を引き出してくれる子なのね。」

『……奈々ママ…』


「良いお友達ね。大事にしなくちゃダメよ。傘のお礼、まだ言ってないでしょ?」


奈々ママの言葉に僕は目を開く。玄関の脇を見ると僕の傘がちょこんと置かれている。

そうだ、並中の屋上で僕と喧嘩したはずなのに傘をわざわざ持ってきてくれた。喧嘩の原因になったケーキだって…



『(……ムス)』

「………」

『(……ムス)』

「……はぁ。ねぇ、まだおこってるの?」

『(……ツーン)』

「……。しかたないね。さいごのひとくち、きみにあげるよ。ぼく、おなかいっぱいだし。」


そう差し出されたのは、雲雀恭弥の皿。その上には約一口分のケーキが乗っかっていた。

『いらない。』

「そう。……なら、やっぱりぼくがたべよう。」


雲雀恭弥はゆっくりとフォークでケーキを突き刺すとそのまま自分の口元へと運ぶ。

『……あ』


その瞬間、ヒョイッと放り込まれたケーキに口内が甘い味で満たされた。

「まんぞく?」

『……(コクン)』

「そう、よかったね。」

そうして、確かに雲雀恭弥は笑ったんだ。





僕は急いで家を飛び出すと、すでに遠くにいる奴を見つけると息を吸った。


『傘、ありがとーっ!』



僕の言葉に気づいた黒猫は振り返ると口をパクパクさせていた。


『はん、ばー、ぐなら、たべ…』

僕は了解の意味の丸を腕で大きく作って答えた。

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