ざばーん、ざばーんと絶えず船体に波が寄せては返すのを、栗花落すみれは眺め下ろしていた。東京湾を出た頃は穏やかだった波が、目的地に近づくにつれて荒くなっていく。船の揺れが大きくなり、酔ってしまったすみれはぐったりとヘリにもたれかかっていた。
この船も、これから行く孤島も、そこに建つ屋敷も、全ては金尾成治のものだ。悪趣味な男だが商才は確かなようで、たった一代で宝石の採掘事業を軌道に乗せた。今回の催しは最近掘り当てた原石のお披露目会であり、名だたる資産家たちが招待されている。
今回は両親が招かれていたのだが、体調を崩した母とその看護をする父の名代として、すみれが参加している。すみれの父はジュエリーショップ “パルフェ・タムール”の創業者だ。一人娘であるすみれは、もうすぐ17歳になる。若く経験は浅いが、ジュエリーデザインにおいては超一流であり、その鬼才はある程度の審美眼を持つ者ならば誰もが
認める程だ。“パルフェ・タムール”ではビッグジュエルなどの非売品を中心とした“ヴァイオレット・ライン”のチーフデザイナーを務めている。
「栗花落すみれさんですか?」
「どなた?」
「俺は工藤新一。親父の工藤優作の代わりに出席することになって、それなら貴方をエスコートするよう言われまして」
「優作おじさまの…。改めまして、栗花落すみれです」
宝石関連のパーティに小説家の工藤優作が招かれているとは思わなかった。幼い頃から親交のある工藤夫妻に会えないことを残念に思いつつ、パートナーをあてがってくれる親切を受け入れることにした。
今回のパーティのドレスコードは、中世の西洋貴族。当時の夜会では、女性は家族や夫、婚約者を連れて参加するのがマナーだ。パートナー不在の女性は非常に肩身の狭い思いであっただろうし、悪い虫に群がられたという。本来であれば両親が参加する予定だったが、急遽すみれが名代となったため、パートナー不在での参加だった。
「このパーティはある宝石のお披露目ですけど、どうして優作おじ様が招待を受けたのか、ご存知ですか?」
「確か同級生だろ?楽にしようぜ。親父から聞いた話だと、その宝石はブラックダイヤで、親父の小説からナイトバロンって名付けるらしい」
「なるほどね。だから優作さんが招待されて、ドレスコードが貴族なのね」
納得したところで、すみれの鼻先にポツリと雫が落ちた。波も荒いし、どんよりとした空模様なので怪しいとは思っていたが、とうとう雨が降り出してしまった。新鮮な空気を吸えないのは残念だが、中に入る他ない。
工藤くんに連れられてラウンジへ行く。ゆっくり休みたいところだが、東京から数時間の距離のため、個室の用意がない。船酔いのせいで社交する元気はないのだが、仕方がない。ラウンジのソファに座ると、工藤くんが飲み物をもらいに行ってくれる。
「レモネード?」
「酔い覚ましに、柑橘とよく冷えたものが良いからな」
波が高く揺れるためか、プラスチックの蓋付きカップに、沢山のクラッシュアイスでキンキンに冷やされたレモネードが入っていた。ありがたくストローに口をつけると、確かにレモンの酸っぱさがムカムカした気分を爽やかにしてくれる。レモンのシロップやハチミツを使った甘いドリンクではなく、レモンの果汁を絞ったようなしっかりした酸味のあるタイプのレモネードだ。きっと、工藤くんがウェイターにお願いしてくれたのだろう。その気遣いがありがたかった。
「寝れそうなら肩貸すけど」
「大丈夫。気分転換に少し話がしたいかな」
「それなら、気になってたんだが、親父とはどういう関係なんだ?」
「ふふ、優作おじ様が米花センタービルのレストランで有希子さんにプロポーズした経緯を知ってる?」
「事件が起きたことは知ってるけど…」
「ううん、実はね、うちの両親を真似したというか、げんを担いだの」
すみれの父、栗花落詩音がまだ駆け出しのデザイナーだった頃、アルバイトをしていた母の星に出会う。出会った瞬間、父は雷に打たれたような衝撃と強烈なインスピレーションを受けた。デザインに行き詰まっていた手が信じられない程スラスラと動き、あっという間に一冊分描き上げてしまった。母は父にとってミューズだった。母から着想を得たジュエリーは徐々に人気を博し、独立資金をなんとか貯めることができた。
そして独立のタイミングで、少し背伸びをして米花センタービルの展望レストランを予約した。美食に舌鼓を打った後、父は自身のブランドの第一号、世界に一つだけの指輪を贈った。母の名前を冠した“エスター”ラインの誕生である。ロマンティックなプロポーズに、米花センタービルの広報がブログや雑誌の特集を出した結果、パルフェ・タムールの名前は世界中に拡散され、ブライダルジュエリーのブランドとして一流になった。
「だから、二人の指輪はパルフェ・タムールのエスターラインのものなのよ」
「そうだったのか…」
「それがご縁でね。私は幼少期は特に身体が弱くて、学校に通えなくって。おじ様は退屈しないように、新刊を出すたびに贈ってくれるの」
「どうりで親父がパートナーを念押ししてくる訳だぜ」
「そういえば、学校に通えないと同年代のお友達が作れないでしょう?両親の知り合いの子供と遊ぶことがたまにあってね、もしかしたら工藤くんともこれが初めてじゃないのかも」
優作は新刊が出る度にサイン本をくれるし、まだ優作の本を読むには幼い頃は、その年頃に合った児童書をプレゼントしてくれていた。彼の妻である有希子とも面識があり、非常に溌剌とした美女であると記憶している。もしかしたら覚えていないだけで、彼らと一緒に工藤くんも我が家へ招待されていたかもしれない、そう思った。
残念ながらすみれにも工藤くんにも、幼い頃会った覚えはなかった。けれど、共通の話題も多いため、島に着くまで話題は尽きなかった。
「こりゃあ、夜は荒れるな…」
「天気が落ち着いても、海が荒れたままかもしれないし。無事に帰れるといいんだけど」
「なんとかなるだろ」
島に着くと、雨は本降りだった。風が強く、びゅうびゅうと唸っている。滑りやすいからか、工藤くんに手を引かれて船を降り、濡れないよう小走りでシャトルバスに乗り込んで屋敷に向かう。
お互いハンカチで濡れた体を拭きながら、天候の心配をする。濡れたせいで湿気を帯びた髪が強くうねり、もつれてしまったのが気になる。すみれ以外のご婦人も、傘が無駄な横殴りの雨に濡れて、不機嫌そうにしている人が多い。予定より少し遅れて夕方の到着となったので、夜会までゆっくりするのは難しいだろうが、支度の時間は十分ある。
すぐに屋敷に着いて、玄関ホールで招待状のチェックを受けると、彫刻の施されたアンティーク調の鍵を渡される。男性には動物、女性には花、夫婦には果実のモチーフが配られているようだ。部屋の扉に鍵と同じの彫刻があるため、見れば分かるそうだ。事前に送っておいた荷物は既に部屋に運び込まれているという。
「私は支度があるから部屋に行くけど、待ち合わせはどうしよう。終わり次第工藤くんのお部屋に行けばいいかしら?」
「バーロー。夜会の少し前に迎えに行くから、待ってろ」
「えっと、そうしたらお願いね。私の部屋は菫だから」
運び込まれた荷物は、夜会用のドレス以外は部屋の隅に置かれていた。ドレスはトルソーに着せられており、シワの心配はせずに済んだ。すみれは部屋をぐるりと見渡す。菫の間とあるが、内装はモチーフには沿っていない。恐らくどの部屋も同じ壁紙やリネンなのだろう。ビジネスホテルのような簡素さだが、ところどころ金尾氏の好きそうな、下品な高級品が自慢げに置かれている。一泊するには十分だが、あまり長居したくなるような部屋ではなかった。
鍵と一緒に、女性はヘアメイクの時間が書かれた紙を受け取っている。すみれはゲストの中では若く、かなり早い時間に設定されていた。酔いを覚ますために少し横になりたかったが、シャワーも浴びたいしそうは言ってられないようで、がっくりと肩を落とした。