ファーストダンスは拍手喝采だった。息の上がっているすみれを連れて、新一はホールの端へはけて行く。次のダンスの曲が始まったホールは、ファーストダンスに触発された観客たちの熱気に満ちており、さっきまで注目の的だったカップルが消えても誰も気付かなかった。
「ほらよ」
「ありがとう。終わってしまうと、案外楽しくって惜しいのね」
「少し休憩して、また踊ればいいさ。まだ始まったばかりなんだからな」
よく冷えたドリンクを持って来てくれた新一に感謝しながら、正直な感想を伝える。ダンスは初めてではないが、パートナーは基本的に父だった。人によってエスコートの仕方に癖が出るものだが、工藤くんとは事前練習なしでもしっくりくる感じがした。すみれも下手な訳ではないが、今回のドレスコードが独特なので、女性側への負担が大きかった。工藤くんも膨らんだスカートの裾を踏まないようにだったり、気を遣ったはずだがとても綺麗にエスコートしてくれて、踊りやすかった。
「工藤くんの足を踏まずに済んでよかった」
「あの時は鉄板入りって言ったけど、踏まれなくて良かったぜ」
工藤くんの視線は椅子に座るすみれの足元に向けられている。スカート丈が長いので基本的に靴は見えないが、それなりに踵が高くて細い靴なので、踏まれたら痛いだろう。変にプレッシャーをかけないように言ってくれたのは分かっていたが、冗談抜きに踏まなくて良かったと思う。
「…あの人から庇ってくれてありがとう」
「金尾さんとなんかあるのか?」
「あの人だけじゃないの。ただ、自慢みたいに聞こえたら嫌なんだけど、ああいう人が寄ってくるというか…」
「なるほどな」
すみれの容姿は客観的に見て、非常に整っている。黒い艶のある髪に、神秘的な紫の瞳。パッチリとした目に、長いまつげ、左目の涙ぼくろ。肌の色は白く、すらりと伸びた肢体。人形のようというか、本当にすみれのようなビスクドールがありそうだ。
好意を持ってくれるのは光栄なことだが、それを押し付けられたり熱のこもった目で舐め回すように見られたり、下心を持って触れられるのは、まだ思春期のすみれには耐え難い。それを父親と同じ年代の男にされても、嫌悪感しか抱かないのは当然のことだった。
金尾のすみれへの執着を目の前で見た新一としても、あれは異常だとぞわりとしたものだ。母譲りの演技力と父の女性の扱いなど、持てる物を総動員させてでも、庇わなければと思った。
「ああ、居た居た。栗花落さん、工藤くん、さっきは素敵なダンスだったわよ」
初老の夫婦がやって来て、二人を労う。夫婦は二人に自分たちの若い頃を重ねたのか、昔のことを語ってくれる。夫婦に釣られて、招待客たちが少しずつすみれと工藤くんを囲んで、口々にダンスを褒めてくれる。ここまで褒め尽くしにあうと、少しばかりくすぐったい。
やがて、すみれの周りはご婦人方が固めており、アクセサリーを褒める。ドレスとの合わせが素敵だとか、小振りでも質の良い物だとか。一番嬉しかったのは、すみれの両親の逸話から結婚指輪をパルフェ・タムールにしてくれた話だ。
「あら、私ももうすぐ金婚式を迎えるのだけど、主人にねだってみようかしら」
「まあ素敵」
「でも、金のジュエリーだと少し派手じゃないかしら」
「実は金の方が日本人には肌馴染みがいいんですよ。派手なのが気になるようであれば、ブラウンゴールドにすると、落ち着いて見えますよ」
女性同士の会話はとても話しやすい。社交の場では大抵意地悪な人もいるものだが、ここにいるのは最初に話しかけてくれた初老の夫婦と交流のある人が中心で、とても穏やかな人が多い印象だ。棘のある物言いをする人はいないし、すみれという新参者を歓迎しつつ守ってくれているようだ。
すみれに気を遣ってジュエリーの話題が多く、両親の名代としての務めを果たせたことに一安心だ。パルフェ・タムールの看板に泥を塗らなければ良いと思っていたが、ご婦人方のおかげで輝かせられた気がする。
ご婦人方のおかげで楽しい時間を過ごせていたすみれだが、そこに金尾がやって来て水を差した。主催者を邪険にするわけにもいかず、笑顔で歓迎する。
「遠目からでもここは花畑のようでしたよ。美しい花がこれだけ揃っていれば、当然ですね」
「まあ、わたくしのような者にもそんなお言葉をかけていただけるなんて、光栄ですね」
「当然ですよ。皆様がお楽しみ頂けているようで、私も主催者として鼻が高いです」
すみれの前にスッとご婦人方が自然と壁を築いた。初老のご婦人が代表して応対している。側から見ればとても和やかな主催と賓客の会話だが、実際は若い花を手折ろうとする無作法者と花を守ろうとする母のような人たちの戦いだ。
「栗花落さんも、先程は急に話を振ったのに、素晴らしい対応でした。鑑定の腕も素晴らしく、ご両親もさぞ誇らしいでしょうな」
「ありがたいお言葉ですが、まだまだ未熟ですので、精進してまいります」
ご婦人たちの壁がすっと割れて、すみれが半歩前へ進みでる。にこやかに謙遜してみせると、金尾はニタリと笑みを深くする。細くなって見えにくい目には、より濃い欲望があるのをすみれは見逃さない。
このまますみれ以外に構ってパーティが終わればよかったのだが、そうは問屋が卸さないときた。流石に主催者の誘いをこれ以上断っては、無作法なのは瑠奈になってしまう。
「おや、金尾さんと栗花落さんが踊るんですか。でしたら、金尾さんの後は私とも踊って頂けますかな?」
そう言って女の園へやってきたのは、あの初老の夫婦のご主人だった。しわの刻まれた垂れ目がちな目元が、とても柔和な方だ。
「ぜひ、喜んで」
「あら、貴方。若い子とばかりは駄目ですよ」
「ははは、では、菫野さんが金尾さんと踊っている間、私たちも踊ろうか。金尾さん、二曲連続は体力が不安なので、短めの曲を続けてもらっても良いですかな?」
ご主人の要望が通り、短い曲を二人と踊ることになった。金尾が使用人に曲の希望を伝えている間、ご主人が瑠奈にパチリとウィンクした。
瑠奈はお茶目で抜け目ない人だと、微笑を浮かべる。小さく会釈すると、あちらも笑みを深めた。これは、ダンスの最中も隣をキープして目を光らせてくれそうだ。一応パートナーである工藤くんを見遣ると、食事を摘みながらこちらの動向を気にしてくれていたようで、目が合った。安心させるように笑って肩をすくめると、工藤くんも同じように返してくれた。
「ああ、そうだ、こちらをどうぞ。シャンメリーのミモザです」
「頂きます」
金尾が似合わないオレンジのフルートグラスを持っていると思ったが、すみれ用だったらしい。変に断るのもあれなので、口をつける。シャンメリーのブドウ特有のえぐみを、オレンジジュースの甘みがマイルドにしてくれる。
すみれと踊りたくて仕方ない金尾のことだから、今かかっている曲が終われば、すみれたちの踊る曲がかかるだろう。それまでにある程度は飲みきらないと、と少しペースを早めて飲む。
「それでは、お手をどうぞ」
意外なことに、金尾とのダンスは普通だった。遊び慣れているからか、リードも上手で変な癖がなく、踊りやすい。隣で例のご夫婦が踊りつつ目を光らせているのもあるだろうが、話す内容も接触もあまりに普通だった。ただまあ、あの目の不快感は消せないが。
そして今は、スローテンポの曲を初老の男性と踊っている。そこそこの年齢に見えるが、ガタが来ている様子はなく、しっとりとした曲を踊りこなしている。
「助けて頂いてありがとうございました」
「いえいえ、なんてことはありません。妻が随分と気に入ったようで、話しに付き合ってくださって
ありがとう」
「皆様に迎え入れられているようで、とても安心しました。失礼ですが、お名前を伺っても…?」
「はは、これは失礼しました。私は朝比奈公義、妻は緑子と申します。ただの隠居ですよ」
宝石関連や両親に繋がりがないと、身体が弱く社交をほとんどしてこなかったすみれには、名前を聞いても分からない人ばかりだ。隠居だと、先に釘をさして詮索させないあたり、食えない人である。
「先程緑子さんと金婚式が近いとお伺いしました。僭越ながら、私にジュエリーをプレゼントさせて頂けませんか?今日のお礼と、これからどうぞよしなに」
「それはいけません。妻へのプレゼントが娘のような子からのプレゼントだなんて、妻は喜ぶでしょうが、これでは男がすたってしまう」
公義の口ぶりに、すみれは思わず笑ってしまった。社交辞令かもしれないが、先程金婚式にパルフェ・タムールのジュエリーをねだろうと緑子さんは言っていた。二人を喜ばせるには、ジュエリーはピッタリだし、すみれの得意を活かせると思ったのだ。
「金婚式ではゴールドが一般的ですが、緑子さんは華美になりすぎるのを気にしていらっしゃいましたから、ブラウンゴールドをおすすめしました。普段おつけになっている指輪と重ね付けしてり、それに合わせた他のジュエリー。公義様と一見別のアイテムなように見えて、同じモチーフを入れたりして関連性を持たせる…なんていかがですか?」
「是非お願いしよう。出来れば、緑子の希望を聞き出して欲しい」
「お任せ下さい」
短いダンスを終えると、体が火照った。公義さんは工藤くんの元までエスコートしてくれ、別れ際にウィンクして緑子さんに叱られていた。
「暑い!工藤くん、ちょっと外に出ない?」
「あ、おい!」
会場は暴風雨のせいで締めきれられているし、人の熱気で酷く暑い。大広間を出て玄関ホールに出ると、瑠奈たちと同じように少し涼みに出ている人達がチラホラ見えた。
「はぁ、まだ暑いけど、ちょっとはマシかな〜」
「おいおい、大丈夫かよ」
すみれは激しく雨が打ち付ける窓に、ぴっとりと頬をつける。雨と夜の空気に冷やされた窓はヒンヤリとしていて、気持ちがいい。工藤くんが少し呆れた顔をして、こちらを覗き込む。
「おい、さっき何飲んだ?」
「モクテルのミモザかな。金尾さんが持ってきたやつ、断るわけにもいかなかったし」
「それ、多分アルコール入ってる。栗花落さん酔ってるんだよ」
すみれはムッとした。確かに気分は高揚しているし、体も異様に暑い。少し早めのペースで飲み、二曲続けてダンスを踊ったが、ダンスはスローテンポで酔いが回る程の運動量ではない。
「私、そこまでお酒弱くないと思うんだけど…」
「アルコール依存治療薬で、酔っ払いやすくなるものがあるから、少量盛られたとか」
「オレンジジュースに混ざってるんじゃ、味も誤魔化しがきく、か。やられたなぁ」
ミモザはシャンパンとオレンジジュースのカクテルだ。シャンメリーと偽ってるくらいだし、シャンパンはさほど入っていない。度数はそれなりだが、少量ならこんなに酔う程じゃない。
そう思ったが、なるほど。一服盛られていたとは。
「なるほど。朝比奈さんに見張られてるからダンスの時変なことしてこなかったわけじゃなく、その後が本命だったわけね」
すみれの目が曇ったのを見ていた工藤くんが、何かを言おうとして口を閉じた。下手な慰めは悪手だと察してくれたようだ。
こういうことには慣れている。人から好かれる分、良くないものも多く惹き付ける。たくさんの人から性的な目、欲望に染った目を向けられてきた。そうやって、消費されるのには慣れている。慣れていても、気分は良くない。その度に心が静かに死んでいく感じがした。
「ねえ工藤くん、踊ろ」
すみれは唐突にそう言った。なんとなく、そんな気分だったのだ。工藤くんにしなだれかかって、頬を窓じゃなくて胸元に預ける。大広間から漏れ聞こえる音楽に合わせて、小さくステップを踏む。工藤くんがステップを合わせて、そっと腰に手が添えられる。
さっきまで金尾に触れられたところが、変な熱をもって気持ち悪くて仕方がなかった。公義ともダンスを踊ったのに、それは掻き消えてしまって、金尾だけが瑠奈の体に残っていた。それが癪で気に障った。工藤くんの手は金尾に触れられた所を、彼の熱で上書きしてくれる。工藤くんには少しの気持ち悪さも感じなかった。
「上書きして」
「…おう」
「あの人に触られて、本当は嫌だったの。ああいうの、気持ち悪くて嫌い」
「そうだな」
「みんな工藤くんや公義さんみたいな紳士だったら良いのに、ね?」
工藤くんが何か言った気がしたが、聞き取れなかった。