Lucky 7



オリエは走っていた。どきどきと、心臓の音が鳴り止まない。痛い程喚いてて、叫んでて。目は潤んでて。少しだけ熱に浮かされたような、そんな瞳が、そんな光景が、網膜に張り付いて離れない。勢いに任せるようにエレベーターに乗り込み、ブラッドの為にと用意された区画へ逃げ込む。目的地は、自分の寝泊まりする部屋。扉を抉じ開け、部屋に飛び込んだ。オリエは扉にもたれ掛かってずるずると床に座り込む。
心臓が痛い。頬が熱い。まだ、触れられた部分の熱が、消えない。彼の、エミールの、あんなにも熱を帯びた視線を見たのは初めてだ。だから尚更、逃げることしか出来なかった。オリエ君、その吐息が耳許で紡がれて。流れに乗せられるまま、彼の顔が静かに近付いて。流される、そう気付いた瞬間にエミールの胸元を押し退けて、今に至る。

「………………はぁぁぁ。」

顔を掌で覆って、大きな溜息を吐く。こんな無様な姿、ブラッドの隊員には死んでも見せられない。というより、見せたくない。これはオリエの酷く無様な自尊心故だ。
マガツキュウビ討伐後から、ブラッドへ出されるミッションは日々複雑になって。疲れてへろへろになりながら帰ってくると、エミールが温かい紅茶と茶菓子を用意して待っていてくれる。それがいつの間にか当たり前になっていて。きっとこれは当たり前じゃいけないのに。
エミールのことは、嫌いじゃない。寧ろ好きの部類だ。好きだから、あんな風にされたら。

「期待、しちゃうじゃん……」

そんな期待から逃げたのは紛れもない自分だけど。一応、オリエも思春期の女の子である。好きな異性に迫られ、どういう反応をすればいいのか知らない生娘ではない。
その時だった。扉の向こう側からノックの音。びくり、肩が跳ねる。入ってくる気配は、ない。

「オリエ君、いるのだろう?」
「いっ、いない!」
「いないなら返事がないはずだが?」

咄嗟に喋ってしまった10秒前の自分を殴りたい。黙っていれば気付かれなかっただろうに。無理矢理に扉が開くことはなかった。ただ、向こう側で座る気配。扉を挟んで背中合わせ。意識すれば息遣いですら聴こえてきそうだ。
何も喋れない。ただ沈黙だけが続く。いつもは互いにお喋りなくせに、とお門違いな悪態を内心で呟いて瞼を閉じる。

「僕は、騎士としてあるまじき行為を犯してしまった。」

沈黙を破ったのはエミールの方だった。その声色はなんと表現していいのか、普段の彼では想像の出来ない沈みっぷりで。オリエは何を言えばいいのか分からず、彼の懺悔を聴くしかなかった。

「君になんと言って謝ればいいのか、どう償えばいいか、君が走り去った後考えていたのだよ。」
「うん。」
「シュトラスブルク家に、来ないかい?」
「うん………………うん?」

唐突な提案に、オリエは面食らう。彼に冗談や嘘といった言葉はない。いつだって真剣勝負、真正面からぶち当たる馬鹿ほど真っ直ぐな男だ。そんな彼が、エミールが、シュトラスブルク家に来いと。

「あのさ、あたし、まだパパもママも生きてるよ?」
「む?」
「食費も嵩むよ?」
「君はよく食べる子だとよく知っているさ。」
「パパもママも、あたしと同じでよく食べるんだよね。」
「ドイツの料理が口に合うことを願おう。」
「…………結婚、するって、こと?」
「それ以外に意味があったかな?」

長い問答の末、オリエは押し黙った。求婚である。聞き間違いでは、ない。震える声は自分のものではないように感じた。まるで夢の中だ、きっと夢だ。そう思うが早いか、オリエは自身の頬をがん、と殴った。勿論、痛い。

「夢じゃ、ない……よね?」

背中に感じる扉越しに、いつもでは想像出来ない程の小さな声が漏れる。向こう側から夢は夜に見たまえと、いつもの調子に戻ったエミールの声が聞こえた。それでも無理に扉が開かれる気配はなかった。
恐る恐る立ち上がり、扉を開けた。どわっ、と間抜けな悲鳴があがる。どうやら開くとは思っていなかったようだ。後頭部から床へ激突したエミールの横に座り、その顔を覗き込む。

「返事を聞かせてくれるかな?」

倒れ込んだままの決まらない格好で、エミールは笑う。そんな彼を上から見つめ、潤んだ瞳で思いっきり微笑んだ。

「幸せにしてよね、ルミール!!」





Lucky 7