カーテンから零れる朝日に目を覚ますと、広いベッドには恋人の姿はどこにもなかった。パジャマから着替えることもなく素足でリビングへと向かう。昨夜言われた通り机上にはラップのかけられた朝食が置いてあり、冷蔵庫にはスープの入った鍋があるからそれも温めること、と泉の字で書かれた紙も隣にあった。機械的にスープを火にかけて温め直し、泉の用意してくれたワンプレートの朝食に手をつける。


「ごちそうさまでした」


 すべてを綺麗に平らげ、食洗機の中に食器類を押し込む。スイッチを押してしまえば、あとは私がやることはない。

 ソファーに座って膝を抱えながら、特に見たいとも思わないテレビのバラエティー番組をかけてぼんやりと眺める。部屋はほこり一つないほど綺麗にされ、洗濯物も干されている。以前泉を喜ばせようと料理を振る舞ったところ、一応は喜んでもらえたものの、「なまえは何もしなくてもいいの」とやさしく咎められてしまった。高校を卒業して泉と同棲を始めて以来、泉は私になにか家事をさせようとかそういうことは一切なかった。毎食用意される栄養の整ったご飯に、お風呂も泉が一緒に入って身体や頭を洗ってくれる。泉が仕事で私しかいない日中は私の靴をどこかに隠されること以外は、何一つ、不自由なことはなかった。セキュリティ対策の万全なこの部屋で、私は彼に生かされている。


「なまえはここにいてくれるだけで充分だから」


 同棲してすぐの頃、泉に言われた言葉。その言葉の通り家を守るための私の役割はなにも与えられず、甘やかされてきた私は満足に一人で髪を乾かすことも出来ない。泉から渡されたスマホには泉以外の連絡先は入っておらず、泉との連絡手段としてのみ機能している。


「……まだかなあ」


 流していたバラエティー番組がニュース番組へと変わり、夕方になったことを知る。用意されていた昼食はあまり喉に通らず、ほとんど残してしまった。きっと夜になって仕事から帰ってきた泉には体調を心配されるかなにか言われるだろうけれど、彼に会えるならなんでもいい。


「ただいま。……って、まだ着替えてないの」


 うとうとしかけていた私は待ち望んでいたひとの声に一気に覚醒し、あきれ顔で目前に立つ泉に抱きつく。「おかえりなさい、泉」今日会えていないだけなのに、何日も会っていなかったような気がする。ぐりぐりと彼の胸板にすり寄る私に泉は頭のてっぺんにキスを落とすと、「俺がいないと着替えることもできないの? ほんっと、手のかかる子だねえ」と口元をゆるめる。そんな子にしたのは泉のせいなのに。そうちいさく反論すると、泉は他のみんなにはみせないような柔らかい笑顔を浮かべた。


「ふふっ、じゃあ俺が死ぬまで面倒みてあげる」


 それはちょうど今決めたような響きをはらんでおらず、ずっと前から決まっていたことのようだった。肯定して、泉がいいと答える私に、彼は満足そうに目を細める。今ならきっと、ご飯だって美味しく食べられるはずだ。





花の棺
20200907

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